第9話 自分だけの正義
カイト達の目の前に立ちはだかるクウェンツに対し、剣を構えて戦闘態勢に入ったのはクロエであった。
「雑魚に構っている時間はない……」
クロエがクウェンツに攻撃を仕掛けようとした──その時。
「待って下さいクロエさん!!」
カイトの叫びがクロエを止めた。
「こいつの相手は俺にやらせてください」
「やれるのか、カイト?」
カイトは軽く頷き、静かに返事をする。
その顔はいつになく真剣で、その瞳には強い意思が滾っていた。
「こいつとは、俺がやらなきゃいけないんです」
カイトの真剣な眼差しを見たナナは、そのままカイトの傍に寄り添った。
「私もここに、カイトと一緒に残ります……」
カイトはナナの手を握ると、クロエに向かって力強く声をあげる。
「クロエさん、ここは俺達に任せて先を急いでください!」
「分かった。俺はお前達に何かあっても引き返さない。生きて戻って来いよ」
クロエはクウェンツを無視し、先へと進む。
そのクロエに見向きもせず、クウェンツはカイトを凝視したまま立っていた。
「いいのか? クロエさんをすんなり通して」
クウェンツはゆっくりとカイトに近づきながら、創遏を高める。
「俺は自らエンド様に頼み、本部の護衛についた。カイト=ランパード、貴様がここに来ると見越してな」
クウェンツの高まる創遏を感じると、カイトはナナに下がるように指示を出す。
「俺もクウェンツとは決着をつけるべきだと思っていた」
テスラの死後、カイトは自分の気持ちに答えが見つかっていなかった。
仲間の死、相手に対する憎しみ、怒り、自らの不甲斐なさ。
相手の感情、境遇、その全てがカイトに重くのしかかり、戦いをする理由を見失いかけていた。
勿論、今はティナやレオを助けたい。
その気持ちに嘘偽りはなく、その想いのためにルーインへと乗り込んだ。
しかし、カイトの心のどこかに、相手を傷つける恐怖が隠れていた。
「決着だと? そんなことではない。俺は……俺の心を止めることができないんだ」
クウェンツは肩を震わせながら語り始めた。
「俺は、ネルチア様を愛していた。誰よりも強く……」
ルーインでもネルチアは残酷で非情な女と忌み嫌われ、周囲から避けられていた。
そんな彼女の部下だけが、ネルチアの本質を理解していた。
キルネの中でも一番に部下を大切にし、家族のように接した、慈母の心。
外では威厳を保つために非情にふるまい、惨憺たる女を演じた。
ルーインで生きる者に降りかかる、巨悪な自然淘汰に自分の部下が飲みこなれないよう、その想いだけでキルネの幹部にまで上り詰めた。
何故、そこまでする必要があるのか?
答えは簡単である。
『力こそが全て』
この世界はカイト達が住む世界とは根本的に違う。
家族愛を示すだけでも、力を誇示する必要があるのだ。
「俺はネルチア様の部下につき、このルーインで生きてきて初めて優しさというものに出会った。その美しい笑顔に俺は一目で虜にされた……その時に俺は決心した。強くなり、副師団長になって俺の全てをネルチア様に捧げると。なのに、あの時気づくことができなかった……」
──とある日。
歌姫の泉から戻ってきたネルチアの顔つきが、いつもより強張っていたことにクウェンツは気がついた。
「どうしたのですかネルチア様?」
ネルチアの右手側の服がボロボロになっていた。
そう、この日はネルチアとカイトが対面した日であった。
「クウェンツ、あなたはもし私が死んだらどう思う?」
「ネルチア様? 一体何を言っておられるのですか?」
ネルチアの言葉の意味を、クウェンツは理解することができなかった。
「別れとは突然やってくるわ……もしも私がいなくなっても、貴方は強く生き、皆を引っ張っていくのよ」
「そんな縁起でもないことをいわないでください。第八師団の皆は私に憧れているんじゃないのです。ネルチア様……貴方がこの師団の象徴なのですよ。いなくなってもらっては困ります」
「そうね。でもいざという時のために、心に覚悟しておきなさい。仇を打つなんて考えなくてもいい、醜くても必死で生きなさい。家族の生、それが私への最高の手向けになるわ」
それから程なくして戦争が始まり、カイトの手によってネルチアは死亡した。
カイトと初めて対面した時、すでにネルチアはこうなる未来を予測していたのかもしれない。
「あの時、ネルチア様の言葉の意味を俺が理解していたら……そんなことは今嘆いても、なんの意味も成さないことなのに」
カイトに向かいクウェンツは剣を構える。
「ネルチア様が望んでいるのはこんなことではない……それは分かっているんだ。だが、どれだけ抑えようとしても自分の中の心がお前を殺せと語りかけてくる」
クウェンツの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「仲間を殺されたお前も、きっとこんな気持ちだったんだろうな」
クウェンツの想いを聞いて、ナナも思わず涙を流す。
「なんで……なんで人同士が争いあう必要があるの……」
カイトの中で一つの決意が固まった。
剣を力強く握り、王創を漂わせクウェンツに近づく。
「俺はクウェンツにとって最も大切な人の命を奪った。テスラさんの死はとても辛かった、もしそれがナナだったらと思うと……」
カイトの瞳にも涙が浮かんでいた。
「本当は俺の命をお前にくれてやりたい、それで気が紛れるのなら……」
クウェンツは声を荒げると、溢れる涙を流したまま剣を振り上げる。
「ならば死んでくれ!! 死をもって償うんだ!!」
そのまま勢いよく剣を振りぬくが、カイトはその剣を弾き返す。
「俺は死ぬわけにはいかない。ナナと生きていくと決めたから。それがいかに自分勝手か分かっている。俺は全て守りたい。だけど、今の俺にはそんな強さはない」
カイトの感情の高まりと共に、王創が大きくうねりを上げる。
「だから、今は自分の中の正義を貫いて生きる!!」
カイトの振り下ろした一閃が、クウェンツを吹き飛ばす。
「ぐぅ……見事な、一撃だ。ネルチア様がやられるはずだ」
キルネの副師団長が一撃で撃ち負けた。
カイトの奥底に眠る力、その奥深さにクウェンツはなすすべがなくなった。
「さっさと止めを刺せ。俺もネルチア様の元に……」
覚悟を決め、目を閉じるクウェンツ。
しかし、カイトは静かに剣をしまった。
「なぜだ……同情か? それとも生き恥をかかせたいのか?」
カイトとナナは倒れるクウェンツを通り越し、先を目指した。
そのすれ違い様にカイトが残した言葉に、クウェンツの心は震える。
「これも、俺の自分勝手な正義だ……」
皮肉にも聞こえるその言葉の意味、剣を交えたクウェンツには分かっていた。
ネルチアが残した意思『強く生きて』。
カイトはその想いを尊重し、正義と判断した。
カイトの言葉に思い出したネルチアの想い。
その場に倒れこみ、天を仰ぎながらクウェンツは涙した。
「カイト=ランパード。お前と違う形で出会えていたら……ネルチア様は……まだ、生きていたかな……」
広く何もない広間に、クウェンツのすすり泣く声だけが響いていた。




