眠れぬ夜に忍ぶ影(3)
戸口から響いた声は、静かで、鋭かった。
月明かりを背に、山南敬助が立っていた。
その顔には、いつもの柔和な笑みはない。
冷静であるがゆえに怖い、張りつめた意志があった。
「……なんだ、あんたかよ。
悪いな、今ちょうどいいところでよ」
芹沢は動じない。
むしろ邪魔が入ったことに苛立ちすら滲ませていた。
「その様子……まさか、女中の部屋を“巡察”して回ってるわけじゃないですよね?」
「巡察なんかじゃねぇよ。
ただ、たまたま目に入ったもんが美味そうだっただけだ。
“鬼”だからって特別扱いか? こいつぁ、こっちに首を差し出してるようなもんだろうが」
「それは違います」
山南は、ゆっくりと歩を進める。
「あなたがしていたのは“捕虜への私的な暴行”です。
我々は壬生浪士組であって、遊郭ではありません」
「……ハッ、遊郭の方がまだ静かに済むってもんだぜ。
お前は“仲間”を告げ口するようなマネをしに来たのか?」
「“仲間”ならこそです。
我が組織の信用を失墜させるような振る舞いを、私は見過ごせません」
「信用? 組織? ……そんなもん、所詮お前の理想論だろうが。
いいか、俺はこの“狼の群れ”を引っ張ってきた人間だ。
綺麗事を並べて実がねぇなら、口を閉じろ、山南」
「ならば、あえて言わせていただきます」
山南の声が一段低くなる。
「あなたは“長”であることを、勘違いしている。
壬生浪士組とは、私物ではありません。
“支配”するものではなく、“束ねる”ものです」
「……随分と威勢がいいじゃねぇか。
本性、ようやく出してきたな?」
「私の本性など、関係ありません。
今、問題なのはあなたの行動です」
芹沢は刀の鞘を手に持ったまま、腰をわずかにずらす。
「なぁ、山南。……もしここで俺を止めようってなら、
お前はこの“鞘”を受ける覚悟があるってことだよな?」
月夜魅はその会話のすべてを、芹沢の下で震えながら聞いていた。
息がうまくできない。
まるでまだ、鞘が喉元にあるように感じられる。
「……たとえ私が斬られようとも、
私はこの場で、あなたを止める責任があります」
「っは、笑えるな。責任?
じゃあ証人でも連れてきたのかよ、あぁ?」
「証人など不要です。
この空気こそが、十分な証左です」
山南は芹沢から視線をそらさない。
その静けさが、かえって空気を刺すようだった。
「この件は、然るべきかたちで上に報告させていただきます。
その時に、あなたの振る舞いがどのように見られるか――覚悟しておいてください」
「……チッ」
しばらく睨みつけるように睨み合ったのち、
芹沢は肩をすくめ、背を向けた。
「今夜は引いてやるよ。
だがな、山南……“引いた”んじゃねぇ。
“なかったことにしてやる”だけだ」
その捨て台詞と共に、芹沢は襖を乱暴に閉め、姿を消した。
……気配が、消えた。
だが、月夜魅の身体はまだ冷たい汗に濡れ、震えていた。
「……月夜魅さん、大丈夫ですか?」
山南の声がようやく耳に届いた瞬間、
堰を切ったように涙があふれた。