捨てる神あれば拾う神あり
愛たぬきの見送りを受けた沙也加は、なんとか乗る予定だった電車に乗れた。
だが、コクンコクン。
吊り革を持って、パペット人形のように頭を揺らしていた。
(なんだろうめっちゃ……眠い)
それは生理現象。
日曜日の十時頃と言えば、たぬきちに起こされてどうにかベッドから出てきた時間帯なのだ。
なんとも悲しい現実である。
けれど、眠たくなっていたのは、その悲しい生理現象だけではなかった。
一定のリズムで揺れる電車。
平日のラッシュ時とは違って、今日は日曜日。
隣の人と押しくらまんじゅうになるほど混んではおらず、痛い思いもしない。
そして、窓からは暖かな陽射しが入ってきている。
(なんか落ち着く……)
それは昼休み、お腹いっぱいになった時、一人でベンチに座っている感覚に似ていて、
(二度寝したい……)
沙也加は、そう心の中で呟いた。
二度寝というよりは、三度寝では? そんなたぬきちの痛烈なツッコミが飛んできそうではあるが、ここはたぬきはいない。
聞こえるのは、友人、恋人同士に家族連れ、休日を楽しむ人間たちの声のみ。
(たぬきちも来たかったよね……きっと)
つい先程まで、幸せな気持ちになっていたというのに、なんだか自分だけ楽しんでいる状況に罪悪感を覚えて、
「ぐぅ……」
寝た。
瞼を閉じる刹那――本当に、心の底から申し訳ないなー。一緒に楽しみたいなーと思っていた。
けれど、生理現象には勝てないのである。
「あの人、立ちながら寝てない……?」
「きっと疲れているんだよ……そっとしておこ……」
後ろから聞こえる恋人同士の会話もなんのその、反応することなくしっかり寝ており、意識はすでに夢の中であった。
「その割にはさ、ちゃんと立ってない……?」
「え、本当だ」
だが、声が少し大きかったのだろう。
静かに寝息を立てる眠り姫と化したOL沙也加に、恋人同士の会話が届いた。
のだが、夢の中では、眠り姫というよりは、めんど部下と化していた。
『二へへ〜、そぅですよぉ……ヒックッ。私は立ってでも寝ることができるんですって! ねぇ? 聞いてますか? 部長!』
『いや、江ノ上君……俺はそんな話は聞いていないぞ? そもそも俺は課長だ!』
なんと、居酒屋で沙也加は隣に座る高橋課長へうざ絡みしていたのだ。
いつぞやの泥酔事件の再現中である。
しかも、ちゃんと外界との会話まで成立させている。
もう、それは特殊能力。
とはいえ、要るのか、要らないのかと問われれば、間違いなく後者なのだけれど……。
しかし、その特殊能力解放も呆気なく終わりを迎えた。
空気を読むかのように車両が――ガタンッ! 一定のリズムとは違い強く揺れた。
その瞬間。
沙也加はハッと目を見開いて吊り革を強く握って、
「おっ……と!」
全身に力を込めた。
進路の切り替えだろう。
そこからも数秒間、強めに揺れ、お喋りに夢中だった恋人たちも思わず、体が振られてしまう。
「きゃ――っ」
「大丈夫? 掴まって」
お互いを気遣い合いながら、手を取り合う恋人たち。
対して、一人、しっかり吊り革を持って武人のように微動だにしない沙也加。
(ちょ、ちょっと羨ましい……)
前を向いて聞き耳を立ててそう思って、
だが、残念なことに沙也加は一人。
(たぬきち……)
早くも禁断症状に侵され始めたかに思えたが、なにを思ったか、自らちょっと揺れてみたり、後ろの恋人たちをチラ見したりして、
(やめておこう……大人としてダメなやつだ)
自制した。
一番に愛たぬき。
でも、近頃の若人の恋愛がどんな雰囲気なのか、少し興味が湧いたのだ。
いわゆるミーハーというやつである。
(いいもん! 家に帰ったら私にはたぬきちがいるもんね!)
真っ直ぐ前を向いて、再び全身に力を込める沙也加。
車両が揺れようが、恋人たちがイチャイチャタイムしようが、全く揺れ動くことはない。
運動とは無縁で通勤時、歩くとはいってもデスクワーク中心。
しかも、私生活はたぬきちに頼り体は放牧状態で。
ふにょっとした贅肉が主張するという、とても残念な状態になっていた。
それでも体勢を崩さなかったのか、理由はシンプル。
高校時代から、大学で身につけた合気道――昔培った杵柄というやつが今の沙也加を支えていたのだ。
戻ることない過去の栄光もあれば、現在でも意味を成す過去の栄光もある。
まさに捨てる神あれば拾う神ありである。
そんなことを考えている内に、再び車両の揺れるリズムが一定になった。
すると、沙也加は再びコクンコクンと頭を揺らして、眠りについた。
「すぅ……」
たぬきも人間すらもびっくりするであろう、切り替えの早いガチ寝である。
限りある時間の睡眠確保。
尊厳は減っていっている気もするが、この特技のおかげで自堕落からなる寝不足を回避してきたのだ。
つまり、沙也加なりの進化みたいなもの? である。
そんなどうしようない習性を世間の皆様に披露している最中。
とうとうその時がきた。
車内アナウンスが響いた。
《◯◯駅〜。◯◯駅〜! UR線、有急線はお乗り換えです。左側のドアが開きます。ご注意下さい》
直後。
沙也加はグワッと目を見開いて覚醒して、
(ここだ!)
ドアが開くと同時に飛び出た。
そして、すぐさま駅名とスマホの時間を確認。
(よし! 間違っていないし、時間も大丈夫!)
社会人生活を積み重ねて得たもう一つの、いやもう二つのかなしき習性。
車内アナウンスにだけ反応&脳が判断する前に降りた駅を確認。その名も脊髄判断である。
(って、こんな時まで社会人の癖が抜けないって、我ながら社畜極まっているかも……)
そんなことが沙也加の脳内によぎって苦笑い。
しかしながら、時刻は九時五十分。
待ち合わせ時間の十分前であり、目的地である動物園へは駅から徒歩で数分だ。
逆算しても間に合う。
「ふふっ♪」
(でも、なんだか気分はいいかも♪ 早起きってするもんだよね!)
先程まで寝ていたというのに、ケロッとしてニコニコ笑みを咲かせる沙也加。
なんだかんだ言っても、日曜日にオシャレをして外に出れたことが嬉しいのだ。
まぁ、そもそも早起きできたのは、同居人たぬきちのおかげで、
(まぁ……全部、たぬきちのおかげなんだけどさ……)
調子に乗りかけた沙也加であったが、すぐさま不機嫌そうに全身の毛を逆立ているたぬきちの姿が浮かんで、踏み留まった。
ここが沙也加の良いところなのかもしれない。
とはいえ、久方ぶりの日曜日に外出というイベント。
やはり心躍らないこともなくて、
(でもでも、私だって頑張ったし!)
ここに至るまでの過程を少しだけ糧にした。
ゆっくりだけれども、たぬきちのおかげで自己肯定感が向上している沙也加であった。




