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江ノ上さんの同居人は、犬でも猫でもなくて、シゴデキたぬきです!  作者: ほしのしずく


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困ったご主人

 

 時間は進み、午後七時。

 チョロOLこと、江ノ上沙也加は、自宅でビール片手に愛たぬきの手料理を満喫していた。


 ちなみに今日の献立は、外はカリッと中はふわっと生姜風味のあんかけがたまらない揚げ出し豆腐と、粗めに挽かれた落花生がアクセントの白和え、そしてしじみの赤出汁である。


「その後、課長が後ろに現れて、あの犬に宜しくって言ったんだよ! びっくりだよね〜!」


(ご主人……今日も愚痴が止まらないポンね)


 などと心の内で呟きながらも、たぬきちは空になったグラスにビールを注ぐ。


「ありがとう〜! たぬきち♪ でね――」


 お礼を告げたかと思えば、グラスに注がれたビールをゴクリと飲み干して、今日あったことをつらつらと語り始める。


 対して、たぬきちはいつも通り程よく相槌や合いの手を入れようとした。


「――ポン」


 ――が。


 ふと、先程の言葉が気になった。


(ご主人、今とんでもないことを言わなかったポンか?)


 沙也加が口にしたことと言えば、朝の会議が上手くいったこと。

 可愛がっている後輩、倉下由紀のこと。

 そして、たぬきちと同じくシゴデキな人間、高橋課長の話である。


(そういえば、課長とやらが、ボクのことを知ってるみたいなこと言ったポンね……)


 一体、いつ? なんて疑問に思いながらも、たぬきちはまず、晩酌でご機嫌、なにも気付いていない呑気なご主人に尋ねた。


「ご主人、さっきボクのことを知ってる人間がいるって言わなかったポンか?」

「え――っ?!」


 至極真っ当な指摘に固まる沙也加。

 

 一日の間に何度、驚くんだ? そんな指摘がどこからか飛んできそうではあるが、これが彼女の日常なのだ。

  

 そんなツッコミどころ満載な日常を繰り広げる沙也加は、まるで壊れた人形のように瞼を一回、二回、三回――閉じたり開けたりを繰り返して――。


「あっ! ああぁぁぁーーーーーーーー!!!」


 素早く立ち上がり、その勢いのままグラスと箸を放り投げて叫んだ。


 つかさず、たぬきちも動く。


「ちょっ――ポン!!!」


 けれど、無情にも一人と一匹の間を、黄金色のビールと共にグラスは宙を舞う。そして箸もまた意思を持っているかのように、左右違う方向に飛んでいく。


「ごめん! たぬきち!」


 その光景に、沙也加も諦めて瞬時に頭を下げた。


 これが人間の反射神経であれば、ほぼ間に合うことないだろう。きっと良くて片方を拾うことができるくらいだ。


 だが、ここにいるのは、たぬき。

 それもそんじょそこらのたぬきではない。

 三年間で、日本語を取得し、四足歩行から二足歩行になり、家事全般をこなす、スーパーシゴデキママたぬきなのだ。

 

「――任せるポン!!!」


 そういうと、目にも止まらぬ速さで、両手とフサフサの尻尾を器用に使って、順番に掴んでいく。


 まずはフサフサの尻尾でビールの入ったグラスを絡め取り、掴めたことを確認し、それとほぼ同時に右手と左手をめいっぱい伸ばして、キャッチ。


 からの、ビールをこぼさないようにそっとダイニングテーブルに置いて、くるりと一回転――絨毯の上に降り立った。


「おお! 凄い凄い! 今、サーカスの人みたいだったよ! というか、尻尾! 尻尾どうなってるの?!」


 なんとも呑気極まりないご主人である。

 だが、これも繰り返されてきた日常なのだ。


 たぬきちは、一回だけフン! と不満げな鼻息を鳴らすと切り替え、テーブルの四隅に置いていたたぬき柄の布巾を手に取って、僅かに飛んだビールを拭いた。


「あ、それくらいはするよー!」

「本当に大丈夫ポン……?」

「大丈夫大丈夫! 私も成長してるんだよ〜!」

「成長ポンか……」

「うん♪」


(ご主人、すぐに謝ってくれるし、優しいけど、ドジポンからな……)


 たぬきちの頭に浮かぶは、数々の失敗。

 たとえば、洗い物をお願いした時。


 さすがの沙也加であっても、洗うという行為自体はできる。

 

 けれど、


(泡が残っていたポン……)


 汚れよりも残っていてはダメな洗剤を洗い流せていなかったのだ。


 それだけではない。


 料理を任せれば、ボヤ騒ぎ、そして食材から炭素を錬成する錬金術師と化して、ひとたび掃除をお願いすれば、思い出に浸り始めて、どんどん散らかっていくのである。


(マジで、どうなっているポン……)

 

 どういう因果が働いたのかわからないが、家事全般を全くと言っていいほどできない。

 

(というか、会社では大丈夫ポンかね……? こんな感じで)


 沙也加の三年間変わらないポンコツ加減に、ふと不安になるたぬきち。


 これが目の前で、きょとんとしているお疲れOLならぬ、ポンコツOLなら切り替えることはできないだろう。


 だが、この悩みを抱えているのは、シゴデキママたぬきと化した、たぬきちなのである。


(ポン……そんなこと今、悩んでも仕方ないポンね。そもそもボクの役目はこのだらしなくて、どうしようもないご主人を支えることポン!)


 なんとも、沙也加が肩を落としそうな本音である。


 とはいえ、これがたぬきちが自らの課した役目なのだ。


 それに――。


「って、たぬきち〜! 聞いてる〜?」


(三年前は、こんなに元気じゃなかったポン)


 たぬきちが思い出すは、これまでの日々。

 仕事を終えて帰ってきたら、いつも涙目で。

 半額シールの付いたのり弁が、一番のご馳走で。

 ゴミを纏める気力もなかった。


 弱肉強食の自然界で言えば、生きていく力がないとされて、見放されるか弱い存在。


 けれど――。


(あの時、もしご主人がボクを拾ってくれなかったら、ボクはこの世界にいなかったポン)


 沙也加と出逢った頃、たぬきちが圧倒的弱者だった。

 でも、彼女はそんな自分を見捨てることなく、迎え入れてくれた。


 つまり、沙也加はたぬきちにとって、命の恩人なのだ。


 それがたとえ、三年間、私生活レベルが上がらないポンコツOLだったとしても! その事実は変わらないのである。


(本当に……困ったご主人ポン)


 昔を思い出して、しんみりしてしまうたぬきち。

 対して、二十八歳にして生活レベル成長上限を迎えた、ご主人こと、江ノ上沙也加は――。


「――あ、余計なことだったかな? じゃあ、たぬきちに甘えちゃおうかな〜!」


 彼女は笑顔を咲かせながら、たぬきちに近づいて頬をスリスリ、擦り寄せた。


「ポン……仕方ないポンね?」


 耳をピクッと動かして尻尾をゆっくり左右に揺らす。

 これはたぬきちがご機嫌な証拠。


 チョロOLほどではないが、まんざらでもないデレたぬきである。


 対して、沙也加もそんなたぬきちが可愛いようで、


「えへへ〜♪ ありがとうたぬきち♪」


 などと、抱きついたのだった。

 

 ちなみに、その翌日。

 もう一人のシゴデキである高橋課長が、どうしてたぬきちを知ったのか、一匹と一人は思い出し、慌てふためくのであるが……それは言うまでもない。

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