03 最終話 男は幸せに、女は不幸になっていく
ふと思いついて、結婚式を挙げてくれた神父様に、婚姻無効の書類は提出されているだろうか?と手紙を送ることにした。
二ヶ月の時を経て、届いた手紙は、まだ婚姻無効の書類は提出されていないと言う返事に、一度帰ってくるべきだと書かれていた。
婚姻無効の手続きが行われていないことに驚いたが、私が、向こうに行って、どうにかなる時期はとうに過ぎている。
私にはリュースがいる。
婚姻無効がされていないことで、リュースとも先に進むことができなくなってしまった。
神父様に笑われた結婚式のことは未だに夢に見るほど傷ついていて、両親にすら会いたいと思わないこと。今はもう平民として生きているし好きな人がいるので、その人と一緒になりたいと思っていること、その為に一日でも早く婚姻無効の書類を提出して欲しいと思っていると書いて、最後にご迷惑をおかけして申し訳ありません。と書いて手紙を送り返した。
また二ヶ月の時を経て、やってきた手紙は、シールハウス嬢は私の帰りをずっと待っているというものだった。
リュースは「ほらね、シールハウス嬢はバーンの事を愛していたのよ」と悲しそうに笑った。
私は他に好きな人がいることをもう一度書いて、二度とそちらに戻る気はないことを書いて早く婚姻無効の書類を提出することを望んでいると手紙を神父様に送った。
三ヶ月の時を経て、父とシールハウス嬢が一緒に私の目の前に現れた。
父は結婚式の時、驚かせようとしたことを謝罪して、シールハウス嬢が私のことが好きだから結婚する話になったこと。結婚式で笑ったのは、驚いた私が面白かったからなだけで、結婚そのものを笑ったわけではないと説明してくれた。
私は父とシールハウス嬢に「今更それを知ってどうなるというのですか?私はシールハウス嬢に嫌われていた。その為に結婚を喜ぶことはできなかった」
そのことに変わりはないのだ。
今はもうこの国の平民であること。そのことに満足していること。愛している人がいること。その人と結婚したいんだと伝えた。
シールハウス嬢は諦めたような笑顔を浮かべて「私が素直になれなかったことが悪いのですね」と言って、帰ったら婚姻無効の届け出を出すことを約束してくれて、父と一緒に帰っていった。
一月半ほど後、神父から、婚姻無効の届け出が提出されたと連絡が来た。
私とリュースはそれからすぐ、婚姻届を提出した。
ウエディングドレスはないけれど、白いワンピースに身を包んでいるリュースはとても綺麗だと思った。
私はやっとこの手に幸せをつかんだ。
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シールハウスはバーンノークス様がいなくなったという執事の言葉が理解できなかった。
私にとって、昨日の結婚式はとても幸せな結婚式だったのに、バーンノークス様は混乱して、私との初夜を拒否した。
何がなんだかわからないまま、夜は明けて、気まずい朝食の後、話をしたいと言われ、ただひたすら何度も謝罪されてしまった。
バーンノークス様は私に嫌われていると思っているらしく、私の気持ちを無視した結婚だったと認識しているのだと、遅ればせながら気がついた。
誤解を解こうとしたくても、頭を抱え「本当に申し訳ない、すまない」というバーンノークス様に声をかける事ができなかった。
バーンノークス様を好きだと伝えることすらできず、ただただ謝られ、嫌われていることは解っていると何度も何度も言われてしまう。
誤解があるということは解るのだけれど、バーンノークス様の誤解をどう解けばいいの考えている間に、バーンノークス様は目の前からいなくなり、お義父様の執務室辺りから怒鳴り声が聞こえ、大きな音を立てて、ドアが閉められた。
私達は大きな失敗をしたことを理解した。
バーンノークス様にゆっくり話をすればいいと思っていたら、外出していたバーンノークス様は教会に行っていて婚姻解消の方法は白い結婚しかないんだと言い出し、本当にすまないとまた何度も何度も謝られた。
またいつの間にか目の前からいなくなったバーンノークス様は夕食にも現れず、執事が部屋へ見に行くと、白い結婚での婚姻解消のサインが入った書類と、屋敷を出ていくこと、弟に家督を譲る書類、バーンノークス様が平民になる書類が用意されていた。
使用人が言うには、バーンノークス様が大切にしていたものは無くなっていて、着替えも数着無くなっているとのことだった。
お義父様は外の生活の苦労を知れば、直ぐにでも返ってくるさと笑っていたけれど、バーンノークス様の様子では、帰ってこないのではないかと、諦めに似たもののようなものを私は感じていた。
誤解はいつでも解けると考えず、直ぐにでも解くべきだったと後悔しても、もう遅い。
一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、バーンノークス様は帰ってこなかった。
お義父様が必死になって探しておられたが、行方は知れなかった。
私はこのままこの家で生活していいのか、お義父様達と話し合ったが、結婚式をして、結婚したのだから、遠慮せずこの家にいればいいと言われたけれど、旦那様がいないからか、それとも初夜を済ませていないからか、はれものを扱うような扱いだった。
いつまでもお客さんでいることの居心地の悪さに、実家に帰りたいと思った。
時折実家にも顔を出すが、そこにももう居場所がないような気がして、白い結婚のまま一年が経ったらどうすればいいのかと私は悩むことになった。
白い結婚のまま一年が経ち、バーンノークス様の行方は未だにわからない。
この国にいないことだけはわかったけれど、何カ国も移動していて、その後を追えなかった。
せめて貴族として行動してくれていたら探しようもあったのだけれど、平民として行動しているようで、探しようがなかった。
私は白い結婚で婚姻無効の書類を提出する気だったけれど、他の人達に止められた。
これ以上伸ばしても、私の婚姻が遅くなるばかりなのに、そのことは誰も考えていないのだろうか?と思った。
バーンノークス様はもう帰ってきたりしない。
私に嫌われていると、結婚式で笑われて心が傷ついて癒せないのだ。
私達皆の責任だ。
タイミングの合わない相手とは、ここまでタイミングが合わないものなのだと毎日溜息が出てしまう。
結婚して二年目になり、神父様から連絡が来た。
バーンノークス様からの手紙で、婚姻解消の手続きが取られているかの確認の手紙が届いたということだった。
神父様は居場所は教えてくださらなかったけれど、無事を知っただけでも皆、安心した。
とにかく一度返ってくるように伝えてくれと言うと、そのように返事を出しますねと言って下さった。
それから二ヶ月ほど経って返事が届くと、平民として生きていることや、好きな人がいることなどが書かれていた。
手紙が一ヶ月かかるということは、かなり遠いところにいるのだと思われた。
こちらに帰ってくる気は全く無いようで、婚姻破棄の手続きを早く取って欲しい。とのことだった。
何度かの手紙のやり取りの後、会いに行きたいので居場所を教えて欲しいと神父様の元に一ヶ月通って、住所を教えてもらうことができた。
お義父様と二人で、バーンノークス様の元へと向かった。
そこは信じられないほど小さな家だった。
本当に平民として生きているのだと実感した。
年齢は私より少し下の、小さくて守ってあげたくなるような女性が、バーンノークス様の隣に腰を下ろした。
バーンノークス様の誤解だったのだと説明をしたけれど「それを今更聞いてどうしろと?」と逆に聞かれてしまった。
もう二年以上も経ったし、もうどうにもならない。
今は横にいる彼女と結婚したいと思っている。
俺は単なるバーンという平民なんだと言われて、私達は帰るしかなかった。
お義父様は必死に戻るように言っていたけれど、出ていった時にバーンノークス様はそれなりの覚悟はできていたのだ。
現実を見ていなかったのは私達の方だったのだ。
私は帰り着くと白い結婚での婚姻解消届を出し、二年間の慰謝料としては少ないのか相応なのか解らない程度の金額を貰うことができた。
最初に悪乗りした私にも責任があることなので、と一度は断ったのだけれど、ほんの気持ちだからと言われて受け取ることにした。
私はどうしてバーンノークス様が嫌われたと思わせるようなことをしてしまったのだろうか?
彼がノーアヘルベルトから帰る前に、彼の手を何故取らなかったのか、毎日後悔した。
もう、遅すぎるのだけれど。
ただほんの少し素直になれなかっただけなのだ。
バーンノークス様のことは大好きだった。
夜会や、パーティーで出会った時はいつも彼を見ていた。
はじめは単純に私が隣にいても、相手を見上げることが出来るという興味だった。
それが、子供の頃のバーンノークス様だと知り、幼い頃の傷ついた恋心が少しずつ大きくなっていっていた。
彼がノーアヘルベルトに来てくれた時には、すごく好きだと思っていたのに彼に求められて、もっと欲しがられたかった。
ほんの少し、勿体を付けたのだ。
自分の価値を上げたかった。
それが失敗だった・・・。
あの日、素直にバーンノークス様の手を取っていれば・・・今頃幸せで可愛い子供の一人や二人はいたのかもしれない。
何度も繰り返して後悔する。
婚姻解消の届け出が受理されて、すべてが終わってしまった。
そのことにも後悔した。
私の居場所はどこにもなくて、取り敢えず実家に帰ったけれど、腫れ物のように扱われ、身の置きどころがなかった。
父に婚姻相手を探して欲しいと頼んだけれど「後妻に入るくらいしか、相手はいないぞ」と言われた。
私はそれに了承し、数ヶ月が経った時、持ち上がった話は、五十歳の男爵の三人目の後妻だった。
さすがにこの話は・・・と父に言うと「解った」と言って、その話は立ち消えたが、持ち上がってくる話は、どれもそう変わりのないものばかりだった。
自分の価値の無さにショックを受けていると、二十八歳の後妻に入る話が降って湧いてきた。
一度会うことになり、会った瞬間に「大きいねぇ・・・」と言われて、それっきり会話はなかった。
翌日、相手から断られ、どうしてあの時バーンノークス様の手を取らなかったのかとまた後悔し続けた。
私は三十歳になっても結婚相手を見つけられていなかった。
もう結婚は諦めていて、刺繍や小物を作っては売って小遣いを稼いでいた。
けれど一人で暮らしていけるほどではなく、兄に世話になりっぱなしだった。
仲が良かったはずの兄嫁はいつも不機嫌で、私が邪魔なのは解っていたけれど、私はどこにも行くところはなかった。
三十五歳になった時、隣の辺境伯が奥様を亡くして、後妻を探していると言う話が私の所にやってきた。
隣の辺境伯のことならよく知っているので、一も二もなく受ける気でいたけれど、取り敢えず会ってみてから、と相手から言われ、久しぶりの再会を果たした。
「変わりないみたいだね」と言われ、それがどういう意味に受け止めていいのか解らなかった。
「結婚の条件を聞いているかな?」
「いえ、何も聞いていないわ・・・」
「子供は作らない。前妻との子供を可愛がること、俺が先に死んだ時には家を出ること」
「えっ、それは・・・」
「平民より少しはマシな程度の家は与える用意はできているが、メイドも料理人も用意はできない」
「ちゃんとした妻として扱われるのですか?」
「それはあまり期待しないでもらいたい」
「そんな・・・」
「見た感じ、この世の不幸を背負っているような顔をしているね。それは子供の頃からずっとそうだったけど」
「私って、そんな感じなのですか?」
「私にはそう見えていたよ。子供の頃から。背が高いことがコンプレックスだったんだろうけど、私からすればそんなことより、人を恨んだような表情をしている方が、問題だったんだと思うよ。今はもっと酷いね。悪いけど、この話はなかったことにして欲しい。君に子供を任せると、いい未来を描けない気がするよ」
「・・・・・・解りました」
そう返事する以外、私に出来ることがあっただろうか?
一人取り残されたカフェの個室で、私は声を出さずに一人で笑っていた。
姉や妹も私と同じくらいの身長がある。
けれど幸せな結婚をしている。
私が結婚できなかったのは全て私に問題があったのだ。
バーンノークス様があれほど私に謝り倒していたのは、私の表情が嫌そうな表情をしていたからなのだ。
私は今、なるべくして、今の私なのだ。
バーンノークス様に勿体つけるのではなく、もらってくださいとお願いしなければならなかったのだ。
私はその後、五十三歳の後妻を探している人に嫁いだ。
私の背が高いことを自慢するようなおじいちゃんだった。
処女の私に喜び、すごく嫌だったけど、物凄く可愛がられた。
おじいちゃんが七年ほどで亡くなると、義理の息子に愛人として他のおじいちゃんに売り飛ばされた。
そのおじいちゃんに囲われることになったけれど、これで暮らしていけると安心した。
私より二つ年上の息子さんに汚らわしいものを見るような目で見られた。
ただそれだけだったので、気にしないことにした。
だって、今日もそれなりの暮らしで生きていきことが大事なんだもの。
今のおじいちゃんは次に行くところも準備してくれてから、亡くなった。
今度の人は私より十歳ほど年上の人だった。
入籍してくださって、私が死んだら、廃爵して、残ったお金でほそぼそと生活しなさいと、いってくれる人だった。
ほんの些細な幸せな日々を初めて送った。
触れられても、嫌だと思わず、身を任せることができて、私の将来を心配してくれる人で。
穏やかな時間はあまり長く続かなかったけれど、廃爵の手続きを取っている間に、私も跡を追いかけることになってしまった。
夫が私を一人で残すことを嫌がったのか、私が追い掛けたかったのかは解らないけれど・・・。