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Ask for ──  作者: かゆ
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第一章【20人目の主人公】〜You are sacrifice〜

 蓼食う虫も好き好き。「ライクライク」。

 私は「Like」。彼は……「Like」? それとも「Love」?

 あぁ、彼女と"ガールズトーク"をしたのは遠い昔ではない記憶。

 まさか。Likeだと思っていたのに──。



「あぁ、ありがとう……」


 椅子から立ち上がって、パタパタと駆け足で寄ってくる女王。私の前に立ち塞がった……かと思いきやしゃがみ込んで、私の両肩を掴んだ。


 まるで【逃せない獲物】の様に──。


「え……っと、具体的には何を……?」

「そう……ねぇ」


 ポケットをごそごそと、何かを探しながらそう女王が呟くと、やっと肩は解放された。私の方を捕らえていた手は、やがて女王の顎に収められた。──片手のみ。


「……これ、見て?」

「……? え」


 何でそれを持ってる、とか、待って、だとか。

 そんな声は私の喉の奥深くで突っかかって蝋燭の煙の様に掠れて消える。


「……ぁ、あ……あ──?」

「……ねぇ、協力してくれるでしょう? 言ったものね」


 自分の意志に反して、手が……女王の持つ"桃色の宝石"へと伸びる。──冥華はこれが目的だったのか。

 どうやら、私は巨大な釣り針にまんまと引っかかったみたいだ。


 女王が私から離れ、ガラスケースに近寄ると手をかざし、何かの呪文を唱えていた。

 "実態が無い"と言うには怪しすぎるほど人の気配を感じる……が、意志とは反対に目蓋がゆっくりと落ちてくる。エンドロールが終わる。私の幕が下りる。


 私、は……。──主人公では無かった。


 ただの観客の一人。映画をみる観客の一部。


 抵抗すらできない。待って、そうとも呟けない。

 私は、自室にあるものと同じ様な大きさの宝石を握る感覚と共に、意識の奥底へと堕ちていった。



 グルグルと、先が白飛びしているだけの血管の様な道を通って行く。さながら赤血球だ。

 触れることも出来ず、ただ延々と歩くだけ。


 だって、私はもう"腕が無い"のだから。



 ハッと目が覚める。悪い夢を見ていた様で、酷く汗をかいている。幸いにも、血生臭い匂いはしなかった。腕は、ある。ここに。


 上半身を無事にくっついていた腕を頼りに自力で起こすと、左には後ろで手を組み、傍観者をかましている冥華。

 右には腰に手を当て、威張っている様な体勢の鈴華。

 正面には腕を組み、大股で立ち塞がる女王。


 流石に多いよ、そう言おうとしたが、声が。出ない。

 冥華、何のつもり、そう問いただそうとしても、口が開けない。

 喉に手を当てようとしても、動かない。

 どれだけ声を出そうとしても、どれだけ声が出ないとアピールしようとしても、出来ない。


 願いは、結局叶わない。この力には、"やはり"敵わない。


「──起きたし、もういーい? 冥華」

「……いいんじゃない」


 何をしようとしているのか分からない。判りたくもない。


「いーですか? 女王様〜」

「許可します。けど、もうそろそろ自分達でここまで出来る様になりなさいな」

「やった!」


 後ろに逃げたくとも、逃げられない。

 助けてとも、叫べない。


「……それじゃ、戴きま〜す」


 鈴華が手をかざす。


「──────」


 同時に、冥華が何かを呟く。


「──あ」


 何かを、感じる。


 生気が、すうっと抜けていくような。


 目と鼻の先にあるのは──鍵穴?


「……貴女は、私に"普通をくれる"?  ──痛いかもしれないけど、っ」


 最後は痛みで終わるのか。


 こんな思考ならば、何時まで経っても自殺の道を踏めやしないだろう。

 一瞬で儚く消えてしまうというのに。こんな考えしか出てきてはくれない。


 せめても、と耐えるために辛うじて動く目蓋を閉じる。


 心臓を鷲掴みにされた様な感覚を乗り越えた先には、チクリ、と針を指したような痛みだけ。

 ──その痛みがやって来たのは、何処からか出てきた鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間だった。



 パリン、と鎖や鍵穴が弾け飛び、痛みすら感じなくなって。やがて、魂さえ揺れて割れ、砕けた。


 魂は飴細工だ。脆く脆く、ただただ甘い。甘い。甘い。甘くいたい。痛い。


 この苦痛を誰かに吐きたい。

 この円縁を誰かにはきたい。

 この永遠を──誰かには期待。


 血管の様な場所。ただ彷徨い続ける。


 ただ、あの夢の中で見た光の先に、辿り着けそうだった。



 目が覚めると、妙に視界が桃色がかっている。そして、場所も何だか少し違う。

 頭も動かせない。まるでゼラチン菓子の中に閉じ込められているかの様に。


 ──その予想は、半分合っていた。


 固い、何かの中に居ることは明白。

 それこそ、小さな何かの中に。


 縮尺がバグっている。

 腕を見てみると、何かの傷跡。

 それこそ、"手術の傷跡"の様な何か。


 ただ、こんな傷に見覚えはない。何処かに引っ掛けるにしろ、こんな傷、一瞬でつく筈もない。


 ならば、この傷は誰のもの?

 さすれば、この体は誰の者?


 答えは目の前に鎮座していた。


 鈴華だ。


 鈴華が私の姿で。


 ただ、私の姿には似つかわしくない"桃色がかった様に見える"白色の片翼と、絹でできた服を身につけている。客観視してみると恥ずかしく、あまり可愛い、愛おしいという外見ではない。


 そうしたら、私はあのフレンドリーで可愛らしい鈴華の姿なのだろうか。


 不自由な空間。可愛くもない自分の姿になっている鈴華。そしてそれを見る可愛らしい鈴華の姿になっている私。


 何だこれは。地獄絵図?

 ここに来るまでもさんざ振り回された挙句、神様はもっと私が苦しむことを望んでいるのだろうか。

 ──神は結末を、物語の筋書きを書いたのではないのか?


 ──そういえば、どうやって成り代わったのだろう。


 魂を入れ替える魔法? それとも腕や足を切り取ってつける? ……傷を見ればそうなのだが、何の為に?

 傷を隠したいとか──。でも、傷を隠すために傷を増やすのは如何なものか。


 ……纏まらない。宝石の中に妖気が入っているのだろうか。頭がクラクラする。


 もう、いいや。


 そう、考えることをやめ、目蓋をゆっくりと閉じた。


 "──これで、私の一度きりのくそしょうもない人生が終わると思っていたのに。"



「──では、行って参ります」

「行ってらっしゃい。アレは持ったかしら?」

「えぇ、……鈴華ではないので」


 ガチャリとドアを開けると、すぐ目の前には葉月──ではなく、鈴華が居た。


「ありがと〜冥華。お願いね」

「……次の仕事に向けて準備しておいて」

「大丈夫だって〜」

「そう言って今回もギリギリだったでしょ……!」

「はいはい、分かったって。世界で一番愛してるわ"お義姉様"?」

「そういう事言えば何でもやってもらえると思ってない? からかわないで。行ってくるから」


 そう言って踵を返して歩き出す。筈だったのに。


「あ、そうそう。ねぇ冥華」

「……何?」


 無意識に睨みつける。


「何でさ、あの子。あぁ、"この子"か。冥華に協力したと思う?」


 皮肉交じりに笑う言い方のせいで、理解が追いつかなかった。


「は?」


 【聞き覚えのない】台詞。

 【こんだけ死んできて】、初めて聞く。耳が慣れない。


「……しらな「好きなんだよ」

「……は?」


 意味がわからない。とうとう人を喰いすぎて気が狂ったのか?


「どっちの"好き"だと思う?」

「……そりゃLikeだろ」

「いーや、違うね。Loveだよ。まぁ尤も、冥華もそうなんだけど」

「……は……ぁ、そう」

「あれ、突っ込まないの? ま、いいや。兎も角、あの……この子は、冥華が好きなんだよ。だからここまで阿呆面晒してやって来た。この子自身は、私が選択肢を狭めたもんだと思ってるらしいけどね? そして私……鈴華に喰われた」


 何を言っているんだと咎める気力もなかった。が、それは同時に鈴華が葉月を喰ったと認めることにもなった。


「……ねぇ、何で。初対面の冥華を直ぐに好きになったと思う? ……それこそ、この短時間で」


 それは、予想だにしない一言で。


「冥華が、"爽"だって気付いたからだよ」

「──何を根拠に」

「女王様から聞いた。──あの人は、"ココロが読める"からね。全知全能だよ、ほんとに」


 ──あぁ、見た目が葉月だとどうもやりにくい。


「……もう、いい。言いたいことはそれだけ? 行ってくるから」


 そう言って、ようやく回れ右をする覚悟がついて、歩き出す。


 遣る瀬無い(やるせない)。そう例えるのがいいだろうか。鈴華の父母を犠牲にした時も、教会の同じ位の年の女児を犠牲にした時ですら、こんな言い表しようのない気持ちにはならなかったのに。……如何してだろうか。


 そうポツポツと考えながら歩いていると、いつの間にか城の敷地内から出ていて、あの喫茶店の前にまで来ていた。


「……っあの"魔法"が上手く行けば」


 いいな。そんな願いは虚空へと消えていった。


 死者が生者に成り代わるなんてことないのに。それに、"俺はこの世界の住人じゃない"。外来人だ。魔法なんか扱えないに等しい。奇跡は、偶然は、無いんだ。


 仮に生き返ったとしても、他人に憑依したとしても、俺は葉月だと分かれないし、葉月と会える確率すら到底ない。


 憶測なんて2文字は頭の辞書にない様な、合理的な人間として生活してきたのに。


 そう考えに浸っていると、カランコロンという入店音で我に返った。


「……アイスコーヒー1つ」


 冬だが、頭を冷やすには丁度いいだろう、と躊躇せず注文すると、少し驚いた様な顔を見せられたが特に詮索する訳でもなく、ただ、かしこまりました、という声が返ってきた。


 店員が離れたのを確認し、そばに置かれた白いタオル──おしぼりの袋を破く。


 何度も、何人も、何としても何かを犠牲にする為に使ってきた手を労うかの如く丁寧に拭く。


 Did she deserve it?(彼女はそれに値したか?)


 ふと壁を見上げると、そんな哲学的な一言が、木製の額縁に入った真っ白な紙に黒く、達筆な文字で書いてあった。


「……っ」


 思わず目を伏せる。視界が影がかって、暗く濃く視える。

 時間よ、早く経ってしまえ。そうしたら、全部……忘れられるから。


 尤も、時間が経つ前に、【毎回俺は死んでる】んだけどね。


「お、待たせいたしました〜……」


挙動不審に思ったのか、先程注文を聞きに来た店員が頬をヒクつかせてやってきた。そりゃそうだ。気が狂って店の中で暴動やら起こされては店側も困る。


 よく見れば、給仕服の様になっていた。あの声が機械音声のメイドが脳裏に浮かぶ。なんであれは機械音声なんだっけか。忘れてしまった。随分昔の事だから──。


「ありがとうございます」


 そう言うと、パタンとコースターが置かれ、その上に音もせず汗のかいたグラスが鎮座した。


 一つ息を吐いて、両手でぎゅっとグラスを握りしめる。

 刺さっていたプラスチックのストローを手繰り寄せ、一飲み。


 不味い。途轍もなく不味い。貼り付いているみたいで、中々喉を通らない。


 いつの間にか机には水が入ったコップの汗が水溜りの様になっていて、タオルで拭っても中々吸わない程度には机がびしょびしょだった。


 何とか全て飲み終えて、金を払い店を出る。


「───もう二度と頼まねー……」


 そう誓い、今後もそのアイスコーヒーに手を出すことはなかった。……のだが、グラスを握り締める感覚はもう一度だけ体験することになるのはまた別の話──。



 思ったよりもすぐ近くにあった境界に戸惑いつつもも、如何しようもない気持ちを握り拳に込めて、手を突っ込み、眩しい光へと誘われる。


 何度も、何度も耐えてきた。耐性がついたはずだったのに。

 耳が痛い。目が痛い。ボロボロのココロがイタイ。

 側にいたい。でも──


 彼女は遺体。


 今までに無い感覚。でも、"幾度となく"感じてきた。


 一言で表せられる感覚。


 "死にたい"。


 大切な者(親友)が亡くなったならば、俺は何に成れる(慣れる)のだろう。



 そう考えに浸っていると、現実という名の光が目に差し込んで、不本意ながらも我に返る。


「……は」


 何も出来ない。

 俺にあるのは、哀しみだけ。


「……クソったれ」


 いつもと変わらない木造の室内の壁。普段は気にしないのに、俺だけ変わっている様で、置いていかれる様で。

 ドンっと、憎しみを拳に込めて扉を開ける。軋みの音すら気にならない。


 世界が開けると、何時も通りの風景が俺を待ちわびていた。また来たの、とでも言う様に。


「また来たんだよ、残念ながら」


 それだけ。その言葉だけ空中に漂わせて歩き出す。どうにも、飛べる様な気分ではない。


 【いつもの海】まで2km。今回"も"歩いていこうか。


 鬱陶しい程の木を掻き分け草を踏みしめ、遭難してしまったジャングルを進んでいく様な気分で進み行く。


「……寒い」


 冬はつとめて、とはよく言ったものだ。こんなにも寒いのに。

 あれ程の大事件が起こったならば、もう少し時間は経っていてもいい頃合いだが……生憎向こうで察していた。


 悴む手足をよそに、早々に歩く。サクサクと、霜を踏みしめる音も後からやってくる。



 考えに意識を割いていると、意外にも時間は早く経つものだ。海に来たと同時に、水平線から太陽が昇りかけている。


 太陽に照らされた海は何とも言えない趣があった。海面が温かみのあるオレンジに照らされているが、陸風が冷たく、それが俺を冷静にさせようと宥めてくる。


 気分はもう冷静だというのに、きっとまだ心の何処かで動揺しているのだろう。


 握っている手を開くと、少し汗をかいた宝石が一つ。中には人影が見える。懐かしき人が。故人(親友)が。


 太陽にかざしてみると薄い桃色に水面の橙色が重なって、紅葉の様になっている。勿論、中の人影も同じ様に。


 水面にかざしていると、人影が波に合わせてぼやっととろけて、今にも消えかけそうだった。


 ──それを見ていられる筈もなく。


 抜けた歯を投げる様に扱えることも出来ず、ただそっと、魚を海へ帰すように──ぽちゃん、と転がした。



 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る


 故人西のかた黄鶴楼を辞し

 煙花三月揚州に下る

 孤帆の遠影碧空に尽き

 唯だ見る長江の天際に流るるを



「……古くからの友人が黄鶴楼を去り、春霞の美しい三月に揚州へと下っていく。たった一つだけの船の影は水平線に飲み込まれ……川の流れをただ見ているしかなかった。──きっと、帰ってくるような気がして」


 流した筈の部分を見てみると、波にもまれた様子で、そこには砂しかなかった。

 昔の詩人も馬鹿にはできないな、と思いつつ背伸びをする。


 見届けなければならない。唐突に自分の使命を思い出し、近くの大きな建物……ホテルへと向かう。


「当日でも取れるかな、部屋」


 堤防の階段を荒々しく踏みながら陸地に乗り上げる。

 ウィインという自動ドアの音を背に、カウンターへ行く。


「すみません。部屋、空いてますか」

「えぇ」


 繁盛期が過ぎ去ってしまいましたから、とホテルマンは少し笑ったような、悲しんでいるような表情を見せて答える。


「部屋は如何なさいましょうか」

「海が見える低階層で」


 かしこまりました、と答え何やらキーボードを操作していた。カウンターにはコイントレーがすっと差し出され、流れるまま私は札を二枚、そっと乗せた。

 するとホテルマンは、タタンっと軽快な音を鳴らして後ろの棚から慣れた手つきで鍵を掠め取る。


 チャリ、と腰にぶら下げているのはマスターキーだろうか。


「──それでは、ご案内致します」


 廊下はアンティーク調になっていて、様々なバラや鈴蘭などの華の絵が飾られてある。


 図った様なタイミングでエレベーターの扉が開き、繊細な手付きでボタンを操作する。


「お客様のお部屋は305号室でございます」

「分かりました」


 少しだけ会話を交え、エレベーターの上昇に身を任せる。

 チンっと鳴り、扉が開くとまるで真空した様な静けさが全身を襲った。


 狭い様で広い。圧迫感を感じつつも、目的の305号室へと向かう。


「お客様の鍵はこちらになります」


 くれぐれも無くしませんよう、お気をつけ下さいませ、と釘を刺されホテルマンと別れる。


「……別に堪能するわけじゃない」


 案内されたのはだだっ広い部屋だった。しかし皮肉なことに、希望通りの海が見える低階層だった。


 ぽつんと取り残されてしまったが、完全に夜が明けているわけではない。時間まで、ベッドで休んでいるしかなかった。"見届ける"のは人が来る時間帯からしか出来ないのだから。

 寝る準備を済ませ、ボスッとベッドに埋まり、そのまま身を任せる。


 ウトウトと、目蓋が落ちて──……。


 目が覚めると、時計は8:30を示していた。

 窓から見ると、既にチラホラと人だかりができていた。


「──行くか」


 大分頭がスッキリした。

 出かける諸々の支度をして、鍵をかけ、カウンターへと向かう。そこには昨日……さっきのホテルマンがいた。


「先程はありがとうございました。これ、鍵です」

「はい、チェックアウトをご希望ですね」


 キーボードに手が伸びた瞬間、ホテルマンの手がピタッと止まった。と同時にコイントレー……ではなく、一冊のノートが差し出された。


 何ですか、これ、と口を開く前に


「こちらに宿泊のご感想を、宜しければご記入頂きたいのですが」


 と答えられた。


「へぇ、面白いですね。──ところで何の為に?」

「お客様の満足度向上と、HPへの掲載を目的として行っております。勿論、任意協力ですが……」


 ホテルマンがニヤリと、白い歯を少しだけ見せた。

 この人は書くだろう。そんな確信があったのだろうか。


「分かりました」

「ご協力ありがとうございます。では、そちらのペンでご記入下さいませ」


 そう言ってホテルマンが指したのは、いかにもな万年筆だった。

 パラパラとページを捲ると、最後に客が書いたらしきコメントが残っていた。

 そのコメントを参考に、下に続きを書く。


『12月24日 晴れ

 用事があり、当日に急遽部屋を取らせていただきました。従業員の男性の案内が丁寧でした。アンティーク調の廊下や、華の絵も、雰囲気を壊さず馴染んでいましました。何と言っても部屋の窓。ガラスから一面の海を眺めることができました。』


「──ふぅ……」


 柄にもないことをするのは得意ではない。


「これで大丈夫ですか?」

「ありがとうございます。……お褒めいただき光栄です。最後にお名前の記入をお願い致します。偽名でも構いませんよ」

「あぁ、すみません」


 立てかけた万年筆を再度取り上げて、名前を流して書く。


 『冥華』


「あ」

「チェックアウトが完──……?如何なさいましたでしょうか?」

「すみません、間違いを訂正したいのですが……修正できるものはありますか?」

「そういう事でしたら、」


 どうぞ、と言われカタンと置かれたのは修正テープ。所々に金色の装飾が施されている。


「ありがとうございます」


 真っ直ぐ、名前の上にテープを乗せる。

 テープを引いた上には何もなく、綺麗さっぱり【冥華】の文字が消された。


 そこに新しく、慣れぬ手つきで名前を書き直す。


 【爽】


「──よし。ありがとうございました、これ」


 そう言って、コトンと修正テープをホテルマンに返却する。一緒に、万年筆も立てかける。


「ご丁寧にありがとうございます。チェックアウト、完了致しました。それでは、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「こちらこそ、お世話になりました」


 互いに会釈……というか、あっちは深々としたお辞儀をして、外へと出た。


「……寒い、海」


 無意識の倒置法。枯れ木も風に乗って何処かへ飛んで行こうとしている。


 人の気配が幾つもある海辺が、一瞬、何もない浜辺に見える。

 私しかいない浜辺。

 私以外何もない。


 まるで、俺には何もないと言うかの様に。


 ブンブンと頭を振り、人影を再度目に映す。

 ホッと息をつき、周りを見渡してみると、キャアァという、"耳に触る甲高い声"が聞こえた。


「子供が溺れている!!」

「誰かっ……誰か早くっ!!!」

「私の%&$#!!!!!」


 溺れた子供は"助かった"様だった。


「"宝石を落としちゃって、探していたんですって"」


 その"宝石"は、私が昨日捨て去ったものだろう。


「"見届けた"。任務終了。これからまた約6ヶ月の休みだ」


 こんな考えをしていると、無意識に白い歯を見せて笑ってしまうものだ。

 親友を捨て去ったはずなのに、心には、そこに冷徹さなんて、もう無くなっていた。

 幸い周りに人はおらず、溺れた子供の周りに人だかりができていた。


 終わったし、帰るとしよう。

 フッと、白い息を吐く。


 世の中みんな


「馬鹿だな」


 自分の為にしか、生きていないのに。



 もう、何回目かなんて覚えていない。

 いつから助けられないと、絶望を抱いたっけ。

 全部、俺が、この贖罪(筋書き)から逃れる為に。


 ──全てを犠牲にしてでも。

 終わった。また、無駄な繰り返しが。

 何度も何度も、やってきた筈なのに。



 葉月が20人目の犠牲者リストに決定してから、毎日の様に女王に頼み込んだ。


「……どうか、この人だけは。真っ当に、生きてきたんです。わざわざこの人を犠牲にせず、他の人で補えばいいでしょう……?」

「なりません。鈴華が決めたことです。他の人を充てがえば、計画が全て一からです。もう時間がないのですよ、冥華」


 椅子に堂々と座り見下ろしてくる。今、その座から引きずり下ろせば俺に決定権が委ねられるのだろうか。──きっと鈴華だろうな。

 俺を養子として迎え入れると言ったくせに、俺なんかを愛してくれやしなかった。



「……」


 はぁ、と掠れた溜息を一つ。

 海で溺れてから即座に退散して、堺の鏡がある建物の前までやってきた。時刻は午前9時を過ぎている。


「──また、止められなかった。何も、変わりやしない」


 せめてもの償いで"また"作っておくね、と三十分程。手で掘ったのは小さな穴。

 城から出る前に鈴華──葉月の右手首に付けていた"ミサンガ"を拝借してきた。



 これは……昔俺が渡したものだった。



 子供が使える、安全な紐で作ったもの。

 まだ千切れてなかったのかと驚いた反面、ずっと持っていたのが不思議だった。


 ミサンガを埋めて、そっと静かに、でも確実に両手を合わせる。


「……御冥福をお祈り致します。今までありがとう。またね」


 一年以内には、妖気にあてられて逝ってしまうだろう。

 またね。

 俺が、鈴華に喰われる前に輪廻転生の魔法をかけた。


 教会で、あの方が教えてくれたから。



 ──"マリア様"が。



 俺が使えるかはさておいて、言霊程度の力はあるだろう。


「あと、これ。そこら辺で採った花だけど。お供え、しておくね」


 これを一般的には"供花"と言うらしい。


「じゃあ、また逢う日まで。楽しみにしてるね。転生できたら、俺のおかげと思ってよ」


 目は引きつっていただろうか。

 自分が使える筈もない魔法を使ったつもりで、逢えると思っている自分と、使える筈がないと思っている自分が共存して気持ちが悪い。


 【毎回失敗している(転生はできる)】くせに、こんなにも希望を抱く自分が不思議だった。


 生者は死者に対して敬意を払わなければいけない。


「──御馳走様でした」


 これは本来、鈴華が云うべき言葉なのに。

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