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蒼頡の言霊【第二部~華胥之国編~】  作者: 逸見マオ
序章
3/16

序之三


 目の前にいる童児が、大御所に向かって慇懃いんぎんに言った。

 家康はいぶかしがった。


「なに? えただと……?

 いったい、なにが視えたというのだ。

 申してみよ」


 家康が問うと、蒼頡は一呼吸置いたのち


「……海でござります」

と言った。


「海?」

 家康はすぐさま聞き返した。


「……はい。

 江戸殿が……海の真ん中にしておられる姿が、視えたので御座ります」


 家康は目を丸くした。


「海の真ん中に座している、だと?」

 家康が問うと、蒼頡がうなずいた。


「はい。

 正確に申し上げますと────幼少の頃の江戸殿が、大海の真ん中にぽつりと顔を覗かせる小さな岩肌の上に、座しておられます。

 ちょうど、今のわたくしと同じ年頃のお姿のように思われます。

 周りは広大な海水に囲まれており、他には何もありませぬ。

 何とも、累卵るいらんの危うき場にござります」


 家康が、子どもの言葉に集中した。



「やがて……天に妖しき黒雲が立ち込め始め────周囲は嵐となります。

 風が吹き乱れ、大海は轟々(ごうごう)と荒れ狂い、幼い江戸殿は不安定な岩肌の上で、今にもその小さな身体が海中に落ち、波に飲まれるかという状況におちいってしまわれます。


 すると間もなく、江戸殿の背後に激しい波が押し寄せてまいりました。同じくして、なぜか江戸殿の目の前に、粉雪も降り始めてまいります。

 吹き荒れる周囲の様子とは裏腹に、雪だけはどういうわけか穏やかに、江戸殿の周囲にのみ、まるで江戸殿を守るかのように、しんしんと降り注いでおります。

 天から静かに降り注ぐ粉雪は、荒れ狂う海中に溶け込むかと思いきや、江戸殿の目の前で光りながら、宙にとどまり始めます。


 その雪の一粒が、不思議なことに突如、一冊の大きな書物に変化いたします。降り注ぐ粉雪は次々に、何十、何百、何千冊といった、大量の書物に成り変わってゆきます。

 その書物たちが、江戸殿の前に列をなし、道を作ります。

 座していた小さな岩肌の上ですくりとお立ちになると、江戸殿は目の前に現れた一冊の書物の上に片足を一歩踏み出し、書の上にお乗りになります。

 江戸殿が全体重をかけても、書物は微動びどうだにせず、海の上で静かにとどまっております。

 江戸殿は、海の上に現れた書の道を一つずつ渡り始めます。

 荒れた海と小さな岩肌しか無かった危険な場所、背後に迫り来る激しい波から、危うく海中に飲まれるかという間一髪のところを、幼い江戸殿は書の道を渡って、走りがれます。


 書の道を一歩一歩渡り駆け行く度、不思議なことに江戸殿は徐々に背が伸びてゆき、年を重ね、やがて成人してゆかれます。

 盛年せいねんになられた江戸殿は、書の道の上を必死に走り続けておられます。

 背後にはまだまだ、荒れ狂う大波が江戸殿に向かって押し寄せてまいります。


 すると、波の水飛沫みずしぶきがいつしか赤く染まり、やがて人に成り変わってゆきます。赤い飛沫しぶきが、血と泥にまみれたたくさんの兵士に成り変わってゆきます。

 飛沫ひまつ一粒ひとつぶ一粒ひとつぶが、戦で亡くなったものたちの亡霊に続々と変化し、江戸殿の背後に次々と迫り、襲い掛かります。

 江戸殿はそのお背中に、戦死した同胞や敵陣の兵士たちを何十体、何百体、何千体、何万体と背負って、走り続けておられます。


 背に数多あまたの亡霊を抱えながら、江戸殿は書の道に導かれ、必死に走り続けておられるのです────」


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