第28話 世界が敵になったあの日
時間の概念は誰にも止めることはできず、全てのものに平等にやってくる。
エンドがルーインの大地に初めて足をつけてから、早くも十年の月日が過ぎていた。
九歳のあどけなさが残っていた少年は、流れ続ける時に身を任せ、今や凛々しい青年へと変貌を遂げていた。
すらりと伸びきった身長、ふっくらと厚みが増した喉仏には、少年であった頃の面影はすっかりなくなっていた。
エンドがルーインにたどり着いてしばらくは、何をしていいのか分からない毎日であり、容赦なく襲い掛かる弱肉強食の秩序に飲み込まれそうになっていた。
そんなエンドの支えになったのは、母が残した愛情。
そして、皮肉にもその親子を引き裂くことになった自分の強大な創遏。
力こそが全ての世界は、エンドが生きていくには案外心地が良い世界でもあった。
日が沈み始め、深い蒼に覆われた天が紅色に染まる時、決まってエンドは周辺で一番の高さを誇る丘の上から世界を眺め下した。
小さな村から出たことのなかったエンドにとって、その目に映る広大な世界はとても美しく、唯一エンドが安らげる時間だ。
しかし、心に空いていた虚無の穴は十年の時をもってしても埋まることはなく、ただ毎日が寂しさに凍える日々でもあった。
今日はそんな意味のない毎日に、終止符をつける決意ができていた。
既にエンドの実力はルーイン全土に響き渡るまでに大きくなっていた。
さらには、自分の強大な創遏とルーインの世界に漂う創遏をかけあわせることによって、次元の裂目を作り出すことに成功していた。
直ぐにでも母の元に戻りたいと思う気持ちと、自分にとって恐怖の残る世界に戻ることをエンドはずっと葛藤していた。
しかし十九歳になった今日、ファンディングに戻る覚悟を決めたのである。
日が完全に地平線から姿を消し、エンドの心を象徴するかのような暗闇が世界に広がった時、エンドは立ち上がった。
手を前に突き出し、創遏を拳に込める。
そう、あの時の母のように……。
エンドの創遏にルーインの創遏が呼応し、目の前に次元の裂目が現れる。
それは母が作った小さなものとは比べものにならないほどに、立派で大きなものであった。
次元を越え、たどり着いた場所は最後に母と別れた森の中であった。
本当は家の目の前にでるつもりであったが、この場所のイメージが強すぎて無意識にここが転送先となってしまった。
周りには人の気配はなく、静まり返った森を家に向かい一歩一歩ゆっくりと歩む。
家に近づくにつれ、徐々に母と過ごした記憶が鮮明に蘇る。
少し歩いたところで、自分の家の一部が木々の隙間からちらりと見えた。
家が見えたその一瞬、エンドの顔色が青ざめ、ゆっくりだった足が自然と駆け足に変わった。
家の目の前についたエンドは絶句する。
見るも無残に焼き落ちた屋根と壁、今にも崩れ落ちそうになっている全貌を、ボロボロの柱が必死に支えていた。
母の気配どころか何年もの間、人が立ち寄った形跡すらそこにはなかった。
恐る恐る家に入ったエンドは、一つの机に目を奪われる。
火災があったと見てとれる家には、不自然な程に綺麗な机が一つ残されていた。
それはいつも母が仕事をしていた場所で、机の上には無造作に書物が広がっており、まさにあの日のままの姿であった。
エンドが机に触ろうとすると、透明の薄い膜のようなものに包まれていることに気がついた。
レーベンはあの日、家から逃げる直前、この机に一つの法遏をかけていた。
いつか戻ってくるかもしれない息子に渡したいものがあった。
それを守るために拒絶の結界を張ったのである。
結界に手を当てると、息子と察したのか結界はホロホロと自壊した。
エンドは机の上の書物には一切目を向けず、何かに導かれるように引き出しを開ける。
そこには一冊の分厚い本が入っていた。
その本を手に取り、表紙を捲ろうとした時、不快な匂いが風に運ばれてきた。
肉が腐ったそうな死臭、強烈に鼻を劈く程ではないが、長い間この周囲に漂い続けているような感じであった。
匂いがしたのは、エンドがやって来たのとは逆である村の方からである。
嫌な予感が頭をよぎったエンドは、本を懐にしまい匂いを辿るように駆け出した。
家と村のちょうど間くらいにそれはあった。
十字架の形をかたどった木の土台に、白骨化した遺体が縛りつけてある。
ボロボロに腐敗した衣類を見るに、その遺体は死んでから何年もの間このまま放置されていたようだった。
良く見ると、至る所の骨が粉々に粉砕しており、死の間際まで拷問をうけていたであろう跡が体中に残っていた。
エンドがその遺体の正体に気づくのに、一秒と時間はかからなかった。
地に膝を突き、遺体を見上げるエンドに悲しみとは違う感情が押し寄せてきた。
その感情は……怒り。
激しい憤怒が体中を支配する。
心のどこかで覚悟はしていた。
母が既に死んでいると。
その覚悟は、焼け焦げた家を見た時にはすでに確信へと変わっていた。
だが、これはなんだ……。
何年も埋葬されることなく放置され、誰が見ても分かる禍々しい拷問の跡。
こんなことが許されるのか、誰にこんなことをする権利があるのだ。
留まることなく湧き上がる怒りに、エンドの体が震えあがる。
その時、村の方から何人かの村人がやってきた。
彼らは、エンドが次元の裂目を作った時に発生した衝撃と轟音の正体を確認しにきたのであった。
「おい! ここで何をしている! ここは立ち入り禁止になっているはずだぞ!!」
村人の一人が声をかけると、エンドは静かに振り返った。
その姿を見た一人の老人が、思わず口に手を当て焦りを見せる。
「馬鹿な……こいつはあの時の餓鬼じゃないか……」
姿こそ成長しているも、怒りのあまり溢れ出る禍々しい創遏に、当時の事件に立ち会っていた村人はすぐにエンドがレーベンの引き取った子供だと気づいた。
「なんで悪魔がここに……やはりレーベンが死ぬ前にしっかり居場所を吐かせるべきであった。あの女の口の堅さに、途中で拷問をやめるべきではなかった」
村人の言葉にプツンと心の糸が切れたエンドは、一瞬で老人の目の前まで移動し、首根っこを握り絞めそのまま持ち上げた。
「母が、レーベンが貴様たちに何をした……」
持ち上げられた老人は息ができず、足をジタバタさせて必死にもがき苦しんだ。
「母が貴様たちに何をしたって言うんだぁあぁぁ!!」
怒りを爆発させると同時に、老人の首はエンドの握力に耐えきれず引きちぎれる。
老人の返り血で真っ赤に染まるエンドを見て、他の村人は恐怖で震え上がった。
「悪魔……悪魔だ……」
怯える村人に視線を落したエンドの目には、幼き頃の光は見る影も無くなっていた。
「悪魔? 違うな。俺は……エンド=リスタード。この世界を破壊する神だ」




