満月の夜月明かりに照らされて(3)
部屋にひとり残された私は、拳を握りしめた。
心臓がまだ、早鐘のように脈打っている。
……こんなところに、いたくない。
誰も信用できない。
あの男の目も、声も、優しさも――すべてが、ただの仮面に思える。
帰らなきゃ……あの場所に。
山奥の、谷間の隠れ里。
遠い風の音と、木々のざわめき。人間の目が届かない、静かな世界。
そこには、あの人がいる。
私より少し年上で、誰よりも勇敢で、優しくて――
……焔
名を思い出すと、胸の奥がじんと痛む。
私は、あの人がいなければ眠れない。
いつも隣で、温かい手で髪を撫でてくれていた。
嵐の夜も、雪の朝も、焔の気配があれば、怖くなかった。
焔……ごめん……
きっと今も、私を探してくれている。
血の匂いを辿って、目を赤くして。
あの人の顔を思い出すたびに、
“今ここにいない”という事実が、たまらなく苦しくなる。
でも……どうやって、帰ればいいの……
自分の身ひとつ。
鬼であることを隠して生きるには、あまりにも周囲が人間だらけで、鋭すぎる。
逃げ出したい。
けれど、動けば斬られる。
“助けられた”はずの命は、
いつでも“消される側”へと戻れる、危うい命だった。
「…焔ッ………助けにきて」
自分の震える肩を抱きながら、消え入る声で焔の名を呼ぶ。
今自分に出来ることは何も無い。
ただあの人を想うことだけが心の支えだった――