氷極院凍菓というお嬢様
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聖オーリア女学院。広大な敷地の中に小中高の校舎がそれぞれ並び、一貫した教育とともに個人の意思を尊重した指導を掲げている。
その高等部の敷地にある室内運動場ではいくつかの運動部が汗を流していた。フェンシング部に所属している氷極院凍菓は、他の部員とともに練習用の剣を握っていた。先が丸められた細剣。それを決めれた型のとおりに、ゆっくりと振る。
剣先どころか構える指先、伸びた足先まで意識が通ったそれはまるで優雅に踊っているようにも見える。
同じように練習をしていた他の女生徒たちは、自然と凍菓の動きに見ほれ止まっていた。
最後の突きが終わり、残心を経て型が終わる。女生徒は自分たちが練習の手を止めていたことを思いだし、あわてて練習に戻った。
女生徒たちと同じく見ほれていた顧問の教師が、凍菓に話しかけた。
「素晴らしい演武でしたよ、氷極院さん。いつも以上に熱が入っていたようだけど、何かありましたか?」
「いいえ、大したことはありません。ただ、演武しながらの方がより集中できると思ったので、その予行演習です」
「予行演習ですか?どういうことでしょう」
「すいません先生。個人的なことなので、話したくありません」
「まあ、そうなの。ごめんなさいね」
教師と凍菓の会話に、近くにいた女生徒たちが浮つく。
「きっと迷宮に関することよ」
「氷極院さんのお家は迷宮探索の大家ですものね」
などとあちこちで囁いている。
探索者に興味はあるが様々な理由で迷宮に入らない。フェンシング部をはじめとした武道系運動部にはそういう者が多い。そして探索者エリート家系である凍菓のすることに、みな興味津々であった。
面と向かって話すのは恥ずかしいけど、会話が聞こえちゃうんだから仕方ないよね。そういう建前で耳をそばだて近くの同士と内緒話をしている。
それに教師は気付かず、むしろ教師自身が詳しい話を聞き出そうとしている。
部員たちの練習の手は止まっているのに教師はそれが見えてないから注意ができない。もはや部活動ではなく噂話の満ちる空間になっていた。
「氷極院さんは教師をもっと頼ってくれていいんですよ」
「ありがとうございます。ですが本当に大丈夫なのです」
「遠慮しなくていいんですよ。考えを口に出すだけでも楽になりますから」
「あの、先生」
「安心してください。他の誰にも言いませんから」
「そうではなくて」
教師と凍菓の会話がループを繰り返しそうになった時、それを破壊する者が外からあらわれた。
「みなさまごきげんよう!こちらに氷極院さんはいらっしゃいますか?」
大きな声で、大きな態度で入ってきたのは、この学園の一部で有名な女生徒だった。
扉から堂々と入ってきた彼女を見て、部員たちが眉をひそめる。
「あの人誰かしら」「知らないの?ほら、編入組の成金の子よ」「あ、あの礼儀知らずで常識知らずの」「まあ、やっぱりそうだったのね」
あちこちで起こるささやき声。しかし彼女――金満愛奈――はそれが聞こえていないように周囲を見渡し、目的の人物を見つけ出した。
「氷極院さん、ごきげんよう!先日お話ししたものが用意できたのでお持ちいたしてございますわ!」
「金満さん?……先生、この場は失礼します。金満さん、お話は外でしましょう」
凍菓は慌てて金満の手を引く。練習場の外へ連れ出された金満は首を傾げた。
「いきなりどうしましたの?ひょっとしてわたくしお邪魔でしたか?」
「いいえ、むしろちょうど良かったです。気分転換のために外の空気が吸いたかったの」
「そうだったのですね。なら良かった」
凍菓と金満は微笑み合い、それから話を仕切り直す。
「ところで金満さん、今日はどういったご用件なのかしら」
「そうでしたわ。どうぞこちらを受け取ってください」
金満が差し出したのは、白い花の装飾がされたポーチだった。
「こちらは?」
「はい、先日お話したアイテムポーチですわ。完成したものを真っ先にお持ちしましたの。後で使い心地を教えてくださいね」
「迷宮で言っていたあの?もう完成したのですね」
「あらかじめ学内の部活に声をかけてありましたので、あっという間でしたわ。デザインを同一にすることで費用を抑えた代わりにカラーバリエーションを増やすことでニーズに対応しましたの。手作業なので量産が難しいですが、お値段がけっこうするので供給とのバランスはあまり心配していませんわ」
「そ、そうなのですね」
「氷極院さんに普段使いしていただければ話題性もバッチリ。わたくしに連絡いただければすぐにご用意したしますわ」
意外と考えているのねという感想が凍菓の脳裏に浮かんだが、表情にも出さずに話を続ける。
「わかりました、喜んで使わせていただきます。学外でしたら問題なさそうですし」
「よかった。それではこれで失礼させていただきます。ごきげんよう」
「待ってください金満さん」
上機嫌で引き返そうとする金満を凍菓が引き留める。
「はい、どうかしましたか?」
「ええと、その……。次に迷宮に行くのはいつがいいかしら?」
「そうですわね。予約してるのは週末ですけど、明日なら時間は作れますわ。鈍川さんはいつも迷宮にいるみたいですし」
「そうなのですね。なら明日の放課後はいかがでしょうか」
「ではそういたしましょう。よろしくお願いしますわ」
そういうことになった。
◆
夜。氷極院家の運動用の一室で凍菓はまだ練習をしていた。今は灯火の短剣を突き出すように掲げて、魔力を安定させようと苦心している。
ずっと続けていたため集中が切れ、光が消えてしまったところでようやくひと息つく。
いつの間にかにじんでいた汗を拭き用意してあったドリンクを手に取ったとき、部屋の入り口から見ている者に気がついた。
「……お兄さま、いらしていたのですか?」
「ああ、ずいぶん熱心だったから、声をかけるのをためらってしまったよ」
凍菓の兄、氷極院晴晶だった。身長が高く顔も整っているが、冷徹な言動が他人を気安く寄せ付けない。そんな晴晶も妹にだけは優しい顔を見せていた。
「恥ずかしいところをお見せしました」
「努力は恥ずかしいことじゃないよ。それで、いまのはどういう訓練だい?」
「はい、迷宮での指導官からの課題で……」
先日あったことを説明すると、晴晶はうなずいた。
「なるほど、魔力の出力調整訓練か。私も最初は苦労した覚えがあるよ」
「まさか。お兄さまはいつも完璧ではありませんか。相変わらず冗談がお上手ですね」
「冗談ではないよ。私も完璧であるために努力してきたということだ。だから凍菓も恥じる必要はない」
「そうなのですか?なら私ももっと努力いたします。ではもう少しだけ続けさせていただきますね」
凍菓は礼を言ってから、ふたたび剣を前に掲げた。
剣の輝きは安定してきているが、光量が弱々しい。少しずつ力を込めようとしているが、光量を増やすと途端に安定しなくなってしまう。それをずっと繰り返していた。
「……ひとつだけ、アドバイスをしてもいいかい?」
晴晶が、剣を握る凍菓の手に手を添える。
「いいかい?頑張ろうとするのはいいが、熱くなってはダメだ。心を落ち着けて、冷静に。光を見るんじゃない。自分の魔力を見るんだ」
「はい。冷静に、冷静に……」
凍菓は言われたとおり心を落ち着けながら、魔力に集中する。魔力の揺れを見つめ、それの流れを落ち着けようとする。
「冷静に、冷静に」
そっとつぶやきながら集中すること数分。剣は先ほどよりも明るく安定した光りを放っていた。
「お兄さま、できました」
「さすがだね、凍菓。おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
晴晶はいつの間にか離れたところにいた。
「じゃあ、そろそろ眠った方がいい。だいぶ夜も遅くなってしまったからね」
「まあ、もうこんな時間。お兄さま、今日は本当にありがとうございました」
「凍菓。迷宮探索もいいけど、無理をしてはダメだよ」
晴晶が凍菓の目をじっと見つめながら言う。
「……はい。氷極院の名にかけて、完璧にこなしてみせます」
凍菓はうなずいて部屋を出て行った。その背中を晴晶は見守っていた。
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