第43話 父から子へ
黒球が放つ創遏は、恐ろしく強大であった。
その一撃は、確実にヴェルモットの法術を上回る圧力を撒き散らす。
そんなものが力を解き放てば、セントレイスが跡形もなく消し飛ぶのは容易に理解できた。
「俺は確かに言っただろ? 今この場で全ての人間を滅ぼすつもりはない。そう……セントレイスを滅ぼさないとはいってないんだよ」
腹をかかえながら高笑いをするバンビーは、まさに悪魔であった。
言葉遊びのついでに街を消す。
そんな暴挙を簡単にやってのけるというのだ。
「カイト、三年後を楽しみにしているよ。生きていたらね?」
絶望するカイト達の表情を存分に楽しんだバンビーは、満足したように姿を消してしまう。
残された黒球は、今にも大爆発を起こさんと凄まじい稲光を放っていた。
「……あんなエネルギーの塊。今の俺達にはどうしようも……ないぞ」
その時、歌声と共に強固な結界が黒球を取り囲む。
咄嗟にクスハが加護の歌を歌い結界を張ったのだ。
(……だめ。今の私の歌じゃ、この力を抑え込むことはできない。もっと……もっと直接的に創遏を抑え込まないと)
結界を通して伝わる黒球の強大な創遏に、クスハは歌い続けながらも首を横に振る。
それを見たカイトは、クスハの結界でも無理なのかとさらに落胆してしまった。
「どうすれば……今の俺にはもう創遏が残っていない。何かないのか、何かセントレイスを守る方法は?!」
焦りからか、カイトの声は虚しく響くだけで、その言葉にはいつものような力強さがない。
黒球から放たれる創遏は、普通の力で抑え込めるほど甘いものではない。
辺りを見渡しても誰もが満身創痍であり、そんな黒球を抑え込む力など残ってはいなかった。
──普通では守れない。
そう、普通ではない力があれば守ることができるのだ。
突如、一人の人物が黒球の前に立つ。
その無意識に漂う強者の後ろ姿は、カイトの心にしっかりと残っていた。
初めて目にしたのは、ティナとリリーのコンサートを見終わった夜。
シフに襲われた時に現れた憧れの背。
「ク……クロエ……さん?」
あれから、毎日その背を追いかけてきた。
今でもまだ追いつくことはない。
ずっと追いかけていたい背なのに、そこから感じる強い覚悟に、自然と声が震えてしまう。
「クロエさんにも、もう創遏は殆ど残っていません。一体……何を、するつもり……ですか」
言葉を震わせながらも、カイトはクロエが何をしようとしているか分かっていた。
ただ、今から起こるであろう事象を認めたくない。
それだけの想いで、あえてクロエに何をするつもりなのか問いかけたのだ。
「俺が直接この創遏を抑え込む」
クロエが黒球に手をかざすと、クスハの結界をかき消し、新たに自身と黒球を囲うように何重もの結界を作り出す。
それと同時に自らの創遏を振り絞り、ヴェルモットと戦っていた時のように、再び両目を黒に染めた。
明らかに無理をしているクロエの体は、己の力に耐えきれず、いたるところの血管が弾け血が吹き出す。
しかしそんなことには意もせず、クロエは両手で黒球を握り込むと、何が最善か判断する。
黒球の大爆発を抑え込むように、自らの創遏を黒球に直接纏わせる。
爆発事態を避けることができないと判断したクロエは、少しでも爆発の被害を抑え込むため、強固な結界を直接張り続けることにした。
クロエと黒球の二つを囲う何重もの結界。
クロエが直接触れ、黒球に張り続ける強固な結界。
この二つで黒球の大爆発を抑え込む。
その判断と行動は、クロエ自身の命を犠牲とするものであった。
「クロエさん!! そのままじゃ……クロエさんが!!」
カイトは慌てて空を飛ぶ。
クロエの結界に手を当てると、黙って結界を張り続けるクロエに向かって声を荒げた。
「何してるって言ってるんだよ!! あんたが犠牲になっていいわけないだろ!! 今すぐやめるんだ!!」
我慢できなくなったカイトは、クロエの結界を壊そうと拳を振り下ろす。
しかし、強固に張られた結界は軽々とその攻撃をはね除けた。
ナナもその場に駆け寄ると、結界に触れて心を震わせる。
「カイト……ナナ…………ティナは、お前達に託す」
背を向けたまま、クロエは自分の願いを口にする。
その願いを受けたカイトとナナは、すぐさまその願いを否定した。
「駄目だ! ティナさんには……ティナさんにはあんたが必要だろ!! 俺達にそんなことを託すんじゃない!! そんな無責任なことを言うんじゃない!!」
「そうです!! ティナさんの隣は、クロエさんしか!!」
ゆっくりとカイト達の方を振り返ったクロエの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
初めて見るクロエの涙。
それを見たカイトとナナは、言葉を失った。
「カイト、ナナ、お前達にしか託せないんだ。俺とティナにとって、お前達は本当の家族なんだ」
力を使い果たし倒れていたティナは、震える体を起こしクロエを見上げる。
何とかしてそこに行こうと立ち上がるが、ふらつく体はすぐに倒れてしまった。
それでも再び立ち上がろうとするティナを、クスハが咄嗟に支える。
クスハはそのまま何も言うことなく空を飛び、ゆっくりとクロエの元へ目指した。
「ティナはな、過去に使った限界を越える歌の代償で、子供ができない体になってしまったんだ」
「……ク……ロエ、クロ……エ」
ティナがクロエの元にたどり着くと、霞んだ声で名を呼び、あふれでる涙を流しながら必死に結界へすがりつく。
そのティナの姿をあえて見つめず、クロエはカイトとナナに想いを託し続けた。
「子供が大好きだったティナは、その代償に絶望し、ずっと己の行いに後悔していた。そんな日々が何年も続いたある時、俺達の元にやってきたのがお前達だった」
堪えていた涙が、ゆっくりと頬を伝う。
それなのに、クロエの表情は今までに見たことのない優しい笑顔であった。
「初めはハッキリ言ってウザかったよ。特にカイトな! 弱いくせに俺のことをチョロチョロ気にしてよ……たまんねーのなんの。それでもよ、ティナは自分に子供ができたように毎日満面の笑みで喜んでいた。そんな顔を見ていたら、俺も不思議とだんだんお前達への見方が変わっていった」
カイトと目を合わせ、クロエは真剣な眼差しで想いを告げる。
「俺達に血の繋がりはない。歳だってそこまで大きく離れているわけでもない。だが、間違いなくお前達は俺達の子だ。だからこそ、ティナはカイトとナナにしか託せない。他の誰でもない……お前達にしか託せないんだ」
「…………そんなの……卑怯だ。そんなこと……言われたら……断れるわけ、ないじゃないか」
カイトはこれまでにないほど涙を流していた。
ナナは感情に押し潰され、膝を落としてひたすら泣き声をあげる。
そしてその二人よりも崩れ落ち涙を流していたのは、ティナであった。
「親父にも感謝しないとな、俺達とカイト達を繋げてくれたことを」
クロエが話を終えると、暴れ狂う黒球の創遏がついに強く輝き始める。
「カイト……お前に、全てを託……」
その光は一瞬で結界内に広がると、一つの命を喰らいながら大爆発を起こした。