迷宮と冒険者たち
俺は目の前で起こっていることが信じられずにいた。
たった今までキャンキャン五月蠅かったお嬢様が、急に頭を下げてきたからだ。
「わたくしの指導者さま、どうぞこれから、よろしくお願いいたします」
これまでの態度からするとまったく信じられない言動に軽く混乱する。なんでこんなことになったのか、流れをざっと思い浮かべた。
◇◇◇◇◇
20年ほど前、【迷宮花現象】が世界中に発生した。この世ならざる花が咲いた場所は空間が歪み、異常な魔物が発生するようになった。
最初はこの世の終わりのように騒がれたが、調査が進むにつれて逆に神からの贈り物のようだと言われるようになった。
そこで見つかるものは不思議な力を持ち、超常的な効果を発揮した。科学では解明できないとしながらも、人々はその有効活用法を次々に見つけていった。
そしてそこは、宝の眠るラビリンスと名付けられた。
20年後の今。現在は迷宮探索者という職業が一般にも広く浸透して、18歳になれば誰でも簡単にダンジョンに入れるようになっていた。
俺こと鈍川静真もビッグな男になろうと迷宮探索を始めた……のだが、思ったようにはいかなかった。
すごいお宝を見つけられたわけでもなく、人気者になるほどの大活躍もできていない。理由を簡単に言えば、幸運に恵まれなかった。
俺の後から探索者になったのにちょっとした幸運を足がかりにトントン拍子に活躍していく新進気鋭の探索者たちのニュースを見ると、どうしてもため息が出てしまう。
「受付の前でため息つくのやめてください。外から来た人に景気悪いと思われちゃうじゃないですか」
「ごめんね山田さん。俺ってダメなやつだなと思ったらつい、ね」
顔なじみの受付嬢に言われ、ついつい愚痴が出てしまう。
「鈍川さんは堅実に頑張ってますよ。大きな怪我もなく10年も探索者やってるじゃないですか。これはすごいことですよ」
「まだ8年だよ。それでもまだC級止まりだし」
同業者は星の数ほどいて、俺はせいぜい中の下止まり。探索者になって今まで得たモノは、一般人よりちょっと強い程度の能力くらいだった。
「鈍川さんならB級に上がれても良さそうですけど、どうしてでしょうね。装備ももっといいのにできないんですか?」
「あー、うん。それはちょっと事情があってね」
探索者のランクは貢献度と戦闘力によって決まる。貢献度は主に依頼を達成することで得られる。そのためには戦闘力が必要で、戦闘力を高めるためにはアイテムや装備が重要だ。迷宮産の素材を使うと、不思議な力を持つ製品ができあがる。それは普通の生活で役立つものもあるし、迷宮探索で役立つものもある。
当然お高いがマジメに働いていれば買えないわけではない。俺もマジメに働いている方ではあるのだが……。
「さてはまたガチャに使いましたね?」
図星だった。
「だってよ、特賞は黄金の女神像だったんだ。毎日お祈りを捧げるだけで商売繁盛招福来来美人にモテモテ一生ウハウハ!!今までダメだった分の幸運が貯まっているから今度こそ当たるはずだったんだよ」
「今までダメだったんだから今後もダメに決まってますよ。その黄金の女神像はきっとガチャの運営が持っているんでしょうね」
「ちくせう」
何も言い返せなくて下唇を噛む。
あれは忘れもしない去年のこと。話題になっていた【ラビリンスガチャ】に軽い気持ちで手を出したのが始まりだった。それから次こそは次こそはと続けてしまい現在に至る。
下級ポーションの詰め合わせが当たって得したこともあるけれど、だいたいが役に立たない残念賞に変わっていった。
「それで、今度はどんな外れアイテムになったんです?また美容ポーションだったら買い取りますけど」
「【鈍感の指輪】だってさ。効果は精神異常耐性がすごく上がるんだと」
中指に付けた指輪には、名前のとおり鈍くくすんだ色の石がはまっている。
「まあそれはとてもお似合いの名前の……オホン。失礼しました」
「うう、山田さんにもバカにされた」
泣くフリをしているが、俺も特賞が当たるとは思ってはいなかった。むしろ装備品なので当たりの部類だと思っている。他人に売れるほど高くないのが残念ではあるが。
「えっと、お詫びというわけではないんですが、明日はお時間ありますか?」
「明日も明後日も迷宮探索のつもりだけど?ヒマっちゃヒマだけど、遊ぶよりはお金を稼ぎたいしなあ」
「やっぱり。ならちょうどいいお仕事あるんですけど、やってみません?」
山田さんは軽くため息をついたように見えたが、すぐに笑顔で提案してきた。(※営業スマイル)
「べつにいいけど、どんな仕事?」
「それはですね……」
そう言って見せてきたのは一枚のパンフレットだった。
「初心者講習?俺、今年で探索者8年目なんだけど」
「講師の方です。私、お仕事だって言いましたよね?」
「講師か……俺が教えられるかなあ」
「今までだって初心者にアドバイスとかしてたじゃないですか。それにマニュアルもありますし」
「うーん」
「お金、欲しいんですよね」
それを言われると弱い。今月の家賃は払えるが、もやし生活になるのは間違いないからだ。
「……うん、ぜひやらせてください」
「良かった。鈍川さんてほとんどソロで活動してるから、受けてくれるか心配だったんですよ」
「俺がソロなのはチームでの利益配分だとかが面倒すぎるからだ。最初からきっちり決まってるなら問題ない」
「チームが解散した理由でしたっけ。けっこう気にしてるんですね」
「うぐっ」
こいつ、俺をいじめて楽しいのか?
おそらく、オヤッサンから聞いたんだろう。あの人誰とでも飲みニケーションに誘うし。
「話を戻しますけど、初心者講習は最初ということで担当は1人か2人くらいになる予定です。私たちが書類選考して、面倒な人にならないようにしますよ」
仕事のための書類を作って、その日は帰ることにする。担当する新人の数によって報酬も増えるらしいし、評価によっては探索者協会の職員としての雇用もありうるとか。
定職採用、安定した収入。一般探索者とは違う落ち着いた生活が見えてきて、今日はちょっとだけいいものを食べたい気分になってきた。
この時の俺は、先にあんなヤツが待ち受けているとは思ってもいなかった。
◇◇◇◇
迷宮には毎年たくさんの新人がやってくるが、辞める者も多く定着率は半分以下だったりする。その対策として探索者協会は初心者講習という制度を数年前に始めた。
講習を受けなくても探索者になることはできるが、制度が始まる前と比べて定着率は明らかに高くなっている。
これは新人を無駄な怪我から遠ざけ探索成功を助ける有意義な仕事である。
講師講習を受けたしマニュアルも読み込んだ。さあここから俺の講師としての最初の仕事が始まるのだ。
そう気合いを入れて迷宮への出発ロビーで待機していると、なんかうるさいのが近づいて来た。
「わたくしの講師というのはどこにいるんですの?えっ、あのみすぼらしい男が?装備からじゃわからない実力がある?そうは見えませんけど……。まあ初心者講習ですものね。仕方ありませんわね」
「ええ、まあ、そうですね」
苦笑いの山田さんが連れてきたのは、初心者には見えない上質な装備をしたお嬢様だった。
「あなたがわたくしの講師ですわね。この金満ディッアーナ様の講師になれたことを光栄に思うといいわ。さあ、さっそく迷宮へ案内なさい」
声も態度も大きいお嬢様だった。
あきれていると、山田さんが小声で耳打ちしてくる。
「すいません。彼女、カネミツ商会の関係者なんですよ。書類選考では問題ないと思ったんですけど、こんな口の悪い子だとは知りませんでした」
「筆記テストは?探索者免許のための座学もあったろ」
「今は全部オンラインですよ。会場の費用も人件費も節約できるので」
進みすぎた現代社会の落とし穴がこんなところにもあるとは。しかたない、どうにもならないことに悩むのは無駄だ。頭を切り換えよう。
カネミツ商会は迷宮産業で急成長した成金企業だったはずだ。渡されたプロフィールによるとこの子は18歳らしいが、そのデカ……発育の良すぎる肉体でJKというのは信じられない。
ものすごくいい物食ってんだろうな感想を飲み込み、指導員としての顔をとりつくろう。
「金満あい……愛奈さんだね。俺は講師を務める鈍川静真だ。よろしく」
「あなたの名前などどうでもいいですわ。それより早く迷宮に案内してくださいな。わたくしは無駄話をするほど暇じゃないんですのよ」
山田さんをチラッと見ると「休憩ありの2時間コースで契約してます。マニュアル通りの講習でよろしくお願いします」と小声で説明してくれた。
「オッケー。じゃあ歩きながら迷宮について教えていこう。それでいいかな?」
「今さら聞くことなどありませんわ。それよりもっと有意義な話は無いんですの?迷宮の宝がある場所とか」
「あー、それに関する説明もあるから、最初から聞いてもらえるか?」
「融通が利かないのね。もっと頭の柔らかい人はいないのかしら」
「これは必要なことなんだ。だから俺じゃ無い誰かであっても同じ話をするよ」
「ふん」
お嬢様はつまらなそうに肩をすくめて歩き出した。
俺の話をしっかり聞いてもらえるだろうか。面倒なことにならないといいが、願いは適わなそうな予感がする。
「そっちにあるのはトイレだ。迷宮は向こうのエレベーターだぞ。まあ今のうちにトイレ済ませておく方がいいとは思うが」
「……っ!もう済ませてますわ。道が紛らわしいのよ。早く先に立って案内しなさい」
「はいはいお嬢様。こちらですよ」
この先このお嬢様に付き合わなきゃいけないのか。思わずため息をついた。