第一章【20人目の主人公】〜ようこそ〜
「ようこそ」。これは此方では歓迎の意を表すだろう。
「ようこそ」「初めまして」が受け入れられない鏡の向こう。
今日もまた独り。「初めまして」が・・となる──。
2回瞬きをしたその瞬間、どうにも聞き慣れない音が鼓膜を襲い、またしても聞き慣れない呑気な声が聞こえた。
「ただいま〜。あーつっかれた。空気は倍以上こっちのが美味しいね」
「そうだな」
「あれ、冥華いいの?」
「言ったから、別に」
「相変わらず一言少ない。……んでも楽だね〜女敬語の方が丁寧だーとか言ってたけど、正直気持ち悪「はぁ?うっっざ」
「ひっどい……大丈夫だった? 星川さん……。冥華に何もされてない?」
「だいじょ「しねーから。あとこいつ"星川"は嫌だと」
(反応がお速いこと……。チャットでもしたら秒速だな)
そんな事を考えつつ、鏡の向こうへ向かう決心……の準備をしていた。
「なら"葉月ちゃん"って呼ぶかぁ……」
「……そ、れは……いや、いい。こいつが勝手に決めればいい。入国許可は?」
「もち、ばっちし!」
そうにこやかな笑顔を向ける鈴華。何気ちょっと古い様な気もする……。
っと、行くのか、と疑問だらけの脳内を無理矢理切り替えさせ、手を伸ばした。……少しだけ、少しだけ冥華を見つつ。
「さ、行くか。あ、個人行動の無いように。あと俺女キャラに戻るから」
「仕方ないんだよねぇ……ごめんね葉月ちゃん」
……"仕方ない"?
「……っいいや、全然。毒舌に少し安心ささえも感じる」
「あっははは。これは相当だ」
「……?」
「気にしなくていい。ほら、行くぞ」
こくりと頷いて、喉の水分と紅茶を流し入れた。少し温いのを飲んで、汗が滲み出る。
そっと鏡に触れて、目が潰れそうなほどの光を浴びながら、耳に響いて離れない音に紛れて…私達ら鏡の中に入り込んだ。
視界が開けるまで、そんなに時間は掛からなかった。ただ、常に眩しい世界へと入り込んだ。
「……っ眩「"そのこと"話すとバレますよ」
私が呟くと同時に、冥華はさながら誘拐犯の様に口元に手を当ててきた。
(……少し毒舌残ってない?)
「ま〜ま〜、話せる場所に連れて行けばいいでしょ。最初はビビるよね〜この光。分かる分かる。ってか、警備薄くなってるから話してもいいんじゃない?」
「……それもそうか」
そう言って冥華は私の口を塞いでいた手をふわりと空中に浮かべ、私はようやく息をすることができた。
「……っぷはっ」
ハァハァと息をする私を眺めていた冥華は驚くほど感情が無かった。
「……っはぁ……。何で警備薄くなってるの?」
「企業秘密」
「はぁ……? ……んで? 私をあっちからこっちに移動できたから役目終了?」
「……飲み物やらなんやら奢ってやるからもう少し付き合え──付き合ってくれる?」
「戻った。……いや、要らないけど」
と思ったが不幸にも手持ちは0円。仕方なく条件を呑むしかなかった。
「んでまぁ付き合うけど何すんの?」
「お城に行ってご挨拶するんだよ」
……今なら一言少ない誰かさんと比べて、鈴華が天使のように見える。
というか、お城までの許可が必要だから結構な時間が掛かったのか。
そんな事を考えていると鈴華が、
「私飲食するならカフェがいい〜。もうすぐ日が昇るだろうけど、時間潰しには最適でしょ?」
と提案した。流石に自販機の飲み物だけでは割に合わないと思ったのか、鈴華の提案を意外とすんなりと呑んでいた。
そして2人は互いの顔を見てそのまま歩き出した。2歩ほど遅れて付いて行く。
……全然後ろを見ていないが付いて来ていないと分かるのだろうか。
唐突な好奇心。多分今頃見えない悪魔の角が生えているだろう。
(……ごめんね鈴華。貴方は関係ないからね──)
そう心の中で呟いて脇道に少しずつ寄る。まだ付いて来ている判定…だろう。これで「何やってるんですか?」とでも言われたら大人しく冥華を草食動物だと認めざるを得ない。
脇道まであと5歩、4歩、3歩、2歩…1歩……0歩。
辿り着いた……! きっと昔海に出ていた人達も帰還した時は感極まっただろう。
ちらりと冥華達を見る……と特段気にしてはいない様子だった。
(……よしっ……!! 自由になったし何処へ行こうかなぁ)
そう考えながら歩いていると、1m程前に人影が見えて、パッと顔を上げてしまった。
「初めまして」は歓迎されないというのに──。それは勿論「見ない顔だね」というナンパのテンプレートでもアウトだろう。
「あ」
「……」
「あ」
「あ?」
……えぇ、お察しの通り。其処には鬼の形相をした冥華が仁王立ちしていた。
「……いやっ……ちょっと……んん゛。誰デスカ貴方。此処デ何シテルンデスカ」
「セリフ取んなよ」
「ちょっ……中身出ちゃってますよ冥華さん……」
「なんだ、名前知ってんじゃねぇか」
「……あ」
その後もお察し。ズルズルと引き摺られて連れて行かれた。
「ふふっ……ちょま……って無理」
「笑ってんじゃねぇ」
冥華が先に喫茶店に行けと鈴華に指示をしていたらしく、机には一人分のアイスコーヒーが乗っていた。アイスコーヒーを含んだ途端に私達が現れた様で、服の一部の色が少し濃くなっていた。
冥華が乱暴にドカッと私をボックス席に乗せると、ウェイトレスがやってきて、
「ご注文はいかがなさいますか?」
「ウィンナーコーヒー1つ。と、ミルクティー」
と頼んだ。ちょっと、ミルクティーはお腹いっぱい。そんな声を出す元気も無かった。……というか、言っても少し前の様に私の意見は一刀両断されるだろうが。
「面白いことしたねぇ葉月ちゃん」
「ただただ面倒くさい」
「冥華はそう言わずに。退屈じゃないでしょ? あの独り暮らしの部屋よかマシだと思うんだけど」
「……否定はしないし肯定もしない」
「だってさ」
反省の意を表す為に、顔は上げない……つもりだったのに、急に店内の声が騒がしくなったのを感じて、つい上げてしまった。少し頭を回してみると、右後ろで口元を手で隠してヒソヒソと話す人影が見えた。
「……っ」
あぁ、仕舞い込んでいたのに。あの夢のせいかな──箍が外れたのかな。
中学の頃。何を受けたって誰も助けてなんかくれなかった。
そりゃあそう。誰だって厄介事は避けて通る。視界に入るのはヒソヒソと話す人だけ。目線を合わせようとしても……ヒッとだけ言って離れて行く。
そんなに私が醜いか? 誰もがやるようなテンプレートな行動をされた時。家に張り紙を貼らた時、インターホンが機能しなくなった時。机に落書きされた時。泥やら水やらをかけられた時だって。
私の周りには誰もいなかった。
もし英語の授業で Being alone makes me sad. なんて英文を習ったら……"習っていたら"、私は Being alone makes me happy. と書き写すだろう。
キィンと耳鳴りがして我に返る。頭に血が上っている今なら人1人くらいなら簡単に殴り殺せそうだった。……でも、それをしたら冥華が奢ることを理由に引き止めた意味が分からなくなる。
どうして2人は噂されたり、後ろ指を指されなくちゃならなかったのか。それを赤の他人で全く認知も無い私が知る為に、人生で1番耳をフル稼働させる。
「……れよ、噂の」
「……が片翼の天使様……!? "あの姿は初めて"お目にかかるわ……流石"カメレオン"様って呼ばれるだけ……」
……中々噂してる理由が聞き取れない。鈴華の方は羽が白かったから天使で良い噂をされているだろうが。
「……様はあんなに仕事を頑張っていらっしゃるのに……」
「……の堕天使ったら、男だからって天使様に仕事を押しつけていい訳じゃ……」
……"男"? 鈴華を見るのは初めてで、きっと"双子"の冥華も同じ……一緒に行動してる筈……なのに何故関わったことのないような冥華の性別を知っている? 別に鈴華も冥華も仕事をサボってる訳じゃない。
鈴華に助けるように目線を送ると、手を組んでその甲に顎を乗せていた。
「……っ鈴華。あれは……」
「結構有名なんだよ。冥華が男だってこと」
「…………そっ……か」
言葉にならないような大きさで返事をすると、ようやくと言っていい程遅れてミルクティーがテーブルに鎮座した。
──まるで「何があったの?」と問いかけるように揺れている。
「……い、ただきます」
「…………」
私の隣にいた小柄な"男"は何も言わず雑誌を読みながら片手で器用にティーカップを掬い上げて、そのまま口に運んだ。ゴクッと一口、クリームと混ざったコーヒーが喉を通り、ティーカップが口から剥がされる。と、周りにはクリームがビッタリと付着していた。……まだ視線は雑誌に囚われている。
「……っクリーム付いてるよ……」
「……? あ、あぁいい。舐める」
「こらちょっと店なんだから」
雑誌から片手を離して、親指で唇を撫でようとした冥華を止める。
「勝手に拭いてるから、見てていいよ」
本当に子供みたいだな、と心の中で笑いながらテーブルに備え付けてある紙のティッシュで一周、口を拭いてあげた。"なるべく雑誌に集中できる様に"…。
ただ、そんな気遣いは1秒後に地面に叩きつけられた。
「なんか、夫婦みたいだね」
……鈴華の一言で。
「「は?」」
「ほぼ同時。そーゆーところだよ」
「あ?」
「……ごめんどういう所? 私まともに学校で授業受けれなかったからさぁ……?」
「おっと、1歩目で地雷踏んじゃった。あと冥華はキレないで」
「……別にキレてない」
「……別に気にしないけど……」
そう言って自分のミルクティーに目を落とす。……鏡の向こうにも行けるのだから、水面の先……水面の裏にも行けるのではないか、なんてくだらないことを考えながら。私の視線が水面に向いている時でも、喫茶店のざわめきと、左からはチッと舌打ちの音が聞こえる。何にしろ居心地が良くない。
「……そんな事より、ここ居心地が良くないから、とっとと出たいんだけど」
「まぁまぁ待ってよ。それについては私も話そうと思ってたからさ」
「……?」
「……どうせ城に行くまでとかって話だろ」
「当てないでよ」
「……あ、ちょっと席外す。……何もすんなよ」
ぎろりと冥華が睨む。ついでに私も一瞥して。
その"何もすんなよ"にはどんな意図が含まれていたのか。私は結局知れなかった。知る由もなかった。
「だいじょ〜ぶ。冥華がいたらできないガールズトークで盛り上がってるから」
「……んだよそれ……」
「じょ〜だんじょ〜だん。本当に冗談通じないねぇ」
何故だか鈴華の口がケタケタと形を歪める。
本当の笑いか、狙い……"獲物"が目の前にあるときの余裕の笑みか。……その獲物は私だろうが。
それに夢中で冷や汗がダラダラと流れ、頬を伝い顎で落ちる。
「……っねぇ、鈴華?」
「ん? なぁに?」
冥華が出ていったタイミングを突いて問いかける。目は逸らさない。逸らしたらやられる。喰われる。逃げられる。……そんな気がする。
「……初対面の私が言うのも何だけどさ。あんた誰?」
「は?」
鳩がなんとやらとはよく言ったものだ。何となくイメージできる所まで来てしまった。
「……あっ、ご、ごめん。急にこんな事言い出して」
謝罪の為に頭を下げる。と共に店内のざわめきが勢いをつけて耳へ襲いかかる。
「……席、区切りタイプでよかったね。多分……聞かれてないよ」
「……う、ん」
(タブーな質問だったか)
「……理由。答えてくれる?」
「え?」
「ただ気になるだけ。言いたくないならいいけど」
そう言って鈴華はアイスコーヒーに手をつける。一方私のミルクティーは1/3も減ってない。慌ててグイッと飲み干して喉を潤すと、心を決めて口を開いた。
「……なんか、自分じゃないからって好き勝手してる感じ?」
「要約すると?」
「うーん……"名前だけ借りてる"?」
「……ふーん?」
その後分かったことだが……私の考えは全く逆を走っていた。
「あ、あと負のオーラ駄々漏れだよ気を付けて。流石に警戒しすぎ。大丈夫、"取って喰ったり"しないから」
何か考えてたの? と付け足して忠告された。
「ご忠告どうも。でも100信用してって言われても怪しすぎるんだけど」
「あっはは、でも、今取って喰ったら冥華に殺されちゃうからなぁ……」
どうも呑気だが、余裕さえ感じさせる。ただ、皮肉混じりな所は好きでない。
「……ってか、冥華。葉月ちゃんのこと確実に好きだよねぇ〜」
「……は?」
「いや、分かんない? あ、まぁ分かんないか。"初対面だったら"」
「そ……れはLove? っいや、Likeか。そりゃそ「Loveでしょ」
「んなこと言ったって……」
「考えても見てよ、私、あんな雑に扱われてるのに、葉月ちゃんはなけなしの慈悲を全振りされてるみたいな。──まぁ、可愛いもんね」
君。と言う様にビッと人差し指で指される。目の前の蛇が甘く囁いても、まだ実感が湧かない。
ついでに「動揺しまくってるねぇ〜。ハッタリだったらどうすんの?」なんてもからかわれた。
「──ただいま」
「お帰り〜」
「あ……お、かえり」
「……」
「……?」
視線を感じて顔を上げると、冥華が疑わしい視線でこちらを見ていた。咄嗟のことで思考が追いつかず、目線がバチッと合うと、ふいっ、とあっちから逸らしてくれた。
「……なら、もうそろそろ行くか」
「そ〜だね、頃合い」
「え、こんな夜にお邪魔していいの?」
「なんなら、こんな時間まで店がやってるのもおかしい……鏡が境目だから、反転している……って言ったら説明がつくのかもな。結局、俺も鈴華も原理は知らないけど」
「あ〜……うん。そうだね」
適当に相槌を打って、店を出る準備をする。奢ると言われたが、一応の社交辞令として財布を出そうとする……が、財布はおろか鞄すら持っていないのを忘れていて、一瞬硬直してしまった。
鈴華のツボは浅いらしく、こんな事でも爆笑していた。……子供か。
そんなツッコミを早々に頭の中から退場させ、ガランという音と共に店を後にした。
店から徒歩5分も掛からない、近くにあるお城。さっきまでは見えなかった筈なのに、急に現れたような不思議な感覚。流石に光の屈折、なんて4文字じゃ片付けられない。
とうとう城の入り口まで来た。2人がその前に立ち、ボソボソと何かを呟くとギイィと軋んだ音が鳴る木のドアを解錠させた。
それは、私を歓迎している様で、歓迎していなかった。どこか、入ったら逃げられない気がして。