鬼が見る、動乱の京
桂の屋敷に身を置くようになって、数日が経った。
この場所には静けさがある。
けれどそれは、安らぎの静けさではない。
重く、張りつめた空気。まるで嵐の前の、息をひそめた山のような――そんな緊張感が常に張り巡らされていた。
俺は今、桂の側近として動いている。
表向きは文書の整理や雑務の手伝い、裏では情報収集。
攘夷志士として働く代わりに、俺にはひとつだけ譲れない目的がある。
月夜魅の行方を探すことだ。
町に出ては噂を集め、裏路地に潜んでは血の匂いを探す。
医者の元に現れた不思議な怪我人、夜の川で目撃された異形の影、
京に蠢く“何か”が月夜魅の痕跡に繋がっていないか、目と耳を研ぎ澄ませていた。
だが、どこにもいない。
あの温もりのかけらすら、町のどこにも落ちていない。
そんな晩だった。
桂が、俺を座敷に呼び出した。
「……どうやら、焦っているようだな」
俺は返す言葉もなく、黙って頭を下げた。
「だが、あの子は外に出ていない。
それどころか、この町の“表”から完全に消えている」
桂の言葉は、まるで俺の心の内を読み取ったように冷静だった。
「それもそのはずだ。君が探している“その子”は――
“壬生浪士組”に囚われているのだろう」
息が詰まった。
やはり、あの組織か。
「……知っていたのか」
「噂程度だ。鬼の女が壬生狼に連行されたという話は、すでに町の一部で囁かれている。
だが、それ以上のことは我々ですら掴めていない」
桂は一枚の地図を広げて、俺の前に置いた。
指で示された場所は、壬生。
その中央に、“屯所”と記された文字。
「壬生浪士組――現在の幕府直属の治安組織だ。
元は浪士たちをまとめる試験的な集団だったが、今や尊皇攘夷派に睨みをきかせる正式な武力部隊。
中でも、彼らの巡回は苛烈を極めている。証拠がなくとも、必要とあらば斬る。
異形の者であれば、なおさらだろう」
「特に京の町中では、彼らの巡回が強化されている。
殺気立った連中ばかりでな……浪士とは名ばかりの、人斬り集団だ」
彼女が、そんな場所に――
俺の手が無意識に拳を握っていた。
桂は静かに言葉を続けた。
「軽はずみに動くな。
今、お前があそこに突っ込めば、捨て駒になるだけだ」
「……なら、どうしろと?」
桂の目が、ふっと細くなった。
「探し続けろ。だが慎重に、目立たぬように。
我が派の名を使っても構わん。必要であれば、兵として潜り込ませる算段も立ててやる。
ただし――“鬼”であることは絶対に悟られるな」
俺は頷いた。
月夜魅が、壬生浪士組の中に囚われているのなら、
見つけ出すためには――確かに今は、焦って飛び込むべきじゃない。
けれど。
「……あの子は、ただの鬼じゃない」
この想いだけは、誰にも否定させない。
俺は再び、夜の京へ足を踏み出す。
まだ見ぬ彼女の声を信じて。
この手で、再び温もりを取り戻すその日まで。