プロジェクト始動
沙也加が弁当の乱を成長と言い聞かせて、家を出てから数十分経った頃の、江ノ上家の洗面所。
シゴデキママたぬきこと、たぬきちは、洗濯機の前で自らの仕出かしたことに後悔の念を抱いていた。
「ポン……やってしまったポン」
(推理することに夢中になってしまって、肝心なことを忘れていたポン)
沙也加に伝えそびれた肝心なこと――それが頭から離れなくて、洗面所の鏡を拭いても拭き残しがあったり、洗剤を入れ忘れたり、なにをやっても二度手間状態となっていた。気分転換にと、お気に入りの動画や推しである【レッサーパンダ将軍、世渡り上手】を観たとしても、集中できない。
完全に心ここにあらず状態である。
その肝心なことは――。
「お弁当……作っているのはボクポンよね……」
そう、前提条件を全てひっくり返す、沙也加とたぬきちの間では当たり前すぎる事実であった。
普段のたぬきちであれば、すぐさま間違いを正して、小言の一つや二つをお見舞いした。
「ほんと困ったご主人ポン……」
初めは呆れ、けれど徐々に表情をコロコロと変える沙也加が面白くて、謎を解き明かすのが楽しくなって、つい酔ってしまって――トドメは、沙也加が成長した自分を受け入れて、たぬきちに向けてお礼言ったことであった。
(でも、あんなふうに笑われたら……ズルいポン!)
思い浮かぶは幸せそうに微笑む沙也加の姿。
なんだかんだ言って、沙也加のことが大切なたぬきちである。
――ピーピー。
「あ、洗濯終わったポン!」
洗濯カゴに汚れの取れた衣服を入れていく。
けれど、ふと、たぬきちは思った。
(……というか、ご主人もすっかり忘れていたポン……)
とはいっても、沙也加は毎日、空になったお弁当箱を「ありがとう」という言葉と一緒に渡してくる。
どう考えても、作ってもらっていることを忘れているとは思えない。
「ポン……きっと周囲の人に言われすぎたポンね」
沙也加の性格からして、嘘はつけない。
でも、真実を言うと自分のことがバレてしまう。
結果、慣れない嘘をつくことで、その場凌ぎが起きて、嘘が本当になってしまう。
要は身から出た錆だ。
たぬきちは、持ち前の勘の鋭さでそう考えた。
(それはそれとしてポン――)
思考しながらも、洗濯カゴを抱えてテクテクと足を進めて、ベランダへと向かう。
尻尾でカーテンを開けて、右足で網戸をズラし、スリッパを脱いでベランダへと。
「いい天気ポンね〜!」
空には雲一つない快晴で、少し先の桜並木道では、人間の子供たちが列を成して登校しており、手前の住宅街では、マダムたちが井戸端会議を始めていた。
「今日も平和ポン♪」
――パンパン!
衣服のシワを軽く伸ばして、物干し竿に掛けていく。
すると、エプロンのポケットに入れていたスマホが震えた。
「……ポン?」
(このタイミングで鳴るのは、だいたい良くないことポン……)
虫の知らせ……ではなく、経験則からくる約束された事実である。
(きっと電車の中で忘れ物に気付いて、慌てているか、もしくは急な会議が入ったという連絡ポンね)
たぬきちは、ため息を漏らしながらも、一度手を止めてスマホをポケットから取り出して、通知画面を肉球でタップ。
「ポン……成長してるポン」
そこに表示されていたのは――。
「た、た、たぬきち……私、とんでもないことに気付いたの……私……お弁当作ったことない!!! いや、料理はしたことあるけどさー……炭だったし――」
文字から声が聞こえてきそうないきいきとした? 文章であった。
「どうしたものかポン……」
ここで呆れて、なにもしない。
もしくは軽くツッコんで終わる。
別にそれでもいい。
お弁当も自分が作って今まで通り、嘘を突き通せばいい。
そうすれば、わざわざ料理を教える必要もない。
一瞬、たぬきちの頭にそんな考えがよぎる。
だが、彼は忠犬ならぬ、忠たぬきなのだ。
ふるふると頭を振って、小さな拳を握り締めた。
「ポン! 何事もチャレンジポン!」
例え、少し前に炭を生成していたとしても、人間は成長する。たぬきちはその伸び代に掛けてみることにして、
「取り敢えず、帰ったら玉子焼きでも作ってみるポン!」
たぬきちは、そう返信した。
ここにプロジェクト、【ご主人お弁当作れるかな?】発足した瞬間であった。




