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オズの世界の歩き方  作者: 藍沢
【第三章】 真摯な木こり
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─6 トトのこと②

「何で、動いて……いつから……」

 物静かなその姿は見まごうことなくトトだった。月明かりが背に差して、黒の艶やかな毛色が目立っている。


「お前が何かあったら起こせって言ったろ。……見たこと無ぇのが急に出てきやがったから……」

「何処からだ!」

 早まる鼓動。勢いよく体を起こして、トロスに詰め寄る。

 反動で身を少し引いたトロスを見て、つい語気が強くなってしまった事に気付く。

「チッ……落ち着けようるせぇな。その辺にお前がいつも付けてるちいせぇ袋が置いてあったろ。そいつがモゾモゾ動き出してよ。パッと光って、気づいたら既にこいつの姿があったって訳だ」

「袋……。あれからって事は、やっぱり、ぬいぐるみから元に戻ったって事なのか?」

 トロスはそれ以上何も言わず、肩をすくめてトトに目を落とした。

 

 オズにかけられた魔法によって、トトはぬいぐるみになった。あの時の話では、今のオズには元に戻す術が無くずっとこのまま、だったはずだ。

 トトはゆっくりと俺に近づき、すりすりと頭を撫で付けてくる。ふわふわとした毛先の柔らかさ。皮膚の下から伝わってくる温かい感覚。間違いなく──。


 思い切り抱きしめた。くぐもった声が、俺からも、トトからも喉から溢れ出る。安堵感で目頭が熱くなってくるのを感じる。

「よかった、よかった! トト……。俺、ぬいぐるみのまま、死んじまったんじゃねぇかってずっと──」


 ──ぐう。


 小さなふわふわの奥から、今度は可愛らしい唸り声が上がった。

「そ、そうか! 腹減ったよな、トト! すぐ用意する!」

 その場にトトを置いて、台所へと駆け込んだ。

 流し台下の収納スペースを開けると、中身はまだまだ無事そうなドッグフードが並んでいる。

「久々だし、食べ応えある方がいいよな。そんで、柔らかくしてやって……」

 必要なものを手の中にかき込む内に思い出す。この世界に来る前も、こうやって飯を用意してやろうとしていた事を、ぼんやりと──。


 足元にコツンと何かがぶつかる。それはすぐにトトだと分かった。待ちきれないと言った様子で尻尾のぶんぶんがいつもより勢いづいている。

 トトのご飯用のカップに水を入れて、ドッグフードをたんまりと盛って、少し砕いてやる。

「トト、お待たせ」

 そっと目の前にカップを置いた。するとドッグフードの山を顔全体で崩しながら、トトは夢中になって食べ始めた。その幸せそうな表情に胸を撫で下ろす。


「トト、っていうのか。こいつも山羊、なのか?」

 台所まで様子を見にきたトロスが尋ねた。そうか、トロスはトトの事をまだ知らなかったんだっけ。


「山羊じゃねぇよ。こいつは犬、だな。俺の家族なんだ」

「家族……」

「この世界に来てすぐ。俺がオズと一悶着あって、怒ったオズに、トトは魔法でぬいぐるみに変えられちまった。今みたいに、動いたり、飯を食べたりできなくなってたんだ」

「やっぱ魔法っつーのはろくでも無ぇな。……ン? じゃあ何で今元に戻った?」

「……全然わかんねぇ。今のオズの魔法は日が経つと元通りになっちまうとか、なのかな?」

「日数……」


 そんな話をしていると、トトはあっという間に飯を平らげてしまった。顔のあちこちをベタベタにしているのを、舌が届く限り舐め回している。

 俺はトトの体をひょいと持ち上げ、小脇に抱えた。

「よし、次は風呂だぞ!」


 風呂場へ移動し、浴室の床へ一旦トトを安置する。トトは風呂を全く怖がらないし、むしろすすんで入ろうとする節が今までに見られたからとてもお利口さんだ。

 シャワーを緩めに噴射して、温度を確かめる。うん、丁度いいくらいだろう。トトの前足を手に取って、やんわりかけてやると、楽しげにぱちゃぱちゃと音を立てて遊び始めた。早くいっぱいかけてくれと言わんばかりに頭を突っ込んできたので、側にあった石鹸をよく擦りながらしっかり洗ってやった。


 オズに湯が出るよう頼んでおいてよかった。トトにかけられた魔法はあってはならなかったと今でも思うが、こういう場面で役立つなら魔法自体は捨てたもんじゃないと思ってしまう。無いものねだり。都合が悪ければいらない、なんて、俺も人の事を言えないくらい自分勝手だ。


 洗面器に貯めた湯にゆったりと浸かった後、大きいバスタオルでトトの体を丸ごと包み込んで脱衣場へ。右も左も分からなくなっているトトが腕の中でモゴモゴとうごめいているのを、全身拭いてやるように見せかけてたっぷり撫でて可愛がってみる。


 タオルから解放すると全身をブルブルと振るわせ、残った水滴がかすかに飛び散る。風呂の前でただただこちらの様子を伺っているトロスに興味を示したトトが、彼の股座で八の字になるようにドッグランを始めた。


「何やってんだこいつ」

「トロスが気に入ったんだよ。好きな相手の前だと、急に動きが俊敏になるんだよな」

「ふーん……」


 ぶっきらぼうに言葉を途切れさせたトロスだが、ゆっくりその場に腰をかけ、目の前を通り過ぎようとしたトトを素早く両手でキャッチする。わふわふ、と緊張する息遣いのトトは困惑しているが、それをよそに、トロスはゴワついた手袋で頭を慎重に擦った。目の粗いやすりをかけているような音がしているが、トトが嫌がっていないので大丈夫だろう。


 (トロスも何だかんだ結構気に入ってくれてんのか)

 心の中で納得しながら、後片付けに専念する。


「そうだ、何ならもっと広い所で遊ぶか! せっかく元に戻ったんだし、外で散歩でも……」


「──……い」


「まぁ、まだ夜中だけど、外の空気はうまいし、ちょっとぐらい夜更かししたって大丈夫だろ」


「おいシロウ」


 トロスの呼びかけがはっきり耳に入ってきた。全く、トロスの質問攻めは、後何回続くんだ? 


 振り返ると、トロスは両手で何かを掴んだ格好で仁王立ちしていた。

「あれ……」


 ──しんとする部屋。先程まで騒がしかった空気は今、完全に静まり返っている。

 いや、そんな事はどうだっていい。見当たらない。さっきまでいた、俺の──。


 ドタドタ、と、隣の部屋からよろけた足音がする。その後すぐに勢いよくドアが開けられ、オズが、寝ぼけまなこで言った。


「さっきから何バタバタしてるの?」


 その問いには答えられなかった。俺の頭の中は、真っ黒で埋め尽くされて固まっている。

 トロスがこちらに数歩歩いてきて、腕をゆっくりと伸ばす。

「シロウ、これ。これになったんだ。こりゃ、何だ」

「は……?」


 その手の中には、黒の犬のぬいぐるみが、ポツリとあった。


 もう元に戻ったのだと信じたかった。しかしトロスの手の中にあるものが現実だ。体の芯から熱が冷めていくのを感じる。目の前に薄暗い幕がかかったようにまた見える景色がぼんやりと映る。

 時折こんな気持ちになる原因は、俺の心を抉る正体は何なんだろう。


「まだ夜明け前でしょ? 何二人突っ立ってんの──」

「トトがいたんだよ‼︎」


 自分でもびっくりする程の声が部屋の隅々まで響き渡った。それまで眠い目を擦っていたオズが体を跳ね上げ、目を見開いてこちらを凝視する。恐怖心が見え隠れするその表情。よほど俺の顔は歪んで映っているのだろう。


「トトって……ほら、ぬいぐるみになってるでしょ? 元に戻ったって事? そんな事、ありえな……」

「本当だぜ。今さっきまで、黒い犬っころが足元走り回ってたんでな」


 トロスの言葉に、オズはゆっくり息を呑んだ。両手を握って、何かの感触を確かめるようにして、もう一度口を開く。


「……ほんとに魔法の力、弱まってるんだ」

 その声にはほとんど覇気が無かった。もとより暗い部屋が、重い空気が張り詰めて、その場にいる全員に不安を煽る。


「で、どうする。二人とも、もっぺん寝とくか?」

 今一番冷静なのはトロスだ。


「そうだな……寝た方がいいかもな。都合の良い夢を見たんだと思って、忘れた方がいいのかも」


「……忘れてやんなよ。オレが言えたもんじゃねぇけどよ」

 

 疑いようも無く、トトはさっきまでいた。あの温かさは勘違いじゃない。ただ、大事な宝物を奪われた子供のような惨めさで心が満ちていくのが、どうしても気持ち悪かった。それを消し去りたくて、有耶無耶にしたくて、思ってもいない事がつらつらと口から漏れ出たのだ。


「僕は……起きてる」

 オズの消えそうな声を微かに聞いた。返答はせず、そのまま床につく。カチャ、と小さく玄関ドアの開く音がしたから、多分オズが外に出て行ったのだろう。


 窓の外を見ると、明るくなってきている兆しがある外の景色があった。完全に日の光が差して来るまで、今日くらい二度寝したっていいだろう。


(オズの魔法の力が弱くなるのは結局何でだったんだろう)


(オズのやつ、今日は久々に寝たんだよな)


(オズが寝ていたら、魔法の力が弱くなる──?)


 いや、止そう。考えても仕方がない。もう寝てしまおう。

 

 もしもずっと寝ていたままいてくれれば、なんて、残酷にも程があるだろう。

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