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江ノ上さんの同居人は、犬でも猫でもなくて、シゴデキたぬきです!  作者: ほしのしずく


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当たりではないハズレの人間

 吐く息が白くなった深夜、都内のマンション三階、角部屋にて。


「ここが私の家です〜! どうぞ〜!」


 玄関の扉を開けて、同居人候補となったたぬきを案内する沙也加。


 その表情はとても幸せそうに見えた。


 けれど、案内されたたぬきは、その暗闇の向こうに見える光景に固まっていた。


「キュイ……」


 子狸とは言えど、野生動物としてさまざまな環境で過ごしてきた。河川敷の草むらや山の中にある雑木林。


 ゴロゴロと鳴るだけで、気絶しそうな雷という驚異にも晒されてきたし、イタチやカラスといった他の動物との衝突もあった。


 どれもたぬきにとっては、命の危機を覚えるほどのものだった。


 だというのに。


(これはやばいのポン……)


 野生の感が告げる。

 こちらも色んな意味で危機があると――。

 

(清潔感だけで言ったら、公園の方がよっぽどマシポン……)


 木の葉が散乱して踏む場所がない、なんてレベルではなくて、換気もしていないのだろう。

 空気は淀み、ゴミにしか見えないものが、床一面に敷き詰められている。

 その上、よーく目を凝らすと虫がいる気もする。


(ぜんぜん……当たりじゃないポン)


「キューン……」


 自然と漏れ出る鳴き声。


 確かにこの人間は命の恩人。

 あの時、挟まっていた自分を助けてくれなかったら、のり弁を分けてくれなかったら、命はなかった。


 たぬきもそれには感謝している。


 だが、それとこれとでは別なのだ。

 

(ポン……今から、断るにしてもポン……)


 公園に戻って人間たちの残飯にあやかるのか、それとも、目の前の野生動物、未踏の地へと足を踏み入れるのか……究極の二択がたぬきの、その頭の中で揺れ動く。


 そんなたぬきの様子が気になったのか、沙也加は不思議そうに覗き込んだ。

 

「どうしたの?」

「クゥーン……」


(こ、困ったポン〜! でも、そうポンね……こんなにも優しくしてくれたのに、何も知らず断るなんてたぬきが廃るポン!)


 たぬきが廃る……それは一体どういう意味なのだろうか? 疑問の残る言葉ではあるけれど、たぬき本人が言うならそういうことなのだ。


 そこに疑う余地などない。

 それにここは公園から離れた人間の住まう地である。


(そもそも、もうどうやって帰っていいか全くわからないポン!)


 まだ熟知している公園ならともかく、ここで断ることは衣食住を失うということ。


 すなわち、それは―ー。 


(ここで断ったら死活問題ポン……)


 そう、死に直結するのだ。


「キュイ……キューン」


 たぬきは胸の内で呟きながら、鳴き声をあげた。

 

 

 そして、コンマ数秒の沈黙の後。

 


 意を決して、後ろで何だかとても嬉しそうにしている沙也加へとたぬきは応じることにした。


 だが――。


「キュ……キュイ!」


 したことはただ鳴き声をあげるだけではなくて、公園にいた時に見た犬の真似、お座りからのお手である。


(き、きっとこれで伝わるはずポン)


 人間に連れられて散歩していた犬たちは、何かをねだる時、こうやって座って手を差し出していた。


 このたぬき、野生動物ということもあってか、生きること――つまり周りをよく見ているのである。 


 それに――。


(この人間、無駄に察しがいいポン)


 この短い間にも、割と視線や仕草で先読みしてくれているのだ。

 

 ほぼ間違いなくこれ以上ベストな答えはない。


 それもこれも……。


(あの、のり弁の味……忘れられないポン……)


 残飯とは違う、柔らかい米――元気はないけれど、野菜も美味しかったし、人間が食べていた魚の揚げ物もとても美味しそうだった。


 それは隣に座るのが、人間ということを忘れるくらいに幸せな時間。


(ポン……)


 そして、たぬきはふと思った。


 そもそも、この人間だったから、弁当にありつけたのではないかと。


 実際、たぬきが出逢った人間は、公園で残飯を分けてくれるなんてことはなかった。


 姿を見たとしても、小さな子供が指を差して「たぬきだ〜!」と叫んだり、「ポンポンってお腹鳴らして〜!」などとよくわからないことをお願いしてくるばかりだった。


 大人に関しては、変な音の鳴る四角くて薄い何かを向けてくるばかり、そして近づいたら、離れていく。


 たとえ、飼い犬のようにお座りして、目をじっと見て待っていようとも。


(ということは……この人間は特別なのかポン?)


 ふと疑問を抱いたことにより、たぬきちは、まだ母親と父親と一緒にいた頃のことを思い出した。


(そういえば、あの時も誰話そうとしてくれなかったポン)


 山で遭遇した人間も、自分たちたぬきを畑を荒らす害獣として警戒することはあっても、対話を試みることなんてなかった。


 どれも間違ってはいない。

 野生動物と人間とでは分かり会えないものが確かに存在する。

 

(ポン……そうだったポン、お父さんもお母さんも言ってたポン……)


 そう、全員が口にしていた。

 人間はそういうものだと。


 だが、後ろで瞳を輝かせている沙也加は、彼が人間の言葉を話す自分を、野生動物であるたぬきを――嫌悪することはなかったのである。


 昔のこと、ついさっき起きた奇妙なこと。

 二つの出来事を照らし合わせたことで、たぬきは胸の内にお日様のようなあたたかいものを感じて、


「………キュイ!」


 もう一度姿勢を正してお座りし、頭を下げた。 


 こうして一匹の帰る場所を持たないたぬきは、帰る場所を得たのだった。

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