ナジカの肖像
彼女の写真を机の傍らに置きながら、私は今これを書いている。
彼女は私にとって、とても大きな意味合いを持つ人間であった。
ただの医師と患者という関係でもなく、また友達のような関係でもない。かといって恋人であったかというと、それは違う。
実際、私は最終的に彼女を心から愛した。
しかしその思慕の情は恋人同士が抱くようなものではなく、むしろ親が子に抱くようなものだったようにも思う。
彼女に出会ったのは、二年前のことだ。
私はこの国に軍医として出向いた。この国の内戦の終結後、治安維持と福祉活動、そして反政府勢力の抑圧のために、各国から部隊が派遣された。我が国も例外ではなく、山岳の麓にある農村近くに駐屯することとなった。その兵士たちの健康管理のため、私も同伴してこの国にやってきたのだった。
この国は国土の大半を砂漠や山岳地帯が占め、土地は痩せており、作物も数年毎に旱魃に見舞われる。
しかし近年の調査で、砂漠の下に豊富な地下資源が埋蔵されていることがわかったのだ。
先の内戦も、表向きには政府と反政府勢力の宗派対立のように報道されていたが、実際のところは、この資源の採掘権をめぐる対立である。
軍部及び都市部の富裕層からなる政府派と、農村部の貧困層を味方につけた反政府ゲリラ勢力の内戦は実に4年にも及んだ。
その終止符を打ったのは、我が国による軍事介入だった。
我が国は政府側と資源の貿易協定を結び、そして反政府勢力を鎮圧した。
内戦後、私の部隊が駐屯した村は、反政府勢力の拠点のひとつだった。
・・・村は閑散としていた。
畑だったと思われる場所には干からびた黍の茎が数本、傾いで生えているばかりだ。
ただ、川には滔滔と山からの雪解け水が流れ、そこだけが遅い春の訪れを告げていた。
村民の多くは、私たちから目をそらすようにする。村の近くに駐屯しているのだから、否が応でも顔は合うわけだが、それでも決して私たちに笑顔を見せるようなことはなかった。
もっとも、この村の財政がもう破綻していることは火を見るより明らかだった。
出会う人の頬は皆一様にこけ、満足な食べ物もないだろうことが想像に難くなかった。
春だというのに村民は誰一人畑には出向いていなかったし、苗を育てている様子もない。誰もが皆、諦めているのだ。
遠くない村自体の終焉を前に、村民はただ呆然と立ち尽くしているような印象を受けた。
村民が農作をしない理由は旱魃のほかにもう一つある。
彼らには、手首から先がないのだ。
恐ろしいことだが、この国の軍が村民が二度とゲリラ活動に参加できないよう、村民の手を切り落としてしまったのだ。大人だけでなく、将来反政府勢力に加わる可能性があるという理由で、子供までも。
内戦が終わっても、この傷は癒えることはない。
いくら復興という名の下で、国土の傷を癒そうとも。
幸いというか何と言うか、私のいた部隊の隊員は全員がすこぶる体調がよく、ほとんどの時間私は仕事がなかった。もちろん外地の水に当たって腹痛を起こした奴は大勢いたが、それもほんの最初だけのことだった。
私は村に診察に出ることが多くなった。私の意志だけでなく、上からの要請もあったためだ。お偉いさんに言わせると、『国民の健康促進も復興の一つ』だそうだ。そんな事を言うより、両手をちょん切って寄付してくれればどんなにいいだろう。
村の診療所は診療所とは名ばかりのまるで廃屋だったが、連日多くの村民がやってきた。
腕はたいていの人は完治していたが、炊事をする女性は腕の先を傷つけ化膿して熱を出し担ぎ込まれるということが度々あった。長い内線の間に流れ弾に当たり、それをずっと摘出できないまま過ごしてきた人の手術も何度か行った。
ある日の夕暮れ時だった。
その日は栄養失調の乳児に点滴を打っていたのだが、それが済んで私は帰ろうとした。
その時である、私は診療所の戸口に誰かが立っているのに気がついた。
背格好からして大人ではない。
「君、お父さんかお母さんから、薬を貰ってくるよう頼まれたんじゃ…」
私が声をかけると、彼女・・・背中まである長い髪でそれと判った・・・は、くるりと踵を返し、外へ駆けていった。
それが彼女に会った最初である。
私はそれからしばらく、彼女から感じた違和感について考えていた。
そして駐屯地で転んで捻挫したという新米兵士の治療をしているときに、ふとそれに思い当たった。
彼女は、私のことを凝視していたのだ。
あの背中越しでもわかる、突き刺さるような視線。
あれは、憎しみ・・・・・
彼女が二度目に村の診療所を訪れたのは、その後一週間も断たない内だったように思う。一度目とはうって変わって、彼女はおずおずと診療所に入ってきて、当たり前のように順番を待ち始めた。その視線は穏やかで、あの時なにか感じたのは私の思い違いだったのではないかとさえ思えた。
診察の順番が回ってくると、彼女は自分の父がリウマチ持ちだといい、湿布をもらいに来たのだと答えた。
私の記憶では、この村の誰かにリウマチ用の湿布を処方した覚えはない。私は不思議に思いながらも、湿布を処方した。
湿布をもらってからも、彼女は診療所から出て行こうとしなかった。
午後の診療が終わったが、彼女はまだ椅子に座っている。
私が道具類を片付けて立ち上がると、彼女は私に笑いかけて、
「お医者さん、私も駐屯地の近くまで一緒に行っていいですか」
と、言った。
彼女の言うには、兵隊さんの邪魔になるからということで、いつもはそっちまで行けないのだそうだ。
私たちは駐屯地までの帰り道、彼女の家族や軍での生活について色々と話した。しかし私はそんなに現地の言葉に堪能なわけではなかったので、何度も辞書をひいては道草を食った。おかげでいつもは三十分もかからない帰り道が一時間近くかかった。
彼女の名をナジカと言った。
そのとき歳は十六歳だと言っていたが、私にはもう少し大人であったように思われる。この国には普通だが、癖のある黒髪で、同じく黒い瞳をしていた。
一人で村はずれの家に暮らしており、父親は一年のほとんどを町で暮らしているため、滅多にこの村には帰ってこないそうだ。湿布は父親に送るのかと訊くと、彼女は俯いて小さく頷いた。
その翌日からだった。
私が軍での仕事を済ませ診療所にやってくると、いつも彼女が先にいて、私のことを待っていた。おかげで私は仕事の合間にも話し相手には事欠かなかった。
彼女は私の話をなんでも聞きたがった。日常の他愛もないこと、私の母国のこと、この国の他の場所のこと、世界のこと。
そして私のいる軍や、彼女の国の情勢のことも。
私は気づいていた。私がそういった話をする度、彼女が私にそれと悟られないようにしながらも、注意深く聞き耳を立てていることに。
その危うい関係のまま、幾週間かが過ぎた。
彼女はすっかり診療所に居つきっぱなしになり、いつのまにか私のする治療を大体覚えてしまった。そして彼女はしばしば、私の仕事を手伝ってくれるようになった。
珍しく、雨の降る夜だった。
突然、帰り支度を終えた私の耳に、激しく戸を叩く音が聞こえた。いつものように遅くまで残っていた彼女が戸を開けると、そこには若い男と彼に肩を支えられるようにして立っている、臨月の様相を呈した若い妊婦が立っていた。
普通、この国では出産は自宅で行われる。
妻が破水して一時間経ったが、一向に子供の生まれる気配がない。妻の意識も朦朧としてきて危険を感じたのだ、と若い夫は私に説明した。
腹部を触診し、私はすぐに気がついた。これは逆子だ。
私は妊婦を寝かせ、ナジカに産湯を沸かすよう頼んだ。
妊婦は額に玉のような汗を浮かべ、浅い呼吸を繰り返している。私はなけなしの強心剤を妊婦に打ち、そして腹をくくった。
もちろん実習くらいは学校で受けたことがある、しかし私の専門はあくまで外科であり、産婦人科の医学知識などないに等しい。その私が今、赤子を取り上げなければいけないのだ。
二人の命がかかっている。
私は失敗する訳にはいかなかった。
・・・ナジカは少し取り乱しているように見えた。産湯の用意を終えたが、彼女なりに他に何ができるかとひどく焦り、診療所の狭い室内を右往左往している。
若い夫は床にしゃがみこみ、ひたすら妻と子供の無事を天に祈っていた。
私はようやく出てきた赤子の右足を掴んだ。
妊婦のいきむ声が一際強くなる。
そして
一瞬の沈黙、
それを破ったのは、小さな命の勝ち鬨だった。
雨の音と緊張感が充満していた診療所を、その声が今度は安堵で満たしていく。私から赤子を受け取った若い母親は、震える腕で、そっとその命を抱きしめた。
ナジカは半ば呆然として、安堵の涙を流す若い夫の隣で何も言わずに立っていた。むしろ、何も言えなかったのだと思う。現に私もそのとき、重大な仕事を終えた安堵の息をつくより他は、何もできなかったのだから。
妊婦は小さな声で言った。
この子は、この村の希望なのだと。
この子供は、当たり前だが両手があった。
村の人々が皆手をなくしてから、初めて生まれた子供だった。
私はへその緒をはさみで短く切ってから、ナジカに産湯を任せた。
彼女は腕で赤子を壊れ物を扱うように抱え、温かいお湯を張った洗面器にそっと浸けた。温かいお湯に安心したのだろうか、赤子は泣き止んで大人しく彼女に身をゆだねる。
彼女はまだ緊張しているようだったが、その目にはやさしい笑みが浮かんでいた。
産湯を無事済ませ、彼女がタオルできれいに体を拭いてやっていると、不意に赤子が彼女の腕の先を握った。
赤子は口を動かし、何事か呟いたようだった。
彼女は微笑んだ。
それは確かに握手であったのだと私は思う。
あの瞬間、きっとあの二人の気持ちは通じあっていたに違いない。
翌日から、ナジカは私に医療を教えてほしいとせがむようになった。
もちろん村人の診療は彼女にも事細かに説明しながら行ったが、それでも飽き足らない彼女のため、診療所に、この国の『家庭の医学』にあたるものを一冊置いた。彼女はよくそれを開いては、自分も人の命を助けられるようになりたいと、まるで独り言のように繰り返していた。
ある日、ふと彼女の腕を見ると、古い傷跡があることに気がついた。
切り落とされた腕の傷ではなく、それよりももう少し上の場所に、きつく結んだ紐がこすれたような、腕を一周する薄い痕。
彼女に訊くと、彼女ははっとしたように押し黙った。
そして小さい声で、ペンを持とうとしたのだと言った。
この腕ではペンが持てないから、うまく父親に手紙が書けないのだと。
だから腕に紐でペンを結び付けて、何度も何度も字を書く練習をしたのだと。私は胸突かれる思いがした。
義手がほしい、と彼女が呟いた。
義手があればまた前のようにものを掴める、字を書けるよね、と彼女が訊く。私は答えられなかった。
私は彼女に提案した。
君はこの診療所で、私の助手をやってほしい。
その代わり私は君に、ちゃんと給料を支払うと。
彼女は少し驚いた顔をしたが、しばらく考え込んだあと、小さく頷いた。
彼女はすぐに看護師の位置に落ち着いた。
それまで彼女はいつも、着古して裾の延びきったTシャツに色褪せた丈の短いズボンという出で立ちだったが、私がそれでは清潔感がないと言って軍の白衣のあまりを持ってくると、すっかりそれが気に入ってしまった。ちょっと長すぎないかと心配したが、ナジカは腕まくりして着て、自信たっぷりに大丈夫だと返事をした。
秋も深まって肌寒くなり始めたある日、珍しく私はナジカより先に診療所に着いた。
診療所には早起きのお婆さんがいて、朝一の診察を待っていた。
いつもは腰痛の様子を聞き、薬を処方しておしまいである。
しかし私はふと思いついて、ナジカのことについて訊いてみた。
ナジカの家族について聞くと、お婆さんはナジカに家族はいないと答えた。
母親は戦時中に栄養状態の悪化で病死し、父親はゲリラの首謀者の一人で、軍に射殺されたのだと。
そして十二月の末になった。
私は軍からの給与を貯め、義手を買った。もちろん、思い通りに動かせる神経義手のような高価なものは買えなかった。
これは私の自己満足に過ぎなかったのかもしれない。
・・・それでも、私は彼女に手を贈りたかった。
私は、その日の診療が終わって帰る道で、彼女に義手を贈った。
彼女はひどく驚いて、それでも最終的には箱を受け取った。
しかし、彼女のその表情は私の予想していたものとは違っていた。
彼女は、困惑していたのである。
翌日、私が診療所に来ると、ナジカはまだいなかった。
棚から今日来ることになっている患者のカルテを取り出し、整理する。五人目まで終えたところで、私は背後からの視線に気がつき、振り返った。
戸口に、彼女が立っていた。
不意に既視感を覚える。初めて彼女に会ったあの日と、よく似ていた。
朝日を背にした彼女の表情は窺い知れない。
その手に、何かが握られていた。
金属が光を反射している・・・・。
「ナジカ・・・?」
私は声をかけた。
彼女は何も言わず、また動きもしなかった。
いや、
ひょっとしたら、彼女の細い肩は震えていたのかもしれない。
長い沈黙の後、硬い金属音を立てて、地面に錆び付いた鎌が転がった。
彼女も土に膝をつく。
そして、彼女は泣き出した。
私はどうしたのかと彼女の元へ駆け寄った。
彼女は泣きじゃくりながら言った。
初めて会ったあの日から、あなたを殺そうと思っていたのだと。
「村の人を不幸にし、父さんを殺した軍が憎い。
軍に味方したあなたの国が憎い」
これが自分のできる唯一の復讐だと思って、その憎しみを支えにして生きてきたのだと。
「復讐のためなら、父さんみたいに命を投げ出してもいいって思ってた。
けど、赤ちゃん見て、私・・・・」
彼女は言葉に詰まり、俯いた。
「・・・・あなたみたいに、人の命を助けられるようになりたい、って、思った」
彼女は悲しそうに首を振り、義手を胸に抱いた。
「この腕の傷は、ものを書く練習をしたんじゃない。手がなくなってからも、この腕に銃を縛り付けてたから、ついた」
彼女は義手で傷を指す。
「腕にくくりつけて、引き金に糸をつけて、引いて」
それで、と彼女が続けようとしたが、もう言葉にならなかった。
「そんな私が、人の命を助けられるようになりたいなんて思うのは、許されますか」
嗚咽の中に、途切れ途切れに言葉が浮かぶ。
「はじめ、あなたから軍のこと聞き出して、殺してしまおうと思っていた。
けど、あなたとても優しかった。
私、あなたのこと父さんみたいに思った。
それ、いけないこと・・・
こんなに大切に思ってしまったら、手があっても、あなたのこと殺せない・・
これじゃ、復讐できない・・・
・・・・あなたがくれたこの手じゃ、あなたを殺せない」
彼女に贈った義手には、麻紐が巻きついていた。
これで鎌を握ろうとしたのか。
自由に動かすこともできない、この樹脂製の義手で。
彼女は泣きながら、小さな声で繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
私は何か言わなければいけないと思ったが、言葉は何も出てこなかった。
私はただ、彼女が泣き止むまで静かに彼女を抱きしめ、頭を撫でていた。
翌日、彼女は診療所に来なかった。
その翌日も、翌々日も。
そしてそれっきり、彼女は診療所には来なかった。
村人に訊いたが、彼女の消息を知るものは誰一人いなかった。
それから半年が過ぎたころだろうか、私の元に一通の手紙が届いた。
彼女からだった。
『拝啓 お医者さんへ
さよならも言えず、申し訳ありません
でも、今、私は元気です
今は首都で、働きながら定時制の学校へ通っています
いつかまた会えたら、そのときはきっと
あなたに ありがとうと言えると思います
そのときは、私も
人の命を救えるようになっていたらいいと思います
お元気で
ナジカ』
私はことあるごとに、このタイプライターで綴られた手紙を読み返しては、彼女の将来が幸せなものであればいいと祈った。
両手がないのでは、できることも限られてくるだろう。しかしそれでも、彼女はその道を選んだ。
自分に何ができるか、そう考えた結果のものであるなら、私はそれを心から応援したいと思った。
そう、思っていた。
先日、この国の空軍が市街地において空爆を行った。
ゲリラ組織の関係者が潜伏していたのだと政府は発表した。
その容疑者の名も、新聞には載っていた。
信じたく、なかった。
・・・・それが、彼女の名前であると。
我が国のマスコミは取り上げた。
・・・軍が爆撃したのは、医療福祉専門学校だったと。
我が国では、これは誤爆だったのではないかと世論が高まっている。
あれから私はずっと、彼女の手紙と彼女の写真を見比べて過ごしている。
・・・彼女は、もういない。
私はこれを書き終えたら、彼女に会いに行こうと思う。
写真の中の彼女は屈託のない笑顔をしているが、また会えたら、彼女は変わらず微笑んでくれるだろうか。
・・・・・ナジカ。 今、君の元へ行く。