泉に水を汲みに行く
3本目
まだ薄暗い時間にやってきたリリカは溌溂とした笑顔をしていた。
弟子入り初日の高揚感に包まれているようだ。
「おはようございます、師匠! 今日は遠出と聞きましたが、仕入れですか?」
リリカの態度から仕事に対する真摯さが伝わってくる。
あまりにピュアすぎて、まっすぐにこちらを見つめてくる顔がまぶしいくらいだ。
「食材調達には違いないけど、仕入れではないな。泉まで水を汲みに行くんだ」
「はあ、お水ですか……?」
リリカはピンときていないようだ。
「料理の美味さは使う水によって変わる。水には硬水と軟水があって、用途によって使い分けたいんだ」
一般に、軟水は食材のうまみを引き出すのに役立つと言われている。
和食における煮物などをつくるには軟水の方がいい。
逆に、肉料理やパスタなどは硬水で作る方がよいとされる。
煮込みをつくるときなどは肉の臭みを取ってくれるからだ。
都の近所でとれるのは硬水なので、軟水を手に入れるには遠くまで行く必要があった。
「さすがは師匠です。で、どこまで行くのですか?」
「レビの泉だ」
「わかりました! ……って、レビの泉ってブロント山の中腹にある!?」
「よく知っていたな。あそこの水は最高に美味いんだ」
リリカは目を丸くして驚いている。
「そうかもしれませんが、都からだと100キロメートルは離れていますよ?」
「そのとおり。だから、走っていくぞ。日が暮れる前に帰ってきたいからな」
「ふぇ? 走っていく……?」
「そうだ。弁当屋は体力がなければ務まらない。無理だというのなら一人でいってくるが……」
諦めるかと思ったけど、リリカは逆にやる気を見せた。
「よ~し、燃えてきたぞ!」
「おい、本当についてくるのか?」
「言ったじゃないですか。私、体力には自信があるんです。師匠の足を引っ張らないようにしますから、よろしくお願いします!」
リリカは元気よくそう言うと、屈伸運動をはじめた。
服に隠れて見えないが、悪くない筋肉のつき方をしているようだ。
これなら問題ないかもしれない。
「それじゃあ、さっそく出かけよう」
リリカはナイフだけを装備、俺はなにも持たずに出発した。
城門を出て街道を進むうち、地平線に日が昇った。
時速22キロほどで走っているが、いまのところリリカに疲労の色は見えない。
冒険者として訓練を積んでいるからだろう。
普通の人間なら十分ともたずに息が上がっているはずだ。
「師匠、足が速いんですね!」
リリカは目をキラキラさせながら尊敬の念を込めてこちらを見ている。
「弁当屋の基本は体力だ。これくらいは走れないとな」
「さすがは師匠です! 私も精進します」
「リリカこそたいしたものだ。話しながらここまで走れるんだからな。エターナルフォースのメンバーだっただけはある」
「私なんて下っ端ですよ。みんなすごい人ばかりだったけど、リーダーは化け物じみていましたから」
出発してから三十分が経過していたが、リリカはまだ余裕がありそうだ。
「よし、もう少しスピードを上げるぞ」
「はいっ!」
俺たちは会話をやめ、走ることに集中した。
一時間くらい経つと、リリカの顔に疲労の色が滲んできた。
呼吸は荒く、汗が止まらなくなっている。
「そろそろ休憩にしよう」
じょじょにスピードを落とし、大樹がつくる木陰で俺たちは足を止めた。
上半身を折り曲げ、膝に手を置いてリリカは呼吸を整えている。
「疲れたか?」
「ハア、ハア……平気です……。師匠はどうして……ハア、ハア……、息が乱れていないんですか……?」
「弁当屋だからだ。うちは食材の調達を自分でやることが多い。特に、可食魔物を使ったおかずは弁当屋ライガの名物だ」
怪鳥ロックの卵を使った卵焼き、グレートブルのステーキ弁当、ワイバーンの竜田揚げなどがそれにあたる。
「獲物を狩るには方々へ出向かなければならない。体がなによりもの資本だぞ」
「やっぱり、師匠はすごいです!」
呆れるかと思ったけど、リリカは目を輝かせていた。
「先はまだ長い。少し手伝おう」
「え?」
レビの泉まで、残り80キロメートルほどあるうえ、帰りの余力も必要だ。
このままだと完走は難しい。
俺はリリカの体に手のひらを向け、回復魔法を送り込んだ。
俺の手から注がれた柔らかな緑色の光がリリカの体を包んでいく。
「ど、どうして師匠が回復魔法を?」
「弁当屋だからだ」
「いやいやいや。普通、回復魔法が使えるのなら治癒師になるじゃないですか?」
「ん? 治癒師になりたいと思ったことはないな……」
ソロ活動をしていた俺にとって、回復魔法は必須の魔法だっただけだ。
だから覚えただけのことである。
「エクストラヒールをかけた。これでもう大丈夫だろう」
「そ、そんな……」
リリカは信じられないといったようすで自分の体を確かめている。
「リリカ、聞いておきたいことがある。もし、回復魔法を使えるようになったら、リリカは治癒師になりたいのか? いや、べつにそれでもかまわないのだが」
「そんなことはありません! 私がなりたいのはお弁当屋さんです」
嘘偽りのない目をしていた。
弁当屋になりたいという気持ちは本物なのだろう。
「そうか、だったらいい」
「師匠、お弁当屋さんとして、私も回復魔法を学んだ方がいいのでしょうか?」
「うむ……。必ず使えなければならないということはない。だが、高みを目指すのなら覚えておいて損はないだろう。修行中は包丁で手を切ることがよくある。油がはねて火傷だってするだろう。そんなとき、エクストラヒールがあれば便利だ」
不安そうに、リリカは自分の手を見つめた。
「私、立派なお弁当屋さんになれるのかな……?」
「おいおい、修行初日でもう諦めてしまったのか?」
「そ、そんなことはありません! でも、不安になってしまって……」
弁当修行の道は長く険しい。
まだ十代のリリカが不安になるのは仕方のないことだ。
「よし、手のひらを俺の方へ突き出してみてくれ」
「手を? わかりました」
ためらいも見せず、リリカは俺の方へ手を突き出した。
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