満月の夜月明かりに照らされて(2)
——乾いた空気の中で、ふと鼻をくすぐるのは畳の匂いだった。
……生きてる……?
意識がゆっくりと浮上してくる。
自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのかも曖昧なまま、薄く目を開けた。
「……目、覚めた?」
その声に、私は反射的に身を硬くする。
部屋の隅、柱にもたれるようにして座っていた男。
白い羽織に緩く結った髪。
どこか気怠げで、目元は穏やかなのに、底知れぬ鋭さがある。
「見た目に似合わず、けっこう寝坊助なんだね。三日三晩ってやつだよ」
「ッ……」
身体を起こそうとするが、思うように力が入らない。
「無理しないで。身体、冷たかったし。……満月の夜だったからかな? 赤い髪に角……派手な見た目だったよ、あんた。」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
見られた……あの姿を……
「大丈夫。今はもう戻ってる。髪も黒いし、角もない。ただの綺麗なお姉さんにしか見えないね」
ふわりと笑う男の口調は軽い。
けれど、その目は笑っていない。
「名前、聞いてもいい?」
迷った。
名乗るべきなのか、それとも偽るべきなのか。
だけどこの人は、きっとどちらにしても見抜くだろう。
そういう目をしている。
「……月夜魅」
声に出すのが、少し怖かった。
けれど彼は、ふうんと小さく相槌を打つだけだった。
「月に魅せられた鬼か。……名は体を表すってやつだね。ぴったりの名前じゃない?……あ、悪い意味じゃないよ。ちょっと詩的で、素敵だね。」
そして男はようやく、ゆったりと立ち上がった。
「僕は、沖田総司。壬生浪士組の、まぁちょっと偉い人…かな。」
ひょうひょうとした口調とは裏腹に、その名を聞いた瞬間、背筋が震えた。
壬生浪士組――“壬生狼”。
妖を斬る者たち。
私を捕らえたのも、きっとこの男。
「怖い顔しないでよ。こっちは斬るつもりなんてないから。少なくとも今のところはね」
沖田は笑いながらも、するりと腰の刀に手を添える。
「でも、あんたが人を喰ったってんなら話は別。……僕らのルールでは、現行犯じゃない限り斬らないけど、用心するには越したことないからね」
「……喰ってない」
私はかすれた声でそう答えた。
それは、たぶん本当のことだ。あの夜、血に酔って倒れただけ。喰らってはいない。……少なくとも、あの時は。
沖田はそれを聞いて、目を細めた。
「そう。じゃあ今のところは“良い子”ってわけだ」
その口調には、からかうような優しさがあった。
けれど私はまだ、この男の“本当”を測りかねていた。
「でも、もしも逃げようとしたり――何か妙なことをしたら、斬るよ? 一応、仕事だからね」
言葉は優しいのに、まるで針のように冷たく突き刺さる。
「大人しくしてて。僕はこれから、あんたの処遇を決める会議に行ってくるから」
障子に手をかけ、ふとこちらを振り返る。
「……じゃあね、月夜魅。せっかく助かった命、粗末にしない方がいいよ」
そして沖田は、静かにその場を後にした。