【第一階層】オフィスエリア【過労回廊】
出発ロビーの壁にはいくつものエレベーターが設置されている。このエレベーターこそが迷宮の入り口であり、それを示すように扉の周囲には硬質の輝きを放つ植物が花を咲かせていた。
あれこそが迷宮花『ラビリス』。迷宮があるところに咲く、迷宮から生える異界の花だ。
俺たちは少人数用のエレベーターに入る。
「まずは迷宮の1層目からだ。このエレベーターにはセンサーがあって、自分が到達した階層より深くは行けないようになっている。1層目の入り口は誰でも入れるけど、それ以降は自分で到達しないとエレベーターが動かない」
「あなたは先へ行っているのでしょう、ならもっと深い所へ行けるのではなくて?」
「箱の中で1番浅い者に合わせるんだ。例え深層到達者と一緒でも、初心者がいれば1層目からになる」
「なんですか、それは。つまらない仕掛けですわね」
お嬢様が嘆息する。
「わたくしは装備も準備万端整えてますのよ。地下10階から始めてもいいくらいですわ」
「たしかに良い装備を着ているようだが、ダメだ。お前は迷宮というものを何も分かっちゃいない」
「ムッ、失礼な物言いですわね。どういうつもりなのかしら」
「もう1層の入り口に着く。降りてみればわかるさ」
お嬢様の睨み顔を無視しつつ、エレベーターから降りる。
磨かれた石の壁、顔が映りそうなほど磨かれたタイル。まるでオフィスビルのエントランスのような場所だった。
「ここはもう迷宮ですの?それともまだ先?」
「調べてきたんじゃないのか?迷宮は周辺の都市風景を模倣する。ここはもう迷宮の1層目。【オフィスエリア:過労回廊】だ」
初心者は誰しもここが迷宮だとは信じることができない。だがすぐ思い知ることになる。
たいていの人間は、まず目の前の自動ドアに注意が向くだろう。このお嬢様もそうだった。
「名前なんてどうでもいいことです。通り抜けるだけの道のことなど、いちいち気にしていられませんわ」
「だから勝手に行くなって。ドアの手前で止まれ」
「わたくしに命令できると思っていますの?あなたの言うことなんて聞くわけ……このドア、どうして開かないんですの?」
自動ドアの枠をさわり、それから「なんとかしろ」とでも言いたげにこちらを見てくる。そんなお嬢様の背後、透明なドアの向こうから光が近づいてきた。
お嬢様もそれに気がつき振りかえる。
光は2つ並んでいる。それがすべるようにこちらへ近づいてくる。かなりのスピードでドアにぶつかるかと思われたが、なめらかに急カーブを描いて横へと走り抜けていった。
あっという間に行ってしまったそれを見送ってから、お嬢様はこちらを見た。
「いまのは……電車ではありませんよね?」
光る2つの目を持ち、無数の脚と硬い甲殻を備える。高さおよそ1m、全長およそ10m。その正体を今の一瞬で完全に把握することはできないだろう。
「もちろん違う。アレは1層目のボスだと言われる大型の魔物。【トレインセンチピート】。通称【電車ムカデ】だ」
「む、むむ、む?」
どうやら現実を受け入れることができないようだった。
◇◇
自動ドアに見えるアレは実は開かない。正規ルートは横にある下り階段の方だ。お嬢様はさっきの電車ムカデのインパクトに圧倒されたのか、階段では静かだった。
階段を降りた先はどこかで見たような空間が広がっていた。照明は薄暗いが、タイル張りの床と白い壁紙の通路が延びていて、途中には曇りガラスの扉がある。空気中には煙草とコーヒーの混ざったような香りがただよっているし、通気口からは空調機の低い音が聞こえてくる。
普通のオフィスと言われても納得しそうだが、ここが迷宮だということを忘れてはならない。
「退屈な場所ですわね。こんなところにずっと居たくないですわ」
「同感だけど、気をつけろ。ボーッとしてると危ないぞ」
「こんな何もない場所で気をつけるも何もないでしょう。まったく何を言ってらっしゃるのかしら……」
「はいストップ」
どんどん進もうとするお嬢様の肩をつかんで止める。
「ちょっ、いきなり何するのですか」
「上」
「うえ?」
俺が指さす先を見上げたお嬢様の目の前を、大きな塊が通り過ぎて落ちる。
ドン、と重そうな音を立ててお嬢様の足下に落ちたそれは、人の頭ほどの大きさの半透明の黒い塊だった。
「きゃっ!気持ち悪い!」
お嬢様が大きく飛び退く。初心者にしては機敏な動きだ。
「ドレンスライムだ。オフィスエリア最弱の魔物で、わりとそこらじゅうにいる。通気口から落ちてきたり障害物の影から飛び出してきたりするのに気をつけろ」
「そういうことは先に言いなさいよ!」
「気をつけろって言ったぞ。物陰とか曲がり角とか地面のくぼみとか隠れてるからな。危なそうだったら今みたいに助けることになるぞ。それがイヤなら自分で気をつけるんだ」
「もっと優しく教えなさいよ」
優しい言葉で言っているのに聞いてないのはそっちだろうに。まあ今のうちに痛い目に遭っておいた方が、迷宮の危険性を体で理解できるだろう。なんて言わないけれど。
「さて、それじゃあ初戦闘だ。武器を構えろ」
「お断りします。こんなの相手していられませんわ」
お嬢様がドレンスライムを避けて先へ行こうとする。
「おいおい、スライム一匹すら倒せないと探索者にはなれないぞ」
「わたくしは、野蛮なことはいたしませんの。迷宮の宝を見つけて一流の探索者になるんですのよ」
「その宝を見つけるためにスライムを何匹も倒す必要あるんだけどなあ」
何年も迷宮に潜って、スライムを何百匹も倒している俺が見つけられていないお宝を、迷宮に入ったばっかりのお嬢様が見つけられるわけないだろうに。
それからもお嬢様は俺の話を聞かなかった。
スライム以外の魔物がいても、気持ち悪いとかイヤだとか言って戦おうとしない。他の探索者を見かけると大きな声で呼びかけたりして、探索の邪魔をする(本人にそのつもりが無くても結果的にそうなっている)。
毎回注意をしているが、俺の言葉が届いている様子は無かった。
「そうだお嬢様、お宝の情報があるぞ?次の分かれ道を右にいけばサーバー室がある。あそこでは廃メモリやスマホもどきが回収できる。レアメタルが含まれてるからわりと良い値段で売れるんだ。新米冒険者の貴重な資金源だぞ」
「そんな地味なものお宝じゃありませんわ!わたくしが欲しいのは、もっとすごい能力のある魔道具ですのよ」
「そういうのは何年も迷宮に潜ってやっと見つけるものだ。今はその何年も迷宮に潜るための知識を身につけるべきで……」
「そんなもの必要ありません」
「あ、サーバー室に入らないなんてもったいない」
どんどん進んでいくお嬢様を追いかける。スライムだけではなく他の魔物もスルーしているから、進行速度だけは早い。勘が良いのか分かれ道でも脇道に逸れることなく進んでいく。
「次は……こっちね」
「ちょっと待て、そっちはダメだ」
お嬢様が進もうとしたのは、危険度の高い道だ。蛍光灯がところどころ切れていて暗いし、通路に障害物が置かれていて魔物が隠れる場所が多い。さらに罠もあるのでよっぽど慣れた者しか通らない。
「この道は危険だ。初心者が通る道じゃない。具体的には罠があって隠れている魔物も多い。うかつに進むと怪我するぞ」
「問題ありませんわ。わたくしがミスをするはずありませんもの。それにこういう場所にこそお宝がありますのよ。進む以外ありませんわ!」
「部屋の無いただのショートカット通路だ。お宝なんてあるはずない。……って聞いちゃいないな」
暗い通路を進んで行ける度胸はすごいが、何も考えてないんじゃないという可能性の方が高い。
「気をつけろ。障害物の陰とか天井とかに、またドレンスライムがいたりするからな。」
「うるさいですわよ。もう話しかけないでくださいまし」
「ちょっと止まれ、そこに落とし穴あるぞ」
「は?……こんな穴、落ちるわけありませんわ。注意する必要なんてありまぜん゛っ!?」
小さな障害物の陰から、ドレンスライムが飛び出した。穴を見下ろすお嬢様に当たり、もろとも穴へと落ちていく。
俺は何が起こったか理解するのに1秒ほどかかり、あわてて穴へ駆け寄った。
「おーい、無事か!?」
明かりを向けながらのぞき込むと、穴の底でしりもちをついているのが見えた。
「もー、いったいなんなんですの!あっ、お父様からいただいたネックレスが割れてしまいましたわ!最悪!!」
ダメージを肩代わりするタイプの魔道具だろうか。普通だったら大ケガをしている高さなのに平然としているので、父親の慧眼に感心する。
でも、今までずっと過保護だったからあんなお嬢様になってしまったんじゃないだろうか?
「そこで待ってろ。いまロープを降ろすから……」
「あ、道がありますわ!」
道?こんなところにあるなんて聞いたことないが……。いやわざわざ落とし穴に降りるヤツなんていなかったから見つからなかったのか?
ロープを固定して穴に垂らす。穴をのぞき込むと、お嬢様の姿がなかった。
「まさかひとりで道に入った!?今の反省ないのか?バカなのか??」
思わずもれたつぶやきに、反論する声はなかった。
◇