第46話 生きる意味
「カイト君、急にすまない。ティナの様子が気になってな」
「……ロランさん」
ロランとリリーを部屋まで案内すると、カイトとナナは無言のまま下を見る。
リリーはベッドで眠るティナの頭を軽く撫でると、カイトとナナに向かい意外な言葉をかけた。
「ありがとうね。カイトとナナがいてくれなかったら、ティナは……ここにいなかったと思う」
予想外の感謝の言葉に、カイトとナナは口を開けて驚いた。
自分達はティナに何もできていない。
クロエに託されたはずなのに、かける言葉すら見つけることができず、ただ無意味に時間だけが過ぎていった。
そんな無力な自分達は、感謝される立場ではない。
「俺達は……何もできていません。ティナさんに声をかけるのが怖くて。何を言ってもティナさんを傷つけてしまいそうで。それを言い訳にして、何もすることなく、ただ時計が進むのを見ていただけなんです」
思い詰めた顔で俯くカイトの手は、悔しさに震えていた。
隣に立つナナも同じだ。
何も話をすることができず、瞳に涙を浮かべ歯を噛み締めている。
そんな二人をリリーがそっと抱き寄せると、そんなことはないと首を横に振る。
「それでもね、あなた達が生きているから、ティナは生きることを諦めていない。ティナがまだここに居てくれるのは、あなた達がここに居るからなのよ」
自分達が生きていることが、ティナの生きる理由。
カイトとナナは考えたこともなかった。
「クロエが言っていたのでしょ? あなた達は、クロエとティナにとって本当の子だって。母親はね、残された子供のためなら、どこまでも強くなれるのよ。だから私は心配していない。あなた達は傍にいてあげるだけでいい。そうすれば、ティナはクロエの死を乗り越えて、必ず強くなる」
リリーの言葉に堪えていた想いが溢れだす。
誰かにすがりたかったわけではない、誰かに同情してほしかったわけではない。
自分達が何とかしないとと焦るばかりで、何もできていないことがどうしようもなく嫌だった。
だが、そんなことはクロエから託されたことではなかった。
そんな簡単なことにすら気づいていなかった。
家族として、子として、母を支えるというのは頭で考えて行うものではない。
ごく普通の日常にそれはある。
朝日が昇ると姿を見せる間抜けな寝ぼけ顔。
おはようと欠伸をし、いただきますと食事を囲う。
共に歌い、共に汗を流し、共に笑い。
月が昇れば無邪気に疲れ、腹が減ったと床にへたる。
再びいただきますと食事を囲うと、最後は笑顔でおやすみなさい。
そんな当たり前で普通の毎日が、親には一番の幸せである。
クロエが託した想いは、そんな毎日がいつまでも続くことであった。
それをできるのは、他の誰でもない。
それをできるのは、カイトとナナでしかないのだ。
「……うぅ……ぐぅ。俺は……俺は何でこんな簡単なことに気がつかなかったんだ。俺は……クロエさんの変わりにならないとって、そんな馬鹿なことばかり考えて。ティナさん……ごめんなさい……ごめんなさい」
ナナは隣で声をあげながら泣いていた。
カイトは溢れだす涙を隠すように、手で顔を押さえながら肩を震わせる。
そんな二人をリリーは包み込み、ロランはカイトの頭を優しく撫でる。
「……カイト。格好なんてつけなくていい。涙が溢れるなら、子供のように大声をあげて泣けばいい。クロエが死んで、泣きたくなるほど悲しいのはお前達だって同じはずだ。ティナの前では素直に生きればいいんだ。それもまた、母親の幸せだろ」
「ぐぅ……ぅぅ……ぁぁ、あぁぁあ……うぁぁあぁぁ」
少年と少女は、無様に崩れた顔で涙を流す。
張り裂けそうであった心を守るため、枯れるほどの大声で泣き叫んだ。
(……ここは)
目の前に広がるのは、いつも見るシャーロットの花畑。
中央に聳える大木まで歩み寄ると、そこには白いワンピースを着た少女が一人。
(あれは……私?)
少女は大木に背を預け、頬を赤く染めていた。
銀色に輝く髪が風にそよぎ、その瞳は幸せそうに笑みを作る。
チラチラと腕の時計に目を配り、誰かを待っているようであった。
(……そっか。これは、あの日の想い出)
ティナが後ろを振り返ると、そこには若かりし頃のクロエが立っていた。
少女がクロエに気づくと、しゅっと背を伸ばし、ツンっと目を細めて口を開く。
「遅いんじゃないの?」
「なんだ? 先にいるとは思わなかったな~。やっぱティナって俺のこと好きだよな?」
ニヤニヤと笑って歩くクロエの頬を、少女は思いっきりつねる。
その顔は恥ずかしさに頬を染め、歯を剥き出しにして怒っているが、同時に何ともいえない幸せそうな顔であった。
(クロエが守り人になったあの日、こんなにも早い別れが来るとは思わなかった)
クロエが少女を抱き寄せると、少女は素直に肩を寄せる。
そのまま唇を合わせると、手を繋ぎ歩きだしていく。
永遠と信じた幸せに向かって。
(私が初めて本気で愛した男性。クロエはずっと私を守ると言ってくれた。私はクロエさえいてくれれば、それだけで良かった)
歩きだした二人の背中が見えなくなると、ゆっくり涙が溢れ落ちる。
自然と唇が震え、喉の奥から掠れた泣き声が込み上げてくる。
(私はクロエさえいてくれれば良かったのに。それだけが私の生きる意味だったのに。クロエは、いつも……その先を見ていた。だから、こんな日がいつかくることは分かっていた。だけど……早すぎるよ)
胸が鋭く痛み、今にも張り裂けてしまいそうであったその時。
後ろから、二つの泣き声が聞こえてくる。
ティナが後ろを振り返ると、そこには顔を崩して泣き叫ぶ少年と少女。
二人を見つめると、ティナは胸に手を当て瞼を閉じた。
一つ深呼吸をすると、震える心に落ち着くよう語りかける。
その時、どこからか声が聞こえた。
『ティナ……子供達を任せたぞ』
柔らかな声に瞼を開けると、微笑みながら足を進める。
その瞳には、いつもの力強さが光を灯す。
(……そっか。そうだよね。私には、他にも生きる意味が出来ていた。私がいつまでも落ち込んでいる場合じゃないね)
ティナは後ろを振り返ることなく歩みを進める。
少年と少女の元にたどり着くと、二人を抱き締めて感謝した。
(クロエ……ありがとう)
夢から覚めると、ティナはゆっくり瞼を開ける。
そこには涙を流して抱きつく大きな子供が二人。
その二人を抱き寄せると、ティナは優しく微笑んだ。
「ごめんね、もう大丈夫だよ。ありがとう……カイト、ナナ」




