第1話 脳裏に焼きついた声
あの日──俺の目には、全てが悪魔に見えたんだ。
少年がどこを見渡しても、辺りには燃え盛る炎と空を染める黒い煙しかなかった。
目に映る赤と黒からは、何故か人間の悲鳴がこだまする。
視界が捉える情報と、聴力が捉える情報が一致せず、頭の中を駆け巡るのは負の絶望。
少年一人でその世界を理解することは、難題かもしれない。
──今より十年前。
平和であった小さな村を、突然の戦争が襲う。
『世界第五戦争』
そう呼ばれた争いは、一人の少年に重い運命を押しつけた。
戦争のきっかけは、いつも小さな反発が引き金で始まりの合図を穿つ。
人間の身勝手な感情が相容れない時、不浄の感情が世界を壊すのである。
そんな荒波に悶え苦しむ者は、いつも平凡な民衆であった。
引き金を引いた天界人は、その責務を地に擦りつけ抗弁を垂れるだけ。
何故そんな醜い挙行に走るのか。
答えは簡単である。
民衆の苦しみは、彼らが求める最良の欲望だからであった。
その荒波に、東の果てにある小さな村も飲み込まれてしまった。
容赦のない悪魔達の襲撃に、人は死に、友は死に、母は死に、父は死に。
唯一残された一輪の花を横に、小さな少年は無力に震えていた。
業火に飲み込まれていく町並みを、丘の上からただただ見ているしかできなかった少年は心に誓う。
何で俺達がこんな目に合わなければいけないんだ。
この世界は間違っている。
俺が……この世界を変えてみせる。
俺が……世界を守るんだ。
思いに詰まる少年は、ふと横に顔を向ける。
横に咲く可憐な花は、燃え盛る業火に咲いた一輪の光。
俺が……ナナを守るんだ。
「……イ……イト……」
俺が、ナナを守るんだ……。
「カイ……カイト!! 起きて!!」
目を空けると、一輪の花が自分を見下ろしていた。
高鳴る心臓の鼓動に、汗が吹き出し身体中が濡れている。
「カイト?! 大丈夫?? かなり魘されてたよ?!」
ナナに起こされたカイトは、しばらく起き上がることが出来なかった。
(夢……なんで今さらこんな昔のことを思い出したんだ……)
「ごめん、ちょっと変な夢を見ただけだ」
「本当に? 心配かけないでよ」
汗を拭き取ると、心配そうに見つめるナナに笑顔を見せる。
いつもの優しい顔を見たナナも、少し安心したのかカイトの手を握りゆっくりとベッドから起こした。
「クロエさんとティナさんはもう朝ごはん食べてるよ? カイトも早く食べて準備しないと!」
「あぁ、そうだったな。今日はグロースでこれからどうするか決める話し合いがあるからな」
カイト達がルーインから帰還して、三日が経っていた。
沢山の情報がグロースで共有され、セントレイスは未だに落ち着きを取り戻してはいなかった。
民衆が一番に驚き、悲しみに涙したのは、やはり最高指令官エレリオ=バルハルトの死であろう。
その亡骸は先日グロース本部で火葬され、遺骨は小高い丘にあるヒースの墓と同じ場所に埋められた。
レオは、その墓の前で亡き親と会話するように独り言を呟いていた。
「カイト、俺達は先に行くぞ」
先に準備を終えたクロエとティナは、先行してグロースへと向かった。
カイトは食事を終え、一人待っていたナナと共に家を後にする。
戦争の傷跡が残るセントレイスの街並みを見ながら歩く二人に会話はあまりなく、カイトは重い空気に身を委ねていた。
グロースにたどり着く前に、ナナはどうしても聞いておきたかったことをカイトに尋ねる。
「カイトは、クスハが話したこと本当に何とも思ってない?」
ナナが知りたかったのは、ルールラという名前に対するカイトの気持ちであった。
「その話か……クスハが言ったことがでたらめだとは思わないよ」
クスハ=ルールラ。
彼女は自分の名前をルールラと名乗った。
しかも、ルールラを持つのはクスハだけではなかった。
カイトが守ることが出来なかった人工歌姫、グラシアもルールラの名を持っていた。
クスハが話すに、ルールラとは人工歌姫として十歳を越え緋色の瞳を手にいれた者につけられる名だという。
クスハはナナの名前を聞いて、まさか同じ人工歌姫なのかと尋ねた。
しかし、その場で真っ先に否定したのはカイトであった。
「ナナは俺と子供の時から一緒に育ってきたんだ! 緋色の目どころか、エルマ細胞にだって触れたことはない!! ナナは作られた人間じゃない!!」
カイトの言葉は真実であったが、人工歌姫を根底から否定するような言い回しに、クスハはそれ以上その話をしなかった。
その時のクスハの目がとても悲しみに満ちていたのを、カイトは後から思いだして後悔する。
「ナナは、ナナだ。周りがなんと言おうが俺はナナをずっと見てきた。ナナが人工歌姫なんてありえない。だけど、クスハにその話をされた時の俺は、咄嗟に人工歌姫の存在そのものを否定してしまった。クスハにはちゃんと謝らないといけないな」
ナナは歩きながらカイトのほっぺをつねる。
その落ち込みを全面に出し、さも自分が被害者のような顔を見て少し苛立ちを覚えたのだ。
「いててっ! 急に何するんだよナナ!」
「何でカイトがそんな顔してるの?! クスハにちゃんと謝りたいんでしょ? もっとシャキッとしなさいよ! グロースについたらクスハもいるんだよ?!」
本当はカイトの本心を知りたかっただけなのだが、その思い詰めた表情を見ると、そんなことはどうでも良くなった。
「全く、カイトは女の子の気持ちを本当に分かってないよね? クスハとちゃんと仲直りできなかったら私、知らないからね!」
ナナの明るくも真っ直ぐな心に、カイトは少し重荷が降りた気がした。
パチンと自らの頬を叩き、しょぼけた顔に渇をいれる。
「そうだな、ありがとうナナ! 俺がしっかりしないといけないのに。よし、ちゃんと謝るぞ!」
吹っ切れたのか、さっきまでの顔が嘘のように生き生きと踊っている。
その顔を見て、ナナは少しだけ焼きもちをやいていた。
「ほんと、カイトは女の子の気持ちを分かってないんだから……」
そんなことを話しながら歩いていると、グロースの城門が目の前に見えてきた。
はやる気持ちがカイトの足を早くする。
「カイト! ちょっと歩くの早い!!」
カイトの後を小走りで追いかけるナナであったが、突然女性の声が耳につき、その足を止める。
(おいで……)
「えっ?!」
どこから聞こえたのか、咄嗟に後ろを振り向くも、そこには誰もいない。
いや、後方から聞こえたわけではない。
それは脳裏に直接呼び掛けるような声であった。
「どうしたんだナナ?」
急に立ち止まったナナに向かい、カイトは声をかけた。
「何だろう? 誰か呼ばれたような気がしたけど……気のせいかな?」
その声の正体が何なのか分からず、ナナは空耳かと思いあまり気に止めなかった。
その声が、世界を動かしていると知ることもなく。




