─8 エメラルドの都とマンチキンの集落
風化して欠けた部分が目立つ城門を抜けた先。
目の前の光景に──俺は耐えかねて、即座に手で目を覆った。
元いた世界にも、歴史的な中世の街並みが、現代までそのままの形で大事に残されている場所がある。まさにそんな景色──なのだが……。
『エメラルドの都』
その名に相応しく、目に見える物全てが……。
「緑だ──────‼︎」
エメラルドの宝石が建物のみならず、地面のタイルやベンチにまで埋め尽くされている。それは先程の城の装飾の比では無かった。一斉に煌めいた太陽光が、俺の全身を余すところ無く照射した。
「ま、眩しい‼︎ 失明する────‼︎」
もはやオズがどこを歩いているかも分からない。無我夢中で手探りをして後を追う。
そんな俺を気に掛ける気が無い様子で、陽気なオズの声が数歩先で聞こえてきた。
「ほうら、よく見て! こんなに綺麗で、優しさ溢れた緑の宝石達が、僕らを出迎えてくれてるよ! ……まあ、初めて見た奴は全員君みたいな反応になるんだよね~。不思議」
「不思議なのはお前のセンスだ──! な、なぁ! 何とかならねえのかこれ〜! せめてサングラス! サングラスがいる〜!」
「あー、はいはい。全く、早速世話が焼けるなぁ」
オズは俺の手に、眼鏡らしき物をそっと握らせた。
急いでそれをかけ、目をしぱしぱとさせる。
──暴力的なまでの光のぎらつきは徐々に落ち着き、最後には普通の街並みが視界に広がった。
全体の色が緑なのは変わらないが……。
同時に、眼鏡をかけている感覚が徐々に消えていくのに気付く。驚いて縁に手をやったが、それは遂に触れなくなってしまった。
「な、何だこれ…? これも魔法か?」
「ああ、それね。目が馴染んだら、見えも触れもしないようになるんだ。でもちゃんと効果は続いてるから問題無い」
軽く説明が入り、ひとまず胸を撫で下ろす。
「……はぁ、さんきゅー……。てかさっきから、何で見るもの全部エメラルドなんだよ! どういう拘りだ!」
「言ったでしょ。緑は優しくて、心が安らぐ素敵な色。宝石は綺麗でずっと眺めていたくなるよね? それが全部詰まったのがこのエメラルドの都ってわけさ! ただしマンチキン達には不評だけどね。見てよ。誰も住んでない」
「そりゃ当たり前だ! いくら何でも限度が……ん?」
建物の影から、ちょこちょこと顔を出して、こちらの様子を伺う子供がいる。
『マンチキン族』か。
見たところ少女のようだが、小人族……という事だったな。
であれば、大人なのか子供なのかはっきりしない小柄さだ。
耳が横にぴょこんと伸びていて、ぴくぴくと動いている。そして全体的に青い服を着ている。
それらは城の中で見た彼らとほぼ一緒の特徴だ。
少女は俺達と目が合うと、そろりと足を出し、こちらに近づこうとした。──その時。
「り、リンク‼︎ 戻ってこい‼︎」
遠くから、焦った叫び声が聞こえた。
体をびくりと震わせた少女は、慌てて建物の間の路地に走り去る。
足音は遠ざかっていった……。
──人けの無い都。
左右へ続く一本の道に、緑の建物が数十軒と向かい合って並んでいる。
これだけの建物が並んでいたら、さぞかし大勢の人が行き交っているとか、あちこちで店を出して賑わっているとか……。そういう痕跡すら残っていない程、生活感がまるで無い。
オズの言う通り、あの少女以外の顔は今の今まで一つも見当たらない。都とは名ばかりの、ただのハリボテだ。
「……あの子、何か話があったんじゃ……」
「もう行こう。ここをそのまま突っ切ったらマンチキンの集落があるから」
「集落?」
オズは俺に背を向けて、足早に奥へ続く道へ歩き出した。その後ろ姿は、また静かな様子に戻っていた。
先程の城門を出て、そのまま真っ直ぐ進んだ。
同じような街並みの三列目に差し掛かったあたりで、舗装されたタイルの道が終わり、雑草混じりの土の道に足を踏み入れた。
すると、前から爽やかな風が全身に吹き付けた。
目の前には広々とした丘。小川に掛かる小さな橋を渡ると、お椀型で青い壁の住居らしき建物が数軒。それぞれ十分な間隔を空けて、まるでミニチュアのように置かれている。
遠くの方には高い山や森林が見え、山羊がのんびりと歩いたり、草を食んでいる姿が確認できた。
「絶景だなぁ……。こっちの方がはるかに目に良い。……そうだ。オズ、こういう時って国民達に挨拶とかしなくていいのか?」
「え? しなくていいよそんなの」
「でもしばらく世話になるかもだし……」
「ならない。……というか、城の中でどういう話してたか覚えてないの? マンチキンの皆がいる前でさ」
「──あ……。確か俺はオズ殺しの張本人なんだっけ」
「そーだよ。みんなばっちり聞いてたんだからね?」
そうだった……。共同生活強いられて、一応和解できたような話をしたもんで、完全に抜けていた……。
「……つーか、何回でも聞くぞ! オズから見ても、俺はお前を殺したって理解になってんのか⁉」
「僕が願って叶った結果だし。君に非は無いんじゃない?」
──やっぱり俺悪くねぇじゃねえか──! 盛大に心の中で突っ込んだ。
「いや、だったらそれをお前が皆に言い聞かせてくれよ! この人は全然悪くないです、ってよ!」
オズは冷静に答えた。
「君の家が僕を押し潰したのを、皆が見てた事は変わらない」
「君を庇って、彼らの見た事を包み隠すように嘘を言ったとしても、何の説明もしなかったとしても、彼らの中で憶測が飛び交うだけだ。内心は君の事を王殺しだと思うだろうね。復讐心が芽生えて、君に何か仕掛けるかもしれない。その可能性はゼロじゃない」
あ、あの温和そうな小人達が復讐……? にわかには信じがたい事だが、もし──。
脇目も振らない猛進で俺に向かってきたあの時。彼らにその気があったのなら、単純で無抵抗の俺はきっと成す術無く、想像通りのなぶり殺しに遭っていた。そう考えると身震いした。
あと、オズがここまで真面目に喋っている事自体が、妙に信憑性を感じさせるのだった。
「あえてゲイエレットは、君の王殺しは事実だと、皆に断言した。そして僕が直々に君を監視する事にすれば、皆それで安心して、無理に手出しはしてこない。……そういう彼女の計らいなんだ」
──そういう事か。オズも、ゲイエレットさんも、思ってたより俺の事をちゃんと考えてくれてたんだな。
あの時は本当に余裕が無かったからとはいえ……。俺があそこで突っ立ってるだけで、大変な事が起こりうるなんて微塵も考えなかった。
「これで分かってくれた?」
「うん……ありがとな、オズ。ゲイエレットさんにも明日ちゃんと礼を言わないと」
オズはこくりと頷いて、くるりと振り返る。
丘の中心に向かって指を差し、言った。
「今日はあそこに家を置こう!」
い、家を置く? ──そうだ、俺の家を持ち運ぶって話で……。
記憶の片隅に一旦処理しておいた情報をほじくり返している間に、オズは左腕を大きく振った。
──空中にパッと姿を現した俺の家。
少し離れた丘のど真ん中に、足元がふらつく程度の地響きを立てて、文字通り落とされたのだった。