11.蜜の芳香
刀身がきらめいて、白刃魚の鱗が飛び散る。
浅い、と感じるのと、白刃魚の中心を開くはずだった刃が削った鱗が視界に入るのはほぼ同時だった。
ガラテアの行った、大剣での切り上げ動作によって空振りとなった刀身の勢いを、地を滑るように横回転しながら押し殺したジョンは、大太刀の刀身を再び鞘へと納めながら構え直す。
宙を跳ねて白刃魚は、地面に横倒れとなり、白い腹を見せて飛沫を上げながら跳ね回っていた。
次の一撃がとどめであり、そのとどめを刺した者がこの巨大魚を狩ったとして今日の優勝者となるのは間違いなかった。
時が止まったかのように、その場に居た全員の視線が二人とその獲物に集中していた。
ガラテアが咆哮を上げながら大剣を振りかぶり、ジョンは大太刀を抜刀するために低く身構える。
水しぶきを上げながら、ガラテアの大剣が白刃魚の頭を叩き潰した。
ジョンの方は、身構えたまま動いていない。
眼にもとまらぬ速さで抜刀して収めたのでは、と思う者もいたが、ジョンは見た通り、構えたまま動いていないのだ。
ガラテアが勝利を確信すると同時に、それは白刃魚の腹を裂いて飛び出してきた。
細く長い胴体を蛇がのたうつように蛇行しながら、空中を水中のように泳いで、それはジョンへと襲い掛かる。
チキ、と鯉口を切る音がすると同時に、ジョンがわずかに身体を前方に傾けた。
白く輝く胴体をたなびかせ、まるで血の冠の如く赤く長い頭部の鰭を波打たせながら、それが水面に打ち付けられると同時に、頭部から尻尾まで、片身に骨を残した状態で綺麗に真っ二つに切り分けられた身体が、紙がめくれるように漂って水面へと浮かんだ。
波にさらわれて流れていくそれの首元を踏みつけて、ジョンは腰の短刀を抜いた。
両断されてなお、頭部からあふれ出すように露出したその部分は、まるでそこだけ別の生物かのようにドクドクと脈打っている。
毒々しい赤をしたそこへ、ジョンは短刀を突き立てた。
あふれ出した血が当たりを朱に染め、海の水に溶けていく中で、肺を満たすような悪臭を放った。
ようやく脈動をやめたそれの中から、乳白色の掌にちょうど収まるほどの、つるりとした宝玉を取り出す。
水に濡れて輝くそれをジョンが日にかざすように持ち上げれば、周囲からはざわりと喧騒が広がった。
獣の中には腹の中に石を持つものが時折、いる。
骨よりも固く、時に不可思議な習性を持つそれは、ハンターの中では幸運の証とも言われ、望む機能を持つその宝玉を求めて、同じ種族の獣ばかりを狩り続けるハンターも居るほどだ。
それを、ジョンはこの祝祭の中で引き当てた。
「わ、わわ…崩れるっ」
獲物の大きさを測る審査員が、ジョンの卸した魚獣の半身が流されていくのを捕まえようとして、その薄く柔らかい身の扱いを間違えて慌てているのも無視して、ジョンは掴んだ宝玉を持って無造作に浜へと戻る。
囁くようだった声はいつしか歓声へと変わり、ジョンの技巧を褒め称える者も居れば、巨大魚を叩き潰したガラテアを褒める者もいる。
追い込み漁の終わりを予感させるように、浜へと打ち上げられた小魚たちが、水を失ってぐったりと横たわり、時折ぴち、ぱちゃ、と力なく跳ねるばかりだ。
歓声の中、門を目指して歩くジョンは、途中に立っていたレイモンドへ無造作に宝玉を投げて渡す。
「わ、なに、くれんの?」
放り投げられたそれを胸元で受け止めて尋ねれば、ジョンは興味なさげに一つ頷いて門を抜け、運営が立てたテントの裏へと消えて行った。
受け取った宝玉を眺めてみる。
乳白色のそれは、触れてみればつるりとした滑らかな指ざわりで、もうとっくに海水も渇いているのにどこか濡れたような色をしていて、今にも水が滴る音がしそうで、けれどどうしてか、口に含んで飴玉のように舐めまわしたくなるような、ほのかに甘い香りをさせていた。
テントの裏へ周ったジョンは、スタッフが休憩所として使っているらしい小屋を見つけて無遠慮に乗り込む。
幸いにもそこには誰もおらず、休憩所として使われているのか、いくつかの椅子と机が無造作に置いてあるだけだった。
後ろ手にドアを閉めたジョンは、顔を覆う銀の面を取ると、ふらりと力を無くしてその場に倒れる。
椅子を蹴散らして派手に地面に倒れる音も、外の喧騒にかき消されて誰にも届かない。
震える指で左の胸を、飾り糸ごと掴む。
今にもはじけ飛びそうな強い鼓動が、内側から突き破る勢いで拍動していた。
頭の中に心臓ができたのではというほどの鼓動は、耳鳴りを伴ってジョンの体中を巡る血液を支配する。
「ずいぶん無茶をしたね」
騒がしい鼓動の中で、その声はやけにはっきりと聞こえた。
吐き気を覚えて呼吸を荒げるジョンの元へ、重厚な威厳のある足音がゆっくりと近づいてくる。
「あれは君にとっては毒に近しい。素手で触ったのは悪手だった」
近づいてきた男は、倒れて動けないままのジョンを心配するでもなく、むしろうれしそうな微笑みをたたえて、首元に手を伸ばした。
そして脈打つ首を掴んで軽々と持ち上げると、向かい合うように目を合わせる。
「んん、いいね。熟成された果実酒の様だ。封を破るのはもったいないが、溢れさせるのもまた愚行。少しだけ、抜いてあげよう」
「…がっ…、っ」
鋭い痛みに目を見開く。
粘着質な啜る音が、部屋に響く。
身体を突き破らんとしていた拍動が収まり、手足の感覚を取り戻したジョンは、なけなしの力で男を突き飛ばし、けれどそれが限界だった。
着地すらままならず再び床へと派手に倒れるジョンを冷淡な目で見下ろしながら、教会の最高権威である装束を纏った老齢の男、教区長は、口の端に残った残滓を指で拭った。
「あの、すごい音が…教区長?どうしてここに…」
「ちょうどよかった。彼の具合が悪いようでね」
「え、ジョンさん?大丈夫ですか?」
「後は君に任せるよ。君も、具合が悪いなら診療所で一度見てもらうといい」
音に気づいて顔をのぞかせた運営の少女にその場を任せて、先ほどの冷徹な視線を収めて柔和な教区長の顔をした男が堂々と去っていくのを、乱れた呼吸のまま、霞む視界の中、見送ることしかできなかった。
教区長に蹂躙されるすけべ部分はムーンライトにあります




