これがシゴデキママたぬきのやり方
時刻は、夜十時。
一般的な家庭では、寝静まっていてもおかしくない時間帯なのだが――。
江ノ上家に限ってはそうではなかった。
「――でね? 由紀ちゃんってば、自分のことになったら、はぐらかすんだよ? ズルくない?」
この家の主、沙也加は、朝あった出来事を消化できないようで、愛たぬきこと、たぬきちにまるでマシンガンのように愚痴の集中砲火を浴びせていた。
もちろん、例のごとく、たぬきちお手製のおつまみセットとビールをお供に。
「ポン。それは大変だったポンね……」
真っ直ぐ瞳を見つめつつも、少しトーンを落として――尻尾を下向きにフリフリ。
たぬきちは、彼女が愚痴を言葉にしないと、ダメになる性格だということは、重々承知している。
だから、それは違うと思っても指摘はしない。
そもそもこんなシチュエーション何度も経験してきた。
やれ、会議だの、出張だの、同期が出世しただの。とにかく周囲の出来事に一喜一憂する。
しかも自分では変えることのできない事柄に関して。
だが、それも最近は、少しマシになっていた。
それもこれも――。
(ボクのおかげポンね!)
そう、四足歩行から二足歩行に進化した、シゴデキママたぬきのたぬきちによってだ。
しかしながら、今回はしつこかった。
言うなれば、よく混ぜた納豆のようにネバネバしている――いや、もっと粘りのある山芋にも引けを取らないかもしれない。
兎にも角にも、止まらないのだ。
(愚痴を口にするのも、頭の整理にいいって言ってたポンが……)
たぬきちの頭に浮かんだのは、家事の合間に観た医療系のYouTubeであった。
適度に消化できなかった出来事を誰かに言う。
口にしたことでそれは思い出となり、誰かと共有できたことでストレス解消になる。
けれど、それにも限度があるのだ。
良いことならまだしも、悪いことばかり口にしていたら、その事に囚われてしまう。
そんな動画も目にしたし、この三年間で嫌なほど身に染みている。
(ここは、早く話題を変えてあげないといけないポンね……)
そう考えたたぬきちは、沙也加の顔色を伺ってから、咳払いをひとつして、グイッと顔を近づけると一番効くカードを切った。
「ご主人! 小腹減ってないポンか?」
そう、そのカードは三大欲求の一つである食欲に訴えかけることであった。
仮にも霊長類の頂点に立つ存在としてどうなんだろう……そんな疑問が湧かないでもないのだけれど、これこそがこの状況でのベストアンサーなのだ。
なんともチョロいOLである。
(ご主人は食欲に訴えかければ、一発ポンからね……我が飼い主ながら、情けないような気もするポン……でも、背に腹は代えられないポン)
三年間といえば、たぬきにとって、まぁまぁな月日。
それも野生ともなれば、三年で生涯を終えることもある。それくらいに長い時間だ。
だが、沙也加は日進月歩どころか、自分がいないと一歩進んで二歩下がるなんてざらなのである。
実に嘆かわしい生態だろう。
そんな沙也加の生態系は置いておいて、とにかくこの悪態を変えるには、食欲に訴えかけるのが一番なのだ。
「えっ?! なんでわかったの?! 今、ちょうどお腹が減ったなーって思ってたんだぁ〜! というか、何作るの? たぬきちの料理はなんでも美味しいからなー! えへへ〜♪」
まんまとたぬきちの策に引っ掛かる沙也加。
きっと頭の中は、たぬきちが振る舞ってきた料理の数々で埋め尽くされているのだろう。
目元は緩み、じゅるりじゅるり涎を啜っている。
かなり、いやものすごーーーくはしたない。
だが、しかし、ここまで素直に蒔いた餌に食いつかれると、一種の関心すら覚える。たぬきちだって悪い気はしていなかった。
(良くも悪くも素直ポンね……)
目の前で満面の笑みを見せる沙也加に、呆れながらも顔が綻ぶ。
当然である。
成り行きとはいえ、特別だと思う存在に食い気味に、「なんでも美味しい」と言われたのだ。
この言葉を受けて、悪い気がする者はいないだろう。
少なくとも、たぬきちは嬉しかった。
「ポ、ポン!」
耳をピンと立てて、尻尾も上向きにブンブン振る。
けれど、たぬきちは、たぬき。
しかも、たぬきただのたぬきではない――シゴデキママたぬきなのである。
(あ、危なかったポン〜!!! このタイミングで問いただすポン……あのポテチのことを)
一瞬、感情を持っていかれそうにはなったが、そう忘れていなかったのだ。
ゴミ捨て場を荒らす、宿敵カラスとの戦いが無くなろうとも、心許す幸恵とのやり取りに乱されようとも。
さすがは、シゴデキママたぬきである。
「喜んでくれるのには、凄く嬉しいポン。でも、その前にいいポンか?」
たぬきちは、そういうとキランと目を光らせて、エプロンのポケットに手を入れた。




