夢来香
シエラが手渡してきた夢来香を俺は捧げ持った。
「恩に着る! これで冷めても美味しい唐揚げが作れるぜ」
「まあ、いいけどさ……」
「で、これはどうやって使うんだ?」
「さっそく試してみるの?」
「もちろんだ。一刻も早く冷めても美味しい唐揚げの作り方を知りたいからな」
「だったら、うちのゲストルームを使わせてあげるわ」
そこまでしてもらう必要はない。
「いや、自宅で試すからいいよ」
「バカね。夢来香を使うには魔導士の補助がいるのよ。正しい記憶を辿りたいのなら私に任せなさい」
こと夢に関する限り、夢幻の魔女に匹敵する魔導士はいないだろう。
つまりシエラが適任ということである。
「いいのか?」
「ここまできたら付き合ってあげるわよ」
「で、どうすればいい?」
「ライガは思い出したい記憶を強く念じながら寝ればいいだよ。あとは私が補助するわ」
「緊張で寝られる気がしないんだけど」
「夢来香には強力な催眠効果があるから、その点は心配いらないわ」
余計な雑念が入らないよう、儀式は俺とシエラだけで行うそうだ。
ひとつ心配事がある。
「俺が寝ている間に襲ったりしないだろうな?」
「そんなことしないわよ!」
リリカが請け負う。
「私とパリピさんで部屋の外を警護します。師匠は安心して眠ってください」
「う~ん、シエラに寝顔を見せるのかぁ……」
「ライガの寝顔くらい飽きるほど見ているわよ! いまさら恥ずかしがらないで」
「師匠の寝顔を見慣れている?」
パリピが首を傾げた。
「なんども寝顔を見た……、つまりおふたりは……」
自分の失言にシエラも気づいたらしい。
顔を赤らめて怒り出す。
「やるの? やらないの? どっち!?」
「やります。補助をよろしくお願いします!」
俺に選択肢はなかった。
ベッドのあるゲストルームでシエラと二人きりになると妙な気持ちになった。
こんなシチュエーションは八年ぶりである。
喧嘩ばかりだったけど、シエラとの暮らしは楽しいこともたくさんあったのだ。
ふたりして魔窟を探索し、夜は魔導のことについて語り合い、愛の営みも数えきれないほどあった。
そんな遠い過去が鮮明によみがえって戸惑いを感じてしまったのだ。
「余計なことは考えないでね。ライガは唐揚げとやらのことだけを念じるの」
「わかっているさ……」
そう、いまは感傷に浸っているときではない。
優先させるのは美優との思い出と唐揚げのことだ。
あの日の記憶を思い出せ。
美優とふたりで唐揚げのレシピの動画を探したあの日のことを……。
シエラが夢来香に火をつけ、甘い煙が部屋に充満していく。
とたんに、眠気が襲ってきた。
「シエラは眠くならないのか?」
「ちゃんと考えてあるわ。ライガはただ眠ればいいのよ。ぜんぶ私にまかせてくれればいいわ……」
意識が途切れる寸前のシエラはやけに優しく見えた。
***
ぼんやりとした視界がはっきりしてくると、そこは懐かしい前世の家だった。
郊外の細かく分譲された住宅地の一角。
二階建ての小さな家。
猫の額ほどの庭には赤い自転車と青いロードバイクがとめてある。
赤は美優の、青は俺の自転車だ。
生まれ変わっても思い出せる、こここそが平賀明彦の生家だった
夢うつつのまま俺は玄関のドアノブに手をかけたが、つかむことはできなかった。
記憶の世界では物理的な接触はできないようだ。
認識できるのは視覚・聴覚・嗅覚の三つだけみたいである。
まるで幽霊にでもなった気持ちで俺は玄関の扉をすり抜けた。
「お兄ちゃん、早く、早く!」
リビングの方から美優の声が聞こえる!
俺を呼んでいるのか?
足音を立てることもなく、ふわふわとリビングの方へと漂っていった。
「お兄ちゃん、早く検索してよ」
美優が俺に向かって話している!
俺の姿が見えるというのか?
だが、それは勘違いだった。
俺の姿をすり抜けて、前世の俺・平賀明彦がリビングに入ってきた。
美優は俺の後ろにいた明彦に声をかけただけだったのだ。
明彦は思い出にある高校の制服を着ていた。
時刻は午後四時。
まだ学校から帰ってきたばかりなのだろう。
「急かすなよ。すぐに調べるからさ」
前世の俺は、いまの俺よりずっと優しそうな顔をしていた。
「リクエストは唐揚げだったよな?」
「うん、卵焼きと唐揚げ」
「野菜も食べないとだめだぞ。ブロッコリーとプチトマトも入れるからな」
「私、お弁当を残したことないよ。おにぎりは昆布がいいな」
すべて思い出した。
明日は小学校で学年交流というのがあって、二年生の美優は五年生のお姉さんやお兄さんとお昼ご飯を食べる日なのだ。
美優が恥をかかないようにと、俺も気合を入れていたものだ。
明彦はラップトップの前に座り、美優はその様子を肩越しに眺めている。
「重いよ、美優」
「いいから、いいから」
明彦に甘える美優を見て、胸が締め付けられた。
明彦は【冷めても美味しい唐揚げ】【お弁当】などのワードで動画を検索していく。
リストにならんだ一つを指さし、美優が声を上げた。
「これがいい。これが美味しそうだよ」
「じゃあ、見てみるか」
そう、この日はいくつか視聴したけど最初に見た動画がいちばんよかったのだ。
俺は明彦と美優と一緒に動画を覗き込む。
間違いない、この動画だ。
どんな些細なことも見逃さないよう、俺は画面に顔を近づけた。
やがて、動画が終わると美優は立ち上がり、キッチンの方へ駆けこんでいった。
明彦は違う動画を開いてメモを取りながら見ている。
しばらくすると美優は空の弁当箱を持って戻ってきた。
「明日はこれにお弁当をつめてね」
「すっかり、お気に入りだな」
猫のプリントがついたかわいいお弁当箱だ。
まだ、買ったばかりで新しい。
でも、そのお弁当箱は一年後に美優と一緒に道端に転がることになる。
「美優、自動車だ! 自動車に気を付けるんだっ!」
どれだけ叫んでも俺の声は美優には届かない。
絶望の中で目の前が白く霞んでいく。
もう少し……、もう少しだけこの世界にいさせてくれ!
俺の願いは虚しく、周囲は白い霧に包まれていった。
***
魔力を調整しながらシエラはライガを見守っていた。
夢来香は決して安全な魔法薬ではない。
ライガの脈を測りながらシエラは慎重に魔法を展開させていく。
目の前にあるライガの腕は、かつてシエラが知っていたものより逞しくなっていた。
「美優……」
不意にライガが寝言をつぶやいた。
誰かの名前のようだが、シエラに心当たりはない。
だが、絶対に女の名前だとシエラは直感で悟った。
自分でも驚くほど嫉妬の念が湧いたが、次の瞬間、シエラはその嫉妬を忘れた。
ライガの両眼から涙がこぼれていたのだ。
「ライガ、辛い夢を見ているの……?」
ハンカチを出してライガの頬を伝う涙をそっと拭う。
数年の付き合いがあったふたりだが、シエラがライガの涙を見るのは初めてのことだった。
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