第50話 悪魔の宿る体
エレリオがグラスに協力を求めている頃と時を同じく、最北端の大地では悪夢が始まろうとしていた。
オリバーよりも更に北へ進むと、そこには辺境の地『サルルーグ山脈』が姿を現す。
高低差のある山が剣山のように並び、谷底に流れる川は濁流となって大地を削る。
まともな平地はなく、人が住むには到底適さないその地は、隠れ家を作るのに最適であった。
クロエとロランを抱えた影が洞穴にたどり着く。
すると、意気揚々と姿を現したのはラグレッドであった。
「良くやった。ようやくこの異物を処分することができる」
山肌を抉り、洞窟のように掘られた奥地に作られた祭壇。
そこは、極一部の人にしか知らされていないラグレッドの隠れ家である。
本来はグロースが敵の襲撃で万が一攻め落とされた時のために作られたもの。
あらゆるものから隠されたそこは、少年二人を殺害するには最適の場所であった。
「……ぐ……う……じぃ、ちゃん?」
「なんだ。もう目を覚ましおったか」
虚ろに瞼を開けたクロエは、状況が分からず辺りを見渡した。
自分の手足は拘束され、隣には同じく手足を拘束され意識を失っているロラン。
目の前には今まで見たことのない不気味な笑みで口を緩ませるラグレッド。
七歳ながら、今の状況が良くないことだけは把握することができた。
「じーちゃん? じーちゃんが俺達を誘拐したの?」
「……馴れ馴れしい。貴様らの祖父になったつもりなど一度もない」
ラグレッドがクロエの髪の毛を鷲掴みにすると、力に任せて体を引き起こす。
悲痛に顔を歪ませるクロエは、涙を流しながら痛い、やめてと泣き叫んだ。
「貴様らは異常なんだ。誰の子供かも分からず、赤子にしてオリバーの街を消し飛ばす力を持つ。しかも、荒れ果てたオリバーの跡地で泣き声をあげながら人が来るのを待っていたのだ。次はセントレイスを消し飛ばすのか? 平然とした顔で人間に溶け込む悪魔め。ヒースの馬鹿が余計なことをしなければ、貴様らなどとうの昔に殺処分されておったわ。あれから七年も待った。最近になってやっとグロースでお前達の存在が薄まり、暗殺するに適した頃合いとなったんだ。露骨に殺しては、俺が疑いをかけられかねないからな」
ラグレッドはそのままクロエを壁に向かって投げ飛ばすと、背中を強く打ちつけたクロエはその場で苦しそうに蹲る。
それと同時に目を覚ましたロランは、よく分からず辺りをキョロキョロと見回す。
すると、目の前で倒れるクロエと殺意に満ちたラグレッドが視界に入った。
「あぁ……じぃ……ちゃん?」
薄暗い洞窟に、自分たちを拐ったローブの集団。
それをまとめるように先頭に立ち、倒れるクロエの顔を踏みつけるラグレッド。
何が起きているのかを察したロランは、恐怖のあまり大声で泣き声をあげる。
「……うるさいガキだ。何かあればすぐに泣き叫ぶ。だから俺は子供というのが嫌いなのだ。黙らないなら、先にロランから殺してやろうか」
ラグレッドがロランに向かい歩み寄ると、右手に剣を作り、戸惑うことなく切先を差し向ける。
それを見たクロエは、目を大きく開き叫び声をあげた。
すると、クロエの叫びに呼応するように制約の指輪が光を放つ。
光は瞬く間に強くなり、洞窟全体を照らすと同時に指輪が弾けて砕け落ちる。
制約の指輪からクロエが解放されると、すぐにその両目は黒く染まり、重々しい創遏が周囲に圧力をかけていく。
そしてその力に同調するように、ロランの指輪も強く光を放つ。
クロエと同様に一度強い光を放ったあと粉々に砕け落ち、ロランの瞳も白く染まっていった。
「制約の指輪が……やはり悪魔の化身か。こやつらを今すぐ殺せ!!」
ラグレッドが指示を出すと、ローブの集団が一斉に二人へ襲いかかる。
しかし、黒と白に染まった二人の瞳に十字の刻印が浮かび上がった瞬間、急激に膨れ上がった創遏が激しく暴れ狂う。
溢れる創遏が行き場を失うと、その力を解き放つように大爆発が発生。
その規模は、広大なサルルーグ山脈全てを消し飛ばすほどの超爆発であった。
一瞬。
わずか数秒で、山脈は広大な荒地に変化する。
その場に残っていたのは、瞳を変色させフワフワと空を飛ぶクロエとロラン。
ラグレッドを含むそれ以外の生命は、跡形もなくこの世から姿を消した。
意識があるのかないのか。
呆然と空を見上げていた二人は、突然セントレイスの方角に目を向ける。
そのまま無言で創遏を高めると、光とも思えるほどの速度で南下した。
オリバーの跡地を越えると、次に見えてきたのは小さな町『セイレーン』。
その上空で止まると、意味もなく創遏を高め、再び大爆発を発生させる。
サルルーグ山脈を消し飛ばしたように町一つを焼け野原に変えると、二人は無邪気に笑い声をあげた。
「消えてしまえばいいよ。俺やロランに酷いことをする人間は、みんな消えちゃえよ」
クロエとロランによる無差別破壊が更に勢いを増していく。
セントレイスを目指していたかと思えば、気が向くままに方向を変え、目についた町や村を一瞬で消し飛ばす。
それでも止まることを知らない負の感情は、絶え間なく溢れる創遏に変化する。
七歳の体に釣り合わない強大な創遏は、瞬く間に二人の体を蝕んでいく。
そのまま流れに身を任せ、世界の三割ほどを消し飛ばした時であった。
二人の前に暖かい光が舞い降りる。
クロエとロランの目の前に姿を見せたのは、エレリオとヒースであった。
明らかに異常な超爆発の連続。
それの正体に直ぐさま感づくことができたのは、それによって滅びたオリバーを覚えていたエレリオだけである。
確実にクロエとロランが関係していると判断すると、ヒースを連れて爆心地を追いかけるように全力で駆け出していたのだ。
二人とも必死に空を飛びクロエとロランを探していたのだろう、額からは大量の汗が滴り、息を切らしながら辛そうに肩で呼吸する。
そんな二人を前に、クロエとロランは瞳を変色させたまま涙を溢す。
「父ちゃん……母ちゃん……俺達を……止めて」
負の感情に支配された二人は、すでに自分の体のコントロールができていなかった。
思考の赴くままに破壊を繰り返し、疲弊する肉体の痛みに悲鳴をあげる。
それでもなお、自分達の中に眠る力が止まることを許さない。
「嫌だ……止まれよ……止まってよ」
次の標的をエレリオとヒースに決めると、クロエとロランの創遏は鋭さを増して牙を向ける。
町を片っ端から消し飛ばすほどの力が、二人の人間を飲み込もうとした。
──しかし、父と母に躊躇いはない。
暴れ狂う創遏に身を投げ込むと、ただ強く二人を抱き締める。
その手は瞬く間に血で染まり、荒れ狂う創遏が二人を引き離そうと噛みつくも、エレリオとヒースの想いを殺すことはできない。
「父ちゃんと母ちゃんが来たから。もう大丈夫だ」
「クロエ、ロラン。もう、離したりしない。だから、私たちの元に帰ってきて」
二人の深い愛情に、クロエとロランの瞳が抵抗をやめた。
暴れ狂う創遏は弾け消え、瞳の色も戻っていく。
力を使い果たしたクロエとロランは、親に体を預けるようにゆっくりと倒れこむ。
そして、恐怖を緩和させるように親の胸で枯れるほど涙を流した。




