みんなのヒーロー、江ノ上沙也加
「おお、江ノ上さんが来たぞー!」
男性社員の一人がオフィスに戻ってきた沙也加を、まるで救世主が来たかのように呼び、他の社員たちもそれに続く。
家では、目も当てられないほどにポンコツ。
愛たぬきがいないと人間生活すらままならない。
だが、しかし。
お忘れかもしれないが、沙也加はその愛たぬき――たぬきち同様に、会社ではシゴデキとして評価されているのだ。
とんでもない誤解である。
けれど、その事実は誰も知らない。
もちろん、周囲からシゴデキ認定されているその本人――沙也加であっても。
(皆、疲れているんだね。うん、わかるよ……こんな時間まで、働いて帰るなんて、嫌だもん……たぬきち怒ってるかもだし――)
色々と違う気がするが、帰ろうという気持ちは同じなのだ……たぶん。
とにかくこの際、些細なすれ違いなどなんの障害にもならないのである。
「私に考えがありますので、任せて下さい!」
微妙なズレを抱えたまま、沙也加は自分の席に座って、たぬき愛がもたらした閃きを実行していく。
その案とは、契約を取り交わした製品と、今工場にある製品との共有部品を探すということだった。
(たぬきちも言ってたもんね! 献立を考える時、同じ材料でどれだけの品数を作れるかって――)
そして沙也加の頭の中には、プリント基板≒じゃがいも、半導体≒玉ねぎ入りホワイトソース、プラスチック≒チーズという、意味不明な方程式が浮かんでいた。
実にやばいやつである。
しかしながら、これが功を奏することになった。
周囲の社員たちが、沙也加の一挙手一投足に熱い視線を向ける中、彼女はものすごいスピードで在庫状況のデータを引っ張り出して、ソートと絞り込みをかけていく。
カタカタという、キーボードを軽快に叩く音と、マウスのクリック音が響き渡る。
真剣な表情で、表示された一覧を見つめる沙也加に、固唾をのむ社員たち。
そして――。
「……よしっ! いけました!」
沙也加が力強くも安堵感の伝わる声色でそう言い切った。
その瞬間。
社員たちからは、悲鳴まじりの歓声が漏れて、
「ふふっ、やっぱり皆帰りたかったんだね……」
と、ズレたまま沙也加は微笑んで、
「って、なんか忘れているような……あ――っ!」
パソコンの画面に表示された時間を目にして固まる。
(もうこんな時間?! や、やばい!)
表示されていた時間は、午後十一時四十五分。
胸の中には、ひと仕事終えた達成感より、絶望感が渦巻く。
(――終電のこと考えてなかった……)
家に帰ったら、美味しいご飯とビール、そして全てを包んでくれる――たぬきち。そのことしか頭になかったのだ。
やはり、どこまでいっても沙也加である。
けれど、まだその瞳は死んでいなかった。
(だ、大丈夫、今すぐ出れば間に合う)
終電二十分前――ここから、最寄りの駅まで徒歩二十分、走れば――ギリ、間に合う時間であったのだ。
沙也加は、すぐさま帰り支度を始める。
対して、今日中に帰れることが確定したことが、よほど嬉しかったのか、オフィス内は大盛り上がりを見せていた。
あちらこちらで涙ながらに抱き合ったり、お互いを讃え合ったりしている。
それはもちろん、沙也加と昼食を取る仲にまで発展した二人も例外ではなくて、
「まじで助かったわ……今日は詰んだと思ってたんだよ〜。もう、そろそろ年齢的にも完徹はできんって……」
彩音は、いつもにも増して本音を隠すことなくそう口にした。
そしてその隣に来た由紀は、沙也加の手を握ってブンブンと勢いよく振りながら感謝を伝えていた。
「本当にっ! 先輩がいてよかったですぅ―! 会社で朝を迎えるなんて、もうこりごりですもん!」
「あはは……大袈裟だよ〜!」
まさにヒーロー……その扱いに沙也加は照れ笑いを見せて応じる。
だが、
(早く帰らないと! 一刻も早く!)
その頭の中には全身の毛を逆立て、頬を膨らませるたぬきちの姿が浮かんで、
「藤咲さん、由紀ちゃん! あとは頼みました!」
そう告げて、オフィスを飛び出すのであった。




