─6 『大魔法使いオズ』③
オズの放った光は次第に小さくなっていく。
その中心から、ころん、と何かが落ちた。
──人形だ。まさか。
逸る気持ちを抑え、しゃがみ込んでそっと拾い上げる。
黒い毛並みをしていて、耳が若干垂れていて、大人しくお座りの形をした、片手で収まる程小さな……。
──トトのぬいぐるみだ。
「……トト?」
震える手の中の人形は、軽くてすぐ壊れそうだった。俺はそれをふるい落とさないよう、両手で柔く包み込んだ。
しかし、その手を胸に置いても、トトの心臓の鼓動を、ふんわりとした毛の温もりを、全く感じられなかった。
いつも寄り添ってくれたトト。
俺の心の支えだったトトは、もうここに居ない。
そう確信した途端──今まで堪えてきたものが一気に溢れ出た。
「うああ……ああ、ああああ──‼︎」
俺は脇目もふらず叫んだ。
現実と非現実が入り混じって、頭がどうにかなりそうだ。
──もう耐えられない。
俺の目の前に、オズがゆっくり歩み寄ってくる。
オズは俺の顔を見て、一瞬怪訝そうな表情を浮かべ言った。
「……お、おいおい。ちょっと間違えただけだよ。狼狽えるなって。そんな事でさ……」
「──そんな事? そんな事だって⁉︎」
俺は立ち上がってオズに詰め寄った。
「ふざけんな‼︎ お前、何しやがった‼︎ 俺の……俺の大事な家族なんだぞ‼︎」
「か、家族? 犬が? 本気で言ってる──」
「そうだよ‼︎ 当たり前だろ‼︎」
「家族……そう、なんだ」
オズはたじろいだ。目を逸らし、ゆっくりと後ずさる。そして小さな声で囁いた。
「……ごめん」
「謝って済む話じゃねぇだろ……」
怒りで震える声で返した。
どうするんだこれ、どうすれば元に──。
ふとある事を思い出した。
繰り返し説明された、この世界の事。魔法がどうのこうのという話を──。
──そうだ。俺はオズの腕を引っ掴んで言った。
「なぁ、お前、魔法使いなんだろ? じゃあトトを元に戻せよ。ついでにこの訳わかんねえ世界からも、さっさと解放してくれ。全部魔法でできるんだろ⁉︎」
「わ、分かったよ。やるさ。……すぐ戻すからさ、手、出してよ……」
了承したオズは、慌てて俺の差し出す手の中にあるトトに向けて、両手を広げた。
そして、きゅっと手を握り拳にする。
──特に変化は無い。あの妙な光の発現すらしなかった。
オズはしばらく手をグーパーと続けた。
「……え?」
困惑した声を出すと、静かに動きを止める。
何かがおかしい。
「戻せないのでしょう、オズ」
離れたところからゲイエレットが発言する。
──戻せない? 俺はチリ、と胸が痛むのを感じた。
そしてオズが、目の前で動きを止めたまま、動揺を隠せない様子で震えているのに気づいた。
「な、なんで?」
「人の話はよく聞くものですね、オズ」
ふぅ、と息をつくゲイエレット。そして続けて言った。
「貴方は神からの罰により、力の権能の一部・及び魔力の大部分を剥奪されている状態です。よって、今貴方は、『叶えた願いを元に戻す魔法』は使えません」
それを聞いて、俺は頭が真っ白になっていく。
「……戻せない? じゃあトトは? ずっとこのままなのか? 俺が元の世界に戻るってのもまさか──」
ゲイエレットは無言で首を振った。
「……ふざけんな、ふざけんなよお前ら‼︎ どうして……俺達が、こんな目に……‼︎」
行き場のない怒り。大層ひどい顔をしている自覚はある。オズと目が合うと、びくりと跳ねたオズは、しどろもどろに言った。
「……だ、だって、こんな事、初めてで、どうすればいいか、分からなくて……」
「──ッ! 言い訳かよ……」
「き、君が僕に突っかかって来たからだろ!」
「俺のせいだって言いてえのかよ‼︎」
「黙りなさい馬鹿者共‼︎」
お互いの口論はその一言で静まった。
二人の昂りが収まりつつあるのを確認したゲイエレットは、一変して冷静な声で告げた。
「──さて、この事態をどうしていくか。本題の話をしたいところですが、今日はもう疲れました」
「は?」
彼女は一つ溜め息をついて続ける。
「オズ、そしてハイノ。明日の朝にまたここへ来なさい。それから今後の話をしましょう」
「ま、待ってよ! またここへ、って、僕の城だぞ⁉︎」
「待、待てよ! 疲れたなんて言ってないで、早く何とかする方法を……」
ほぼオズと被った聞き苦しい言葉を、ゲイエレットは華麗に無視した。代わりに視線の先にある俺の家へ、ふいと顎をしゃくる。
「これから二人、共同生活をなさい。この邪魔な四角い箱に、十分住めるスペースがあるでしょう。オズ、貴方が持って行きなさい。これからは貴方がハイノの面倒を見るのですよ」
「僕が⁉︎」
「き、共同生活?」
俺とこいつで? 家持ってくって、マジか?
突然の急展開に、また付いていけなくなってきた。
「先程、ハイノに対して元に戻すと約束した筈では? オズ。発言には気をつけなさい。今度こそ全てを取り上げられますよ」
「……分かったよ。でも、一緒に住むなんて、絶対できっこ無い……」
この後に及んで、まだぶつくさと言うオズにカチンと来た俺は口を挟んだ。
「同感だ。また癇癪起こして、今度は俺もトトと同じ目に遭わされるかもな」
「そ、それはもうしない!」
「どうだか?」
「二人とも」
……口を閉じた。
オズは何も言わず、左手を俺の家に掲げる。そして肘を引くと、そこにあった物体は音も無く綺麗に消えていった。……って、さっきからそれはどこにやってるんだ?
「……お、おい。それって不思議なポケット的な物の中に片付けただけだよな? ちゃんとまた出せるんだよな」
「物を出し入れするだけに、魔力なんかそれ程使わないの! それくらい出来て当たり前!」
「そんな常識知らねえよ!」
こんなしょうもない口喧嘩を、これからの生活で何度もする羽目になるのだろう。ああ、本当に、面倒な奴!
両者睨み合いをする中、ゲイエレットが一際大きな溜め息をつく。
「貴方達は……いいですか。この事態を収集するまでどれだけ時間が掛かるか分からないのですよ。少しでも頭を冷やしていらっしゃい」
「フン……どうやって──」
オズがまた悪態をつこうとしたその時、ゲイエレットは俺達に向けて手に持った細長い一本の金の杖を突き出す。
──今までで一番恐ろしい魔女の顔をしていた。
「貴方達で考えなさい」
突如、暴風が俺達の足を攫った。
「「──ぐああああああ⁉︎」」
体をじたばたと動かすも、風は完全に体全体を捕まえて好き勝手に空中で転がした。
何が起こったか理解できていないまま、風は俺達を大広間から一気に外へ連れ出した。
猛スピードで長い廊下を突き抜け、最後は乱暴に城の外へ放り出す。
受け身の取れないままで、地面に思い切り体を叩きつけた。
「──いっっっってえ……」
全身に響き渡る痛み……。しばらくその状態から立ち上がれず、地面の冷たさを肌で感じながら、俺はぼんやりと考えた。
本当に、ここに来てからというもの、訳の分からん事ばかりだ。不安すぎる。正直このまま寝ていたい。
──でも。俺はずっと握りしめていた手を開いて、変わり果てたトトを見た。
そうだ。トトが元に戻るまで、元の世界に帰るまで、辛抱強く頑張るしか無い。
何をすればいいか。それは……。
「ねえ、そろそろ立てる?」
呑気にふわふわ浮いているこいつ。オズとやらと、まずはちゃんと折り合いをつけるところからかな……。
余裕そうな表情のオズをひと睨みして、俺はやっとの思いで体を奮い立たせた。