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江ノ上さんの同居人は、犬でも猫でもなくて、シゴデキたぬきです!  作者: ほしのしずく


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あくまでも、その場しのぎ


 しばらくして。


 リビングの掛け時計の針は、八時三十分を差していた。


 そこには、黙々と作業を進めるたぬきちと、キャミソール姿。たぬきちの指示に従いヘアセットとメイクを済ませた沙也加がいた。


 ――シュバッ、バサッ。


 ――カタタタッ。


 たぬきちは裁ち鋏で衣服を切ったと思えば、小気味いいミシンの音を響かせて、生地を縫い合わせてく。


「ギャッ!」


 時間はない。もっと速く、もっと速く。

 理性の縫い目が一瞬だけほどけ、野生が顔を出した。

 その姿、修羅の如し。

 朝の忙しい時間帯にどうにかして、子供を間に合わせたい母のようであった。


「えっ、すご!!!」


 対して、そんなたぬき技を目にした沙也加は、感嘆の声を漏らして、


(懐かしいな〜! そういえば、昔、お母さんもあんな感じだったよね〜! ということは、もしかしてたぬきちにとって、私は子供!?)


 幼少期を思い出して、ニコニコ――なんとも呑気なものである。


 その間も、たぬきちは一切余所見することなく、目にも留まらぬ速さで、かつての栄光を“今”へと縫い直していく。

 そう、たぬきちの打開策は、過去の栄光となったものを現在の普通にすることであった。


 限りある資源(お金、時間)を無駄にしない。

 なんとも現実主義なたぬきちらしい選択である。


 沙也加は、その意味合いを理解しているというのに、


(それにしても、縫い物まで出来るなんて完璧だな〜♪ うちのたぬきは♪)


 などと、本来ならそこに引っかかるべきなのに、


「どうやってそんな技術身に着けたの?! もしかしてネット?!」


 もはや家にたぬきがいることなど、当たり前の景色になっていた。どれほど特別なことなのかも、気づかないまま。


 けれど、それは我らがシゴデキたぬき、たぬきちも同じようで、「ギャッギャッ! 今は静かにしてポン!」そういうと口元に手を当てて受け流した。


 この一人と一匹、本人たちが気付かないままに、どんどん、特別な時間が当たり前となっているのである。


「あ、ごめん……」

「クキュ! わかればいいポン!」


 頭を垂れる沙也加に返事を返すと、たぬきちは再び作業を開始した。



 ☆☆☆



「ふぅ……出来たポン」


 たぬきちはそういうと立ち上がって、


「着てみてほしいポン!」


 リメイクを施した過去の栄光(春色のカーディガン、白のTシャツ、黒色のテーパードパンツ)を沙也加へと手渡した。


 時刻は八時三十五分。

 弁当作りを含めたら、トータルの所要時間は、三時間を優に超えていた。


 平日よりもハードな休日である。


(ご主人のことだから、何かしらあるとは思ったポン。でも、まさか着ていく服がないとは思わなかったポン……)


 それも、初めに懸念していたセンスや個性など、全然関係のない物理的な要因だ。


 この三年間で習得した裁縫スキルがあったからいいものの、普通のたぬきではきっと乗り切れなかっただろう。


 普通のたぬきどころか、目の前の人間……慕っているご主人沙也加は、その波にすら乗れていないのだが――。 


(……やっぱり、ご主人にはボクが必要ポンね!)


 頭の中に浮かぶは高い波を物ともせず、サーフボードを華麗に乗りこなし、波に攫われる沙也加を助ける自分。


 そのシュチュエーションが、まんざらでもなくて、珍しくたぬきちは、自らの凄さにちょっぴり酔っていた。


 そして、成果物を受け取った沙也加は、服を買ってもらった子供のように笑顔を弾けさせては、


「おお……! 完璧! ほうほう……要所要所にこだわりが見てとれますな〜。切ったところは結んで調節できるようにしたんだね! うむうむ――」


 口調が変わるほど食い入るように見つめていた。


 そんな素直な反応が、より一層たぬきちの自己肯定感を高めて、

  

「クキュ♪ Tシャツは、裾の部分をカットして余裕を持たせて、カーディガンは紐で縛れるようにしたポン! テーパードパンツはスリットを入れてみたポンね! 子供連れでも嫌味のないように、浅めに入れているのがポイントポンね!」

 

 尻尾を上向きフリフリ、いつもに増して饒舌になる。

 三時間にも及ぶ激闘の疲れも自然を飛んでいった。


 けれど……。


 潮の満ち引きがあるように、思考にも満ち引きがあるのだ。

 疲れが吹っ飛んだことで、たぬきちはこれがその場しのぎだということに気が付いた。 


 紐で結ぶようにした部分は、太く……豊かになった二の腕を楽にする為に。


 テーパードパンツとは、本来、足先に向かって細くなる。しかし、それができないからスリットを入れた。


 要は全身に均等に付いた贅肉を逃がす道だということ。


(明日から、絶対……絶対に! ダイエットメニューにするポン!)


 あくまでも、この打開策は今を乗り切る為の、その場しのぎ。

 根本的に解決する方法は私生活の改善しかない。

 本来、沙也加ができていたことを任せて、運動不足を解消し、低脂質な和食で攻める。

 少なくとも、体系が元に戻るまで。

 たぬきちは、ぎゅむっと拳を握りを締めて、そう心の内で誓った。


(ポン! それはそれとして今何時ポン?)


 なんとなく時間が気になったたぬきちは、壁掛け時計に目を向ける。


「ポ、ポン?!」


 目を白黒させて、固まるたぬきち。


 時計の針は、九時三十分を指していた。

  

 本来であれば、気を抜きはしない。

 けれど、早朝から続いた緊張と緩和。

 褒められてからの、自己肯定感向上。

 思考の満ち引き、色んな要素が絡み合って、一番大事な時間を忘れていた。


「ご主人――」


 そう声を掛けようとしたその時。

 全く同じタイミングで、沙也加が声を上げた。

 

「って、あっ!? もうこんな時間じゃん! 早く着替えないと!」


 そして、ドタバタジタバタ――用意された衣服に着替えていく。

 奇しくも通じ合う一匹と一人である。


「ギャッ――」


 それを言いたいのは、自分の方。

 そんな言葉を発しそうになったたぬきちであった。

 けれど、同じことを考えていたことが少し嬉しくて、肩の力が抜けた。


「ご主人、大急ぎで向かうポン!」


 そういうといつものように、沙也加の背中を押して見送った。

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