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江ノ上さんの同居人は、犬でも猫でもなくて、シゴデキたぬきです!  作者: ほしのしずく


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34/55

弁当の乱

 時は遡り、午後二時過ぎ。

 来客用の会議室に向かう廊下にて。


 沙也加は、たぬきちと同じくシゴデキの高橋課長と二人っきりになっていた。


「江ノ上くん、さっきのC社の資料だが――」

「はい。こちらに用意しています」

「さすがだな。やはり君を呼んで良かった」


 沙也加が出した資料に爽やかな笑顔を見せる課長。


 けれど、その資料を出した沙也加は、


「あ、ありがとうございます! そう言って頂けて光栄です!」


 と畏まりながらも、


(なんでこんな目に……)


 心の内でため息をついていた。


 それは予定に入っていた大きな会議の後。

 突然、取引先との打ち合わせが入って、そこに幹部でもないいち社員の沙也加が呼ばれたのである。


 日頃の頑張りが認められた瞬間であったのだが――。


(私は望んでいないよぉ〜! なんで会議のあとに会議するよぉ〜! というか、私の持ち場はもう終わったよ? なのに、なんでぇ〜!!)


 酒にのまれた時、愛たぬきの前、タイミングよっては浮かれる癖に、いざ出世街道(社畜ロード)が開けてしまうとあたふたしてしまう。


 実に困ったご主人である。

 シゴデキママたぬきの小言が飛んできそうな状況であるが、残酷なことにここに彼はいない。


「江ノ上くん? どうかしたのか?」


 高橋課長は不思議そうに尋ねた。

 

「え、あっはい!」

「ふふっ、昔みたいになっているぞ」

「あはは〜……昔って、一体いつのことを言っているんですか〜!」


 そう口にした時。


 沙也加は思い出した。

 目の前のシゴデキ、高橋課長に色んなことを仕出かしてなにも返していないことに。


(い、今しかない……!)


「あの高橋課長っ!」

「ん、なんだ?」

「私が三年前に仕出かしたことについて、埋め合わせを頂きたく――」

「いや、いらん。上司が部下の面倒を見ただけだ。気にするな」

「さすがにそうはいきません! というか、私の為だと思って受けて下さいっ!」

「……はぁ、わかった。じゃあ、そうだな……」


 沙也加の押しの強さに、さすがのシゴデキ課長も押されてしまったらしく、立ち止まったかと思えば、腕を組んでなにやら考え始めた。


 一方、沙也加は自分から提案したというのに、その頭の中は『高橋課長がフリー』や『誘っても問題ない』など大人女子トークで繰り広げた話が浮かんでいた。


(一体、なにを言われるんだろう……はっ!? まさか、で、で、デートとか?!)


 周囲から評価が高い。そんなことも言われたことで、その考えはどんどん飛躍していく。


 けれど、

  

(いや、課長のことだしな……それはないよね――)


 相手はコンプライアンス遵守、女性社員にも、男性社員にも分け隔てなく接し、口を開けば仕事の話が八割を占める完璧超人。


 そんな人間が自分なんかをデートに誘うわけがない。


(というか、私にはたぬきちがいるし!)


 誘われた確証もないのに、脳内でシゴデキママ(たぬき)を引き合いに出して、断るとはなんとも失礼極まりない。


 それは間違いないのだが、沙也加の頭の中には、エプロン姿でキッチンに立って、ご飯を作っている愛たぬきの姿が浮かんでいた。


(えへへ〜♪ 今日のご飯はなにかな〜♪)


 ダイニングテーブルに用意されたあたたかいご飯に「クキュ」と鳴き声を漏らしながら、自分の様子を伺うたぬきち。

 幸せ家族空間に、一瞬、だらしのない表情になりかけたが、


「……なんだ? 笑って」


 シゴデキ課長の不審がる視線を受けて冷静になった。


「えっ?! わ、笑っていませんよ!」

「そうか? 今、笑っていたような気がしたが……」

「そ・れ・よ・り・も! ほら、お返し! なにをしたらいいか思いつきましたか?」


 たぬきち相手にいつも使う、“勢いで乗り切る”作戦である。(通じてはいない)

 けれど、沙也加はふと思った。

 

(この状況を誰かに見られたらヤバくない?)


 誰も通ってはいないとはいえ、ここは会社内。

 その上、足を止めてお返しがどうのなどと口にしている。


(やっぱりなしにしよう。うん、そうしよう!)


 指をつんつんしながら、上目遣いでやんわりと訂正しようとした。


「あ、えーっと、課長……さっきのは言葉のあやで――」


 ――が。


 沙也加が訂正すると、ほぼ同時にシゴデキ課長は、とんでもないことを口にした。


「――弁当を作ってくれ」

「弁当……?」


 発せられた言葉を繰り返して、目を白黒させる沙也加。


(弁当……弁当……弁当?)


 当然、頭の中も弁当という文字で埋め尽くされていく。

 そして、脳内メモリーのキャパシティを超えた瞬間。


「べ、べ、べ、弁当っ!?」

 

 オウム返ししていた。


 ――春より先に弁当が来た。

 まさに【弁当の乱】勃発である。

 奇しくもたぬきちが考えていた【のり弁の乱】と語彙被りをしているが、言うまでもなく全くの別ものだ。


(いや、落ち着け私! まだ春の可能性だってあり得る!)


 果たして、沙也加に春は訪れるのか、それとも――。

 

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