第二章【21人目の主人公】〜「再会」と「初めまして」〜
「だ……「久しぶり。元気してた?」
黒髪で、少し幼げな少女が楽しそうに私に尋ねる。
「……誰ですか?」
そう、身を守るポーズをとっている私が問いかけると、彼女はきょとんとして、
「あぁ、分かんないんだっけか」
「──それはさておき、貴女は何か……生きづらいのでは?」
今まで話していなかった、もう片方の黒髪の少女が聞く。こちらは少し、大人びていて、口調が硬い。
何故それを、と口を開く前には、もう手が差し出されていた。
「逃げたいのならば……」
「鏡の向こうなんてどう?」
──何故か、私は取りたいのに、取れずにいた。此処ではまだ。
ヒトとの会話が、成り立たない。あぁ、こんなにも会話のキャッチボールは難しかったのだろうか。
ずっと私は、壁に打ちっぱなしているだけで。
拒みたい。隠れたい。
「逃れたいのでしょう? ならば──」
私、矢田川直!! 18歳華のJK!! 今日も元気に一生を楽しんでます!! 人生さいこー!!
──何て言える状況に、少なくとも私は置かれていない。置かれている訳がない。そして、今後一切置かれることなんてないだろう。
3人での登校。急遽1人が参戦してきただけなのに、楽しく会話の相手をする、そのポジションはあっさりと奪い取られてしまった。
私独りだけが置いてけぼりにされる。朝だというのに、梅雨と初夏の合間の、気持ち悪い空気が身体にまとわりついてくる。別に汗をかいている訳じゃあない。
息がし辛い。急遽飛び入り参加してきた1人と、私と登校している子とが話す様子を、後ろから、ただじっと見つめているだけで。私の心はこんなにも脆かったのか。
自然と、足取りが重くなる。距離が遠ざかっていく。口の中の酸素やら水分やらが無くなって、金魚の様に口をパクパクさせる。誰も、私を気には留めていなくて。
(……ここで離れれば、2人はどんな顔をするのだろう)
好奇心ではない。ただの自暴自棄に陥った結果の思考。だって、あいつらが悪いんだもの。
『優等生ちゃん』と呼ばれている私がこんな思考の中で生きているだなんて、誰も知りはしないだろう。
何も言わず、そっと、足を少しだけ擦る様にして直進する。薄情な事に、私のことを気にも留めていない阿呆2人は、気付いてはなかった。
気分が楽になった訳ではない。でも、自業自得だと、心の中で叫び尽くしていた。
私は、会話に入れなかった。話しても、一言二言返答をくらって終わり。
ここまで、私って会話下手くそだったっけ……?
そりゃあそうだ。だって、ずっと私は"壁打ち"だけで。
対人で長く話した事なんて、"昔の時"だけで。
そういえば、"あの子"は元気かな。確か──。
と、道なりに進みながら考えていると、先程私が無断別行動をした地点で、2人が此方を見つめていた。
「ばーか」
学校に着いて早々、私はかなり神経をすり減らしていた様で、「あれ? いつもの子は?」と養護教諭に聞かれるや否や、熱い液体をボロボロと溢していた。意外や意外、私は根まで真面目であったのだ。
10分程度休憩していると、大分その液体は収まってきていた。
それを感じ取ったのか、養護教諭が
「ちょっと用事があるから、好きにしてね」
と廊下へ出て行った。
それもそのはず、私は所謂"ワケアリ"。別に犯罪を犯した身内がいるとか、そんな方面ではなくて、身体的な訳あり。"何が引き金になるか分からない"から、良い様に言えばわたしを気遣っての特別扱い。悪い様に言えば腫れ物扱い。
何が悲しかったのだろう、と肘をつき顎を乗せて考えるも、独りという状況下においては考え事よりも先に何とも言えない寂しさが込み上げてくる。
「──外の空気でも吸お……」
心情とは裏腹に雲一つない晴天。でも、空気は湿気を帯びている。
窓を開けると、ビュオオっと突風が入り込んできた。
「……っ!」
突風にも驚いたが、それよりも──……
2人の黒髪の少女が、窓の縁に立っていたから。
──正確には、1人は腰を掛けていたのだが。
「だ……「久しぶり。元気してた?」
黒髪で、少し幼げな少女が楽しそうに私に尋ねる。
「……誰ですか?」
そう、身を守るポーズをとっている私が問いかけると、彼女はきょとんとして、
「あぁ、分かんないんだっけか」
「──それはさておき、貴女は何か……生きづらいのでは?」
今まで話していなかった、もう片方の黒髪の少女が聞く。こちらは少し、大人びていて、口調が硬い。
何故それを、と口を開く前には、もう手が差し出されていた。
「逃げたいのならば……」
「鏡の向こうなんてどう?」
──何故か、私は取りたいのに、取れずにいた。此処では"まだ"。
「は?」
「「──え?」」
謎の美少女達の声が重なる。と同時に、差し出された手は呆気にとられて、反応に似合わない格好で独り歩きしていた。
「え、鏡……の向こう……? は? 何言ってるの?」
「……ちょっとだけ、待ってね? すぐ終わるから。その後、説明するよ……」
そう言うと、初対面で「久しぶり」と言った黒髪の少女は、パッと手を引っ込めて、もう片方の少女を連れ出し窓から離れる。
数秒後、話を終えたかと思いきや、真っ直ぐ窓へと近付いてくる。
少女は、コホンと一つ。咳払いをして、
「貴女、ここから逃げ出したいんでしょう?」
と、見透かしたように問いかけた。
もう片方は怪訝そうな顔をして
「……その願い、叶えて差し上げます」
とだけ語った。
「……えーとつまり、私を此処から連れ出そうとしてる──てことでいい? のかな」
「そうそう」「そう言うことです」
うーん、と一つ唸ってみる。と、重要な事に気が付いた。
「──それより、貴女達学校関係者じゃないでしょ?」
「あれ、よく知ってるね。流石"優等生"」
「……別に、そんなんじゃないです。大体知ってるってだけ。偶々知らない顔の2人だったから」
「……変わったね」
「え?」
「昔はもっと──いや、何でもない」
昔。昔は──もっと、楽しかったな。本音で話せる友人がいて。こんな"優等生"演じなくて済んで。
「……で、私、貴女達に名乗られてないんですけど。ねぇ、とかあいつ、とか呼べばいいですか?」
「うーん敬語なのが何たる皮肉「あぁ、そう言えばそうですね。申し訳ありません」
そう怪訝そうにしていた少女は、被せに被せて呟いて、ついでに一つ咳払いをして。
「"私"の名前は冥華です。年は19歳。──社会人……です。私達はとある力を抱えています。こちらの馬鹿もまた」
「ちょっと、何馬鹿って。コホン。私は鈴華。年は"貴女と同じ"18。その力ってのが…まぁ内容をぎゅーっと纏める……っていうか、一言で言うと、"選択"って言うの」
能力というものがあるらしいが、そうなるとこの世界出身ではないだろう。──そもそも、別世界何かがあるかは知らないが、「鏡の向こう」なんて言っていたし……。
「……選択? は? 意味分かんないんですけど取り敢えず置いといて──えっ、と、冥華さん…? は…?」
「……"欲"、です。何処かへ逃げ去ってしまいたいと思ったのも、私の力です」
「へぇ──……。え、待って、何。私嵌められたってこと?」
耳で聞き取って、頭の中で理解しているつもりでも、何一つ分からない。この人達は、私とは訳が違う。いや、"ワケアリ"という点では同じなのだろうが。
しかし何とも非現実的な話だが、ファンタジーの様なものを感じて面白く、つい聞き入ってしまう。
「──あ、ごめんなさい。私の名前は、「直」
「え?」
な。名前の一文字目を発する前に言われてしまった。
「矢田川直ちゃ……さんでしょう?」
「……っ何で、鈴華っ……さんが……知って……」
もしかしたらこの人達には、思考やら欲やら選択肢やらの他にも、色々と手に取る様に分かっているのではないか。
「当たり前でしょうに」
カバーするかの如く、口を挟んだのは冥華さんだった。
「どうして?」
「どうしてって貴女……見ず知らずの人を誘か……拉──……知らない人にあんな馬鹿げた提案するわけがないかと」
「確かに……って、馬鹿らしいって言っちゃうんですね……」
冥華さんの能力なら見ず知らずの人でも行けるんじゃ、っと思ったが、それは喉奥に仕舞い込んだ。
「はぁ……」
待ちぼうけたのか、はたまたハブられたからなのか、鈴華さんは退屈そうに溜息をついていた。すると、
「で? 結局直ちゃんは行くの? 行かないの?」
と問いかけてきた。まるで話題を必死に作ろうとする父親みたいな……。
「いつの間にちゃん付け……」
そんな私の呆れ声は
「確かに」
という冥華さんの声で、違和感と共に掻き消された。
「──ちょっとだけ、時間頂けますか」
「いいよ」「勿論」
直ぐに食い下がった2人を見て、少しだけ硬直した。
「……ありがとう、ございます」
少しだけ、躊躇って、照れくさくなった。お礼なんて、看護婦と医者にしか殆ど言ってこなかったから。寧ろ、私は言われる側にいたから。
「全然大丈夫。直ちゃんのペースで決めていいんだよ」
「いえいえ、鈴華が急かしてしまって申し訳ないです。……それより、ほら、授業始まりますよ」
「あっ……!」
冥華さんの注意にもだが、私は"ある物"を見て大きな声を上げてしまった。
「……?」
「どうしたの? 直ちゃ──「"鈴蘭"っ!!」
その一言を発した直後は、ただ、ぽかーんという音が合いそうな空気だけが流れていた。
「──え?」
「──"鈴蘭"……? 鈴蘭……がどうかしたの……?」
「……あっ」
慌てて口を塞いだが、数十秒遅い。諦めて手を外し、舞わせた。
「鈴蘭がどうかしたの?」
「──実は、私、昔入院してて……一緒に遊んでた子が……いたんですけど……」
一拍置いて、呼吸を整える。
「"急にいなくなっちゃった"んですよね、その子。私が発作を起こしてる間に。死んじゃったか、未だに知らないんですけど。」
「……」
何故か冥華さんが鈴華さんを一瞥したように見えたが、もう少し話を聞かせてほしい、と鈴華さんが目線で訴えてきたので、もう少し話すことにした。
「その時に、"病室に鈴蘭があった"んです。詳しく言うと、"矢"なんですけどね」
「友達思いなんだね。その子は」
鈴華さんが、どこか"自分事"の様に話したが、それでも、他人事だろう、とスルーしていた。
「っそ、それに……!! "手紙"、もあって、それには花言葉が書かれてたんです。知ってますか? 『再び幸せが訪れる』。素敵でしょう?」
長々と話し終わった後は、やはり息が上がる。整えていると、またもや同じ空気が流れていた。
「……あっ、ごめんなさい。私ばっか「──差出人は?」
そう、口を開いたのは冥華さんだった。まるで、誰かに代わって聞く様に。
「何にも書かれてなくて──」
「遊んでた生死不明の子は?」
「……えっ、とね。確か鈴って──」
「やめて!!」
「えっ──?」
頭の中は『?』で一杯。どうして、名の違う鈴華さんが怒るのだろうか? 多少、名前は"似ている"けれど。
「っごめ」
「──違うよ。鈴華さん」
「っえ……?」
「私が言ったのは貴女じゃない。それに、鈴は金髪だったし……」
黒髪じゃないよ。そう加えて、床に崩れ落ちていた鈴華さんを宥める。その近くには、腕を組んで壁にもたれかかっている冥華さんがいた。
「──一旦戻ります。鈴華。立って」
「っでも……」
「大丈夫ですから」
「……はぁ」
カバっと、俵を担ぐように鈴華さんを床から引き剥がすと、冥華さんは、何て言うんだっけな、と前置きをして、
「あぁ、そうだ。また後で──だ」
とだけ私に告げて、いつの間にか消えていた。──突風と共に。
チャイムがタイミングよく鳴る。トンッと風に背中を押された気もしなくもなかった。私は急いで教室に戻りながらずっと、答えを迷っていた。
それもその筈。
その夜、独り暮らしの部屋で、私はパソコンを立ち上げヘッドホンを用意し、配信の準備をしていた。
開いたアプリはMeTube。
私は所謂、『Virtual MeTuber』というやつだった。
スーパーチャット、コメント、モデレーター──……全ての項目をオンにして、『配信開始』。そこにカーソルを乗せれば、私はもう『矢田川直』ではなく、『neo』になる。
告知もなく配信をすれば、同席は1万人程度だろう。でも、待っている人が居る。インターネットには。
行きはよいよい帰りは怖い。インターネット世界への道を行く。楽しいという感情が湧き出た以上、帰ることは難しい。この時代はもう一方通行だから──。
きっと、あの誘いに考えもせず乗っていたら、この部屋に帰ってくることは叶わなかっただろう──。そんな勘が。
「……今日は、疲れたから辞めよう。配信は」
そういえば、さっきの冥華さんの『また後で』って、どういう意味だったのだろうか。
顎に手を当てる。2人の提案が強烈過ぎて、もう恨み嫉みはほぼゼロになっていた。
「暑……」
締め切ったカーテンをシャッと開いて、窓を開ける。ベランダにでも出ようかな。
裸足で、朱色のサンダルを履く。パタパタと音を鳴らしながら、手すりに吸い寄せられる。
瞬間、ぶわっと本日三度目の突風。お風呂に入って直ぐに乾かした髪が、宙を舞っていた。
地毛で茶髪は珍しいからとっつきにくいのだろうか? と思いつつ、気配がある方向に目をやる。今度は、2人とも、手すりに座っていた。
「……またですか」
「またとは失礼な。ごめんねさっきは。取り乱しちゃって」
「……いえ」
無意識に、訝しんでいる表情になっていただろうか。自然に、顔を作れていただろうか?
まるで謝っていない鈴華さんを一瞥して、冥華さんを見据える。
「……また後で、って、こういう意味ですか。冥華さん」
「──はぁ。そうです。逆にどう捉えたのかが気になりますが」
「……いや、結構です。そこは聞かなくても」
丁寧に、手の平を冥華さんに向けて突き出す。と、鈴華さんが突っかかってきた。
「結局どーすんの? って聞きたいとこなんだけど、1ついい?」
「……? どうぞ……?」
何か、真剣な話を切り出すようなタイプには見えないけれど……。
「け! い! ご! やめて!!」
「「──は?」」
何を突拍子もなく、と思ったのは私だけではなかったらしい。冥華さんも一言一句、タイミングまで同じで声が漏れていた。
「すっごーーーーく敬語嫌なんだよね。ねぇ、何で? 何でそんなプライベートまで敬語で生活できる訳? 私には理解できないわぁ」
「──鈴華」
「冥華も! 何かさ、丁寧だったらいいと思ってない? 何か逆にプライベートと差があり過ぎて困るっ!! 気持ちわ「五月蝿い」
私が呆気にとられていると、冥華さんが鈴華さんの脳天を目がけてチョップしていた。お見事……。
「痛ぁ……。何で敬語なの?」
「──いや、別に……。理由は何も……」
ハンッと、鈴華さんが笑う。何故だろう。私も脳天にチョップをお見舞いしてやりたい。
「それを失うのが怖いんでしょ?」
私の瞳孔が開く。同時に、鈴華さんがにんまりと、満足そうな笑みを浮かべる。図星だろ、とでも言う様に。
「まぁいいけど。私に"関係ない"し?」
そう鈴華さんが言うと、冥華さんは隣でボソッと、よく言うわ、の一言。
「で? どうすんの? 来るの? 来る? 来るよね?」
「……まぁ」
報酬によっては、と右手でお金のポーズ。
「──報酬かと聞かれると分かりませんが……」
冥華さんが、またもやカバーを入れて。
「……貴女が面倒だと思っていること全て、無くなりますよ」
「え?」
「面倒なら、消すか逃れるかすればいいんです。後者ですが、その手段が」
我々にはありますので、とご丁寧に冥華さんは右手で己を。左手で鈴華を指した。
「……へぇ」
「あれ? あんまり好条件じゃない?」
「──いや、凄くいい。最高。……逃げるのはちょっと癪だし、心残りはあるけど……」
「……人と関わり生きていくのは、ニンゲンとしては最高峰の罰です。その原罪から逃げられるならば──と、そう考えればいいのでは?」
誘惑、魅惑。表せば、2人はそんな2文字がそれぞれ合う。
鈴華さんは誘惑。冥華さんは魅惑。
単純に、行きたいと思った。そんな楽園があるのなら、その楽園に。──鏡の向こうに。
鏡だから、あいつらはいるのかもしれないけど、やり直せるなら……別の次元の人として生き【直】せるなら……乗るしかない。この泥舟に。
「行きます。絶対」
「いい返事。じゃあ、行こっか。ほら、冥華も」
「……はいはい。──直さん、その靴……と服でいいんですか?」
「あ、ちょっと待って。履き直します」
玄関から、学校に履いていくローファーを持ってくる。服も、カッターシャツと制服のスカートに着替えて。
「ねぇ、向こうで生活必需品とか買えばいい?」
「うん、何も持ってかなくていいよ〜」
床で、洗濯し終えて明日履いていくつもりの黒色のハイソックスを履いて。
「……──よし、準備おっけー。お待たせしました」
「なら、もうこの手は」「取れるよね?」
スッと、保健室で差し出された様に手が伸びてくる。
もう、あそことも、あいつらともさようならだ。
「──うん。大丈夫。ちゃんと五体満足で、連れて行ってよ」
それを私は、今度こそ迷わず取った。