第29話 残された日記
日が昇り、朝露に濡れる大地に青年は立っていた。
数時間前──この青年の立っている場所には小さな村があった。
百人ほどの小さな集落ではあったが、今この場所には何もない。
ルーインで十年の時を一人で生きてきたエンドにとって、この場所を荒れ地に変えるのはとても容易いことであった。
怒りに身を任せ、本能の思抜くままエンドは剣を振るった。
肌色の腕が赤く染まる頃、完全にエンドは別人へと変貌をとげる。
何か大切な感情が欠落したエンドは、全てを破壊した後、ただ虚しく空を見上げていた。
少しすると、遠くから数多くの創遏が此方に近づいてくるのを感じとった。
その創遏はグロースの精鋭部隊のものであった。
小さな村とはいえ、その村が消滅する程の激しい創遏を感じとり、グロースが調査に向かってきていた。
この世界を滅ぼすと決めたエンドは、グロースを迎え撃とうと創遏を高める。
その時、脳裏に直接話しかけるような声が聞こえた。
『まだ早い……今はルーインに戻り力をつけるのだ……』
誰の声か分からなかった。
しかし、エンドの本能がその言葉を受けいれるよう、勝手に体が動く。
無意識に次元の裂目を作り、エンドはルーインに帰って来た。
それから日が経つにつれ、エンドのファンディングに対する憎悪は膨れ上がり、その狂気がエンドをみるみると強くしていく。
気づいた頃には、自分の強さに憧れ、数多の人間がエンドの後を追うようになった。
エンドを崇拝する人間は、自分達のことをキルネと名乗るようになる。
次第にその名はルーイン全土へと響き渡り、気づいた頃にはルーイン最強の男と崇められるようになっていた。
しかし、自分が強くなるにつれ脳裏に呼び掛けてくる声も強くなっていった。
『メル……ランパードを殺せ……全てはランパードのせいだ……』
(またこの声か。いつも俺に語り掛けてくるお前は何者だ)
『俺はお前、お前は俺だ……』
(答えになってないな。お前はハイネンなのか?)
『違う……俺は遺志だ……そして、お前も遺志なのだ……』
(俺の体が欲しいか?)
『欲しい? 欲しがらずとも、いずれ我のものとなる……』
(ふっ、ならばその時まで力を貸せ。俺がファンディングを滅ぼしてやる)
『気に入った……良いだろう。しかし覚えておけ……時が来たらその体は俺のものだ……』
それから数年の月日が流れたある日のことであった。
エンドはすっかりキルネのトップとしての風格を携えており、キルネ自体も勢力を増し、ルーイン最強の戦闘部隊と呼ばれるようになっていた。
最強の名にこだわりがあったわけではないが、毎日のように戦いに明け暮れ、意味もなく自身を鍛えることに夢中になった。
今日も戦いを終え、キルネ本部にある自分の部屋に帰ってきた時、ふと一冊の本に目がいった。
(これはレーベンの家にあった本か……)
過去の出来事が蘇る。
決して忘れたことはなかった。
ただ、戦いに明け暮れている時間はあの辛い過去を紛らわせてくれた。
おもむろに表紙を開くと、それはレーベンの日記であった。
──レーベン=センティアの人生。
私は今日、ファンディングにやって来た。
思ったよりもルーインと変わらない世界であった。
小さな村の側に次元転移したが、どうも私の存在は受け入れられていないようだ。
今日もルーインの崩壊を止めるため、四凰の歌について調べて周るが、特に情報は得られなかった。
急がなければ。
何故だろう、同じ人間なのに分かり合えない。
私は自分の産まれた世界を救いたいだけなのに。
やはり無理なのだろうか、たった一人で世界は救えない。
ここに来てから、毎日孤独だ。
いや、ルーインでも私の言葉を聞いてくれる人はいなかったか。
ファンディングに来てから数年、私はまだ何もできていない。
だけど諦めない。
私の故郷を守るためにも。
今日、家族が増えた。
可愛い赤ん坊だ。
名前はエンドと名付けよう。
この子の笑顔が、私に希望を与えてくれる。
エンドが三歳になった。
子供の成長は早いものだ。
すっかり赤ん坊から子供へと進化した。
人の神秘に触れている実感が、とても心地よい。
エンドはみるみる大きくなっていく。
いずれこの子とも別れる時が来るかもしれない。
だから私は今を大切にしたい。
ルーインに帰りたい。
私は、ここにいてはいけないみたいだ。
だけど私の力では一人しか次元を越えられない。
自分の無力に腹が立つ。
このページを最後に、しばらくの空白が続いた。
パラパラと白紙の日記を捲っていくと、最後のページにだけ言葉が残されていた。
エンドへ。
この日記を見ている時には、私は貴方の傍にいないかもしれない。
そんな無責任な母から、最初で最後のお願いをここに残します。
貴方はファンディングを妬んでいるかもしれない。
だけど、世界を救うためにはルーインとファンディングが手を取り合う必要があります。
だから、お願いします。
美しいルーインを守るためにも、世界を繋ぐ架け橋になってください。
人を嫌いにならないで。
世界を嫌いにならないで。
人と人は手を繋ぐことができます。
だから、きっと世界と世界も手を繋げるはず。
貴方と一緒に叶えたかった私の夢を、あなたに託します。
レーベン=センティア。
そっと本を閉じたエンドは、ゆっくりと椅子に腰かけた。
もう……遅いんだよレーベン。
俺はファンディングを許すことはできない。
次第に強くなる遺志に押しつぶされそうなんだ。
ファンディングを、ランパードを破壊する。
奴らと手をとるなんて俺にはできない。
だけど、ルーインは俺の力で必ず救って見せる。
それが今の俺にできる、唯一の親孝行だ。
ナナは、エンドの話に返す言葉を失っていた。
「分かったか? ファンディングの人間が如何に醜いか。母が何をしたっていうんだ。ルーインといった肩書一つで、誰も母を見ようとしなかった。それなのにお前達は今更協力できるというのか?!」
悲痛なエンドの言葉は、さっきまで声を荒げていたナナの心に深く突き刺さった。
何も反論することができず、ただ俯く姿は無力そのものである。
しかし、ティナだけは堂々と胸を張り、凛としてエンドの前に立って見せた。
「それでも、それでも私達は手を取り合うの。過去を変えることはできない。だけど過去に縛られたら何も始まらない。私達は貴方と分かり合える。貴方に根付いた恨みは私が変えてみせる。だからお願い、私達を信じて」
ティナがゆっくりと差し出すその手は、どこか懐かしい母の香りがした。
「俺は……」
考えるエンドを他所に、差し出した手を遮るようにクロエが間に割って入った。