囚われの女中、咲かぬ花のように(5)
「これでひと通りの仕事は終わりですね。お疲れさまでした」
洗い上げた衣を軒下に干し終えると、山南がそう声をかけてきた。
食事の支度の後は洗濯。
朝から立ちっぱなしで身体は疲れているはずなのに、どこか頭だけは冴えていた。
「夕刻の食事支度までは、しばらく自由時間です。……部屋に戻ってもいいですし、屯所内を歩いても構いません」
「……自由?」
この場所で、“自由”なんてあるのかな
そう思いながらも、私は軒下を離れ、中庭へと足を向けた。
道場からは、剣が交わる音が響いている。
気合いの声。踏み込みの音。打ち合う竹刀の乾いた衝突。
その音は、この屯所で“生きている者たち”の証のようだった。
ふと立ち止まり、陽に照らされた砂利道を見つめていると――
「やっと一息つけたみたいだね、女中さん」
声の方を振り向けば、沖田総司が笑いながらこちらへ歩いてきていた。
いつの間にか、見廻りから戻ってきたらしい。
羽織を脱いだまま、手ぬぐいで首筋を拭っている。
「ずっと働きっぱなしだったみたいじゃない? ……ぼくのこと、ちょっとは恨んでる?」
「……少しだけ」
「そっか。なら、今度飴でもあげようか」
ふざけたような口調に、思わず眉をひそめる。
けれど、彼の足音は静かで、妙に心地よい。
沖田は私の隣に腰を下ろすと、空を見上げながら呟いた。
「……そういえば、ふと思ったんだけどさ。
妖って、鬼の他にはどんなのがいるの?」
その問いに、私は一瞬だけ言葉を探した。
「……私が知ってる限りでは、三種」
「へぇ。鬼以外にも?」
「ええ。鬼と、天狗と……九尾」
「九尾って……あの、神社にいる狐の?」
「神様の使い、とも言われてる。
でも、本当に九つの尾を持つかは……見たことないから知らない」
沖田は「なるほど」と相槌を打ち、足を伸ばす。
「じゃあ、その天狗ってのは?」
「数が少ない。滅多に姿を見せないし、頭がいいから人の中でうまく生きてる。
今は将軍家に仕えている天狗も多いって聞く」
「つまり、鬼は庶民で、天狗はエリート、九尾は神様か」
「……そんな分類でいいなら、ね」
「ふうん。……じゃあ、君は?」
沖田の視線がふと、こちらに向いた。
「鬼で、庶民。なのに、ずいぶんよそ行きの喋り方をするんだね」
「……別に。育った場所が少し人間に近かっただけ」
「へぇ」
沖田はそう言いながらも、それ以上は追及しない。
それが逆に、気が抜けてしまう。
「ペリーが来てから、全部変わったの」
ぽつりと呟くと、沖田の手の動きが止まる。
「昔はね、妖も人も一緒に暮らしていたの。人の村に鬼がいても、誰も驚かなかった。
でも、黒船が来て、外の国の人間が“妖は気持ち悪い”って言った」
「……それで?」
「それで、人間たちが妖と距離を取り始めた。
境界線を引いて、“こっちには来るな”って。だから今、妖は姿を隠して生きてる」
「……なんだか、人間らしい話だね」
沖田は立ち上がり、背伸びをする。
そのまま、軽く私を見下ろすようにして、ふっと微笑んだ。
「でも、ぼくは見えてよかったと思うよ。
妖って、想像してたよりずっと人間っぽい」
「……あなたの前にいた妖が、よほど酷かったのね」
「違うよ。君が、ちょっと不思議すぎるだけ」
そう言って、沖田は背を向けた。
「じゃ、次の見廻りまで昼寝でもしてくるよ。……“自由”ってやつ、楽しんでね」
その背中が離れていく。
でも、どこか引っかかる余韻だけが、私の隣に残された。
……妖は、人間に似ている?
それは、肯定なのか。皮肉なのか。
風が吹き抜けた中庭で、
私はしばらくその言葉を反芻していた。