シゴデキたぬきの憂鬱
「ポン……言いたいことはわかったポン……だけど、もう家を出ないと出勤時間に間に合わないポン!」
「い、いや! それも大事かもだけど、気になるよ!」
「なにを言っているポンか! お仕事の方が大事ポン!」
「ううっ、そんな正論で返さなくてもいいじゃない……」
「ポン……」
(ご主人は、本当にダメダメポンね……)
呆れながらも、席を立ってテクテクと沙也加の元へと向かい空になった食器をひょいひょいとジャンプしては掴んでを繰り返して片付けていく。
その姿、ママたぬき――いや、完全にシゴデキたぬき!
「おお……さすが! たぬきち! シゴデキだ!」
「ポン……シゴデキはできないポン。ボクはたぬきポンからね」
(ぐずったり、元気になったりめちゃ面倒くさいポン……)
「そ、そんな事言わないでよー! たぬきちは、私にとって唯一無二なんだからー! どこの世界にこんなにお世話してくれるたぬきがいるっていうのよー!」
エプロン姿のたぬきちにしがみついて、涙腺崩壊……このOL、実はものすごーく面倒くさいのである。
「ポン! なんでもいいから早くお仕事に行くポン!」
ただでさえ忙しい朝に駄々をこねる沙也加に、苛つくたぬきち。
生きていく上に、甘えや愛情表現が大切だとしても、今ではない。
それはもはや主婦の思考であった。
このたぬき、朝の段取りを止められるのがなによりも嫌なのである。
駄々っ子OLと化した沙也加をズルズル引き摺りながら、シンクにお皿を置く。
(そろそろ本当に時間がないポン)
チラリと見たのは、エプロンのポケットに入れていたスマホであった。
画面に表示される時刻は七時十五分。
ここから駅まで走っても十数分は掛かる。
だというのに、次の電車まであと十五分しかない。
その上……。
(しかも、ご主人は足が遅いポン……)
これだけでも致命的。
それだけではない。
(そういえば、掛け布団の端を踏んで転けそうになったこともあったポン……)
思い出すは、何度も繰り返した日々。
寝る位置を変えても、布団を変えても、なにをどうしようとも転びそうになるので、この今の自分が起こしに行くという形になったのだ。
(仕方ないポン……これで済ますポン)
いつまで経ってもポンコツなご主人、沙也加にため息を漏らしつつも、たぬきちはギュッと泣き喚く沙也加を抱き締めた。
「すぅーーーーはぁぁぁーーーー! たぬきちママの落ち着く匂いだ〜! えへへ〜♪ 幸せだな〜♪」
先程とは一転して、なんとも幸せそうな笑みを浮かべる駄々っ子から、ただの子供となったOL沙也加。
そう、これこそがシゴデキたぬきの作戦。
大体、ぐずると抱き締めてやれば落ち着くのだ。
なんというママ味、というかなんという人間のチョロさである。
その表情を見たたぬきちは、スッと立ち上がって、くるりと華麗にターン。
からの――。
「いやぁぁぁーーーーー! 押さないで〜! たぬきち〜! 今日もね、朝からミーティングが入ってるのー! 昨日も定時後にミーティングが入っていたんだよ〜! なのに、今日もなんだよ? こんな何回もしなくていいじゃん! なんで会議の為に会議するのぉぉぉーーー! これじゃ、残業確定じゃーーーーん!」
グイッと沙也加の背中を押し始めた。
響き渡るお疲れOL、江ノ上沙也加二十八歳の叫び声。
しかし、その抵抗も虚しく、キッチンからリビング、リビングから廊下、玄関まで進んでいく。
確かに可哀想な部分もある。
同情する部分だってある。
けれど、このシゴデキママたぬき―ーたぬきちは世の中の仕組みを理解していたのだ。
(生きていく為には、お金が必要ポン!)
人間というのは、会社という組織で働いている。
そこでの対価がお金という、通貨。
これが多ければ多いほどに、いい生活ができる。
「そうポンね……いつもお疲れ様ポン。ご主人はものすごーく偉いポン」
「じゃ、じゃあ―ー」
「ポン!」
「やっぱり、たぬきちは優し―ー」
手を伸ばして抱き締めるような仕草をした沙也加を問答無用で、押し出すたぬきち。
その流れのまま秒で玄関の扉の鍵をガチャリ。しっかりと施錠して、
「いってらっしゃいポン!」
玄関扉の向こうにいる沙也加にそう告げた。
これがシゴデキママたぬきの日常である。
この後、OL沙也加の悲痛な叫びを背に受けつつ、朝のルーティンをこなしていくのであった。




