第1話 脈動する物語
「はぁ……はぁ……」
「クソッ! こんな奴ら俺が!!」
満月の夜、少年少女の叫びが空に消える。
不様に走り脅威から逃げるも、数多の足音は二人を囲う。
息のきれた少女は無力に怯え、少年は無意味な罵声を吐いて剣を突く。
そんな力なき二人に、絶望は容赦なく歩みを進めた。
暗くて、眩しくて、冷たくて、熱くて、痛くて、苦しくて。
安らぎなき悪夢に誓った願いを少年は思い出す。
『俺は誰よりも強くなる』
赤目から流した涙の記憶は、今まさに試されていた。
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……先程まで当たり前に過ぎていた平和な時間。
「見た?! 私に向かってウインクしたよ!」
「何いってんだ! 俺に向かってだよ!」
二人の若者は、その平和を当たり前のように謳歌していた。
彼の名は『カイト』。
程よく鍛えられ、しゅっと引き締まった体つきに茶色い髪。
生き生きとした茶色い瞳からは生命力が溢れでる。
まさに好青年と呼ぶに相応しい彼は、今年で十八歳。
一ヶ月後にグロース入団を控え、大人への階段を歩んでいる最中であった。
そして彼女の名は『ナナ』。
カイトと同い年で、古くからの幼馴染み。
黒く澄んだ美しい瞳に、淡い桃色の髪を靡かせ、憧れであった歌姫のコンサートを堪能していた。
歌が大好きで、その柔らかな美貌からは想像しがたい、強気で正義感に満ちた歌を歌う。
そんな彼女の歌声は人々を惹きつけ、既に巷では密かなファンができるほどである。
コンサートは最高潮の盛り上がりを見せ、会場のボルテージは燃え盛っている。
大勢の人で埋め尽くされた観客席から二人の少年少女は、壮大なステージで歌う二人の歌姫に釘付けとなっていた。
山と海に挟まれた大地に今年も春がやってくる。
冬に積もった雪は次第に暖かくなる春先の風を感じ、水流となって裾野へと流れ込む。
水はやがて川となり、数多の生命に潤いを与えながら大海原へと変化を遂げる。
自然豊かなこの場所は、人が集うのに最適なようだ。
──ここはこの世界の中心となる街『セントレイス』。
人口およそ五百万人が住む街並みを俯瞰するように、巨大な城が中央に聳え立つ。
装飾された煉瓦を積み上げ作られた城は、白と黒のコントラストがその存在感を際立て、セントレイスの一つの象徴になっていた。
この城を根城に活動しているのは、世界組織『グロース』。
世界で最も勢力のある防衛機関であり、彼らは常に世界の平和を守るために戦っている。
城を囲うように数々の商店が並ぶ街道は、城下町と呼ぶに相応しい活気に溢れている。
その街並みを横断するように、一本の長い道筋が丘に向かって伸びていた。
丘に向かい歩き、街を見下ろせる高さまで上がってくると、そこにはセントレイス二つ目の象徴がまっている。
蒼を基調にして作られた巨大なドーム。
ここは歌姫がコンサートを行う会場『歌の聖域 セム・ステラ』。
歌で人を魅了し人々の心を紡ぐ歌姫は、この世界の象徴であり、皆が歌姫を愛し賛美した。
──今日はセントレイスの人々にとって、特別な日である。
年に数回、歌姫によってコンサートが行われていたのだが、今回のコンサートが決まり世間に情報が出回った時、街中は歓喜の声に包まれていた。
今日のコンサートは歌姫の中でも最高峰と称される二人が初めてのデュエットをしたのである。
世界最高峰の歌姫、そこに付けられた呼び名は弐姫。
二人の姫が一緒のステージに立つのは、長いセントレイスの歴史で初めてのことであった。
入手困難と予測されていたコンサートのチケットを何とか手に入れ、カイトとナナは会場の熱気を最大限に感じていた。
数時間におよんだ夢の時間は瞬く間に過ぎていく。
夕暮れと共に始まったコンサートは、満月が天から見下ろす頃に幕を閉じる。
周りの人々が帰宅しすっかり静まり返った会場の前で、カイトとナナは夜空を見上げていた。
「……凄かったね。むっちゃ興奮しちゃった!」
「ああ、やっぱティナとリリーは次元が違うな。同じ人間とは思えないほどの創遏を感じるよ」
「そうだよね。私もあんなふうに歌えたらどれだけ気持ちいいんだろう」
創遏とは、人間や自然に眠る潜在エネルギーを意味している。
近年ではこの創遏を引き出すことが生活でも応用されており、力を集中して新たな物質を作ったり、自然の力を利用し火を出したりなど、私生活に欠かせないものとなっていた。
その中でも、自らの歌声に創遏を纏わせることができる人物を歌姫と呼ぶ。
ナナは星空を見上げながら、無意識に鼻歌を口ずさむ。
その場の空間を支配するような優しい音色に、カイトは心を奪われていた。
「歌に関してはナナだって凄いけどな」
「急に褒めてどうしたの? 褒めても何もしてあげないぞ」
「別に何も求めてねーよ」
「ふふっ。気分が良くなったから少し歌っちゃおうかな」
笑顔で歌うナナの澄んだ横顔を、カイトは目に焼きつけていた。
(あと一ヶ月でグロースに入団。グロースに入ったら……ナナともしばらく会えなくなるのかな)
カイトがナナの歌声に聞き入っていたその時、突然の出来事が二人を襲う。
雷が落ちたような轟音、地を割るような衝撃とともに目の前の空間に亀裂が入る。
その裂け目からは、十数匹の魔獣とそれを従える一人の男が現れた。
「なかなか良い歌声が聞こえますね。あの娘を捕らえなさい」
突然現れた男の命令を合図に、魔獣が一斉に二人へと襲い掛かる。
「何だよこいつらは!!」
「どうするのカイト?!」
「とにかく逃げるぞ!」
ナナの手を引き咄嗟に逃げようとするが、犬のような姿をした魔獣の足が速く、二人はすぐに周りを囲まれてしまう。
息のきれたナナは恐怖に震え、カイトは緊張に汗を垂らす。
「はぁ……はぁ……」
「クソッ! こんな奴ら俺が!!」
カイトが創遏を右手に集中させると、フワリと光が集まり剣が現れる。
次々と飛びかかってくる魔獣とナナの間に立ち、彼女を守るようにカイトは必死に剣を振るった。
一匹一匹からはさほどの強さを感じないものの、数匹が同時に攻めてくるため手を休めることが出来ない。
瞬く間に追い詰められていくカイトは、切れる息づかいを押し殺して男を睨みつけた。
「何で俺達を襲うんだよ?!」
「俺達? 私が興味あるのは女の方だけです。その女、歌姫としての素質があるようですね」
男が指したのはナナであった。
「私が? 私にはそんな力ないわよ!」
「自覚がないようですね。まあ良いでしょう。とりあえず、この邪魔な男には死んでもらいましょうか」
魔獣が男の高まる創遏を感じとり、逃げるよう後方へ下がる。
禍々しい気配を放つ男は、右手に凄まじい量の創遏を集中すると、手の平から燃え上がる球体を作り出し、力の違いを見せつけた。
「な……なんて創遏だよ」
カイトは相手の力に圧倒され、思わず本能が戦いを拒絶する。
恐怖で体が硬直し、小刻みに震える足では立っているだけでやっとであった。
(怖い……だけど……だけど!)
自分が無力であると分かっていた。
それでもナナだけは守ろうと、カイトは両手を広げ恐怖に目を向ける。
そんな姿を、男は鼻で笑って小馬鹿にした。
「格好いいじゃないですか。ですが、その非力では何も守ることはできない」
ゆっくりと近寄る男を前に、カイトの心臓は恐怖ではち切れんばかりに鼓動を速くする。
(俺は……ここで死ぬのか? また何も守ることが出来ないのかよ)
死の感覚に直面し、カイトは思わず目を閉じて神に願いを乞う。
(誰か……助けてくれ)
目を閉じたカイトが歯を食いしばると、周りに赤い小さな光がふわりと現れ、微弱ではあるがカイトの創遏で周囲の空気が揺れる。
それに気がついた男は、瞼をしかめ首を傾げた。
(なんだこの創遏は? 危険な匂いがしますね)
男がカイトに向かい右手をかざした次の瞬間、ドンっと地面が揺らぐような振動が体を伝う。
その衝撃によって赤い光は消え、高まりをみせたカイトの創遏も元に戻ってしまった。
カイトは何が起きたのか分からず、恐る恐る目を開ける。
すると、そこには無意識に漂う強者の背中が一つ。
突如現れた男を見るや、カイトの心臓は更に激しく脈動した。
そしてそれと同時に、彼の物語は運命に導かれ始めたのであった。