第5話 希望の深紅
──蓮晶湖。
広大な森に、一際目立つ大きな窪みがある。
木々が避けるように空いたその場所に、空間を喰らう湖が広がっていた。
青色に染まる湖は直径数キロ程の広さを有し、水面には巨大で白い水晶がいくつも顔を覗かせるよう聳え立つ。
その湖は、空から見ても一目で分かるほど、異様な存在感を放っていた。
見る者を誘惑するかのように、深い青色が自ら発光し、妙妙たる煌めきを見せる。
見た目の美しさに惑わされ、その湖に触れた者は地獄を味わうことになるだろう。
水晶に含まれる極めて強い毒素が溶け出した湖は、生物に宿る命を吸いつくすかのように触れた者を浸食する。
その為、見透すことができない青の底には、数多の亡骸が沈むといわれている。
湖の畔に降りたカイトは、巨大な水晶に目を奪われた。
空から見た時すでに大きいものだとは分かっていたが、近くで見るとその存在感がより際立って見えた。
高さ十メートル程だろうか?
水面から顔を出す混ざり気のない純白な水晶は、とても神々しく光を放つ。
しかしその反面、水中に浸かる部分は不気味と深い青に染まり、その全貌を見透すことはできなかった。
(この水……どこかで見た気がする……)
何か見覚えを感じたカイトであったが、記憶を辿れど思い出すことはできなかった。
水晶に見とれていると、突然後ろの方から寒気が襲い体が少し震える。
ふと後ろを振り返ると、ゴツゴツとした岩山にいつくもの洞穴が口を開けていた。
ロドルフがいっていたのはこの洞穴のことだろう。
数ある洞穴の中に、一つのだけ異質な創遏が漂っているものがあった。
ねっとりと肌に粘りつくような、今まで経験したことのない倦怠感がカイトを包み込む。
これだ、これに間違いない。
一目見ただけで、ここが実験場だと確信することができた。
さて……どうするか。
やはり正面から堂々と入るのはまずいか?
どこかに裏口のようなものはないか?
いつも俺の傍には誰かがいてくれた。
だが今は違う。
頼れるのは自分だけだ……迷うな、しっかりしろ!
自分を奮い立たせるように、カイトは自らの頬を軽く叩き気合いを入れる。
(男なら正面突破だ。こそこそするな、行くぞ!)
意を決して一歩前に進んだ時、湖を包み込むような優しい歌声が森に響き渡った。
(歌!? この歌はあの時と同じ!!)
その歌声は、エンドの元に三人組が現れた時に聞いた歌であった。
剣を構え、周囲に意識を集中させる。
あの時は不意に起きた事態に慌てたが、もう油断はしない。
どこから来る?
カイトは全神経を研ぎ澄ましていた。
「剣をお納め下さい」
「えっ?!」
カイトが後ろを振り返ると、一人の女性が立っていた。
肩まで伸びた茶色い髪、カイトより少し歳上であろうか? どことなくその風貌はアリスに似ているように見えた。
しかし紛れもなく違うこと。
女性の目は緋色に染まっていた。
一気にカイトの額から汗が吹き出し、緊張に顔が強ばりを見せる。
それもその筈だ、カイトは周囲の変化に全神経を集中していた。
音の反響、空気の動き、創遏の乱れ、そのいずれも感じとることが出来なかった。
「い……いつの間に……」
女性に向かい剣を構えるが、動揺を隠すことはできなかった。
「驚かせて申し訳ありません。しかし、ホルスに見つからず貴方に接触するにはこの方法しかなかったのです」
彼女から戦いの意思は感じとれなかった。
剣をしまい、カイトは疑問を投げかける。
「君は、人工歌姫なのか?」
人工歌姫といった単語に、彼女が少し悲しそうな目をしたことにカイトは気づかなかった。
「その前に、どうか王創を見せて頂けないでしょうか?」
突然のお願いに、カイトは首を横に傾げる。
「疑念を抱くのは分かります。ですが王創だけ確認させてもらえたら、全てお話します」
彼女の真意は分からないが、その真っ直ぐな瞳から悪意は感じなかった。
カイトは言われるがままに王創を纏う。
「……やはり間違いない。深紅の王創」
「これでいいか? 教えてくれ、何でこの王創を見ただけで君達は俺がランパードだと気づいたんだ?」
王創を纏ったまま、カイトは質問の答えを求めた。
「貴方は、私達の救世主になるお方です。改めて挨拶申し上げます。私はグラシア、消失の歌を歌う人工歌姫です。時間がありません、簡単にお話します」
少し慌てながらグラシアは口早く話を始めた。
人工歌姫は日々、神へ近づくための実験を繰り返されている。
この場所で実験を仕切っているのは、レデコードの生き残りであるフリード=バーミリアであった。
フリードは女神ステラに異常なまでの崇敬心を持っている。
その崇敬心に従い、泉にある水晶から女神の涙を成形し、これまで数多の赤子にステラの遺志を埋め込んでいた。
現在は二十一歳になるグラシア、十八歳になるクスハの二人が唯一生き残り、成長を遂げている。
しかし、過度な実験により二人の体は日を追うことに傷み、エルマ細胞の毒素に浸食されていた。
フリードが言うには、メル=ブレイン=ランパード、もしくはハイネン=イグラニア=リスタードの遺志があればエルマ細胞の毒素を打ち消すことができると確信しているみたいだ。
深紅の王創を放つメル、漆黒の王創を放つハイネン。
この二人のどちらかが、人工歌姫の命を救う希望であった。
一度ハイネンの遺志を持つエンドに交渉を行った際、フリードの言葉は耳にも入れて貰えなかった。
何かのきっかけで細胞だけでも手にいれることができないかと監視をしており、先日の戦争で死んだタイミングを見計らって死体を奪いに来たのであった。
そんな中、深紅の王創を放つカイトを見てクスハが思わず救いを求めたらしい。
しかし、フリードはエンドの死体があれば十分といい、あの場を後にした。
「そんなことがあったのか……だったらそのフリードって奴に会えば君達を救えるのか?」
カイトの言葉にグラシアは俯いた。
次に何かを話そうとした──その時。
「何をしているグラシア……」
洞穴から現れた一人の男を見て、グラシアの顔色が青ざめる。
「あ……あ……ホルス様……」
異様な倦怠感はこの男から発生していた。
ゆっくりと近づいてくるホルスに、グラシアは怯えながら頭を地面に擦りつけ許しをこう。
「申し訳ありません……申し訳ありません……どうかお許し下さい」
必死に謝るグラシアの頭を、ホルスが容赦なく踏みつけた。
「勝手なことしてんじゃねーぞ。俺の仕事が増えるだろ」
頭を踏みにじられ涙を流すグラシアを見て、カイトがホルスに剣を突きつける。