第41話 託された想い
歌姫の泉では、自らの異変に気づいたノーマンドが笑みを浮かべていた。
体がゆっくりと光に溶けていくような感覚。
不老不死である自分が、初めて実感する死の感覚である。
「恐れ入ったね、本当にステラ様を殺すとは。流石はメル様の器だ。ありがとう人間達よ。これで僕も、やっと死ぬことができる」
ステラの死は、神の世界の終わりを告げるもの。
それは不老不死であるノーマンドも例外ではない。
永遠にやってくることはないと思っていた死の感覚に、ノーマンドは歓喜を感じながら光に還っていった。
──そしてメルもまた、ゆっくりと光に包まれていた。
『……カイト、聞こえているか?』
「あぁ……聞こえているよ、メル」
真っ白で何もない世界。
その空には亀裂が入り、ひび割れた硝子のように砕け散る寸前であった。
『もう、あまり時間が残されていない』
「何いってるんだよ。ここの時間は死んでいるんだろ」
『ふっ……そう悪態をつくな。カイトが俺を許せないのは分かっている』
「あぁ、絶対に許さない。俺は変わるつもりはなかった! メルが何をしようとしていたか知っていたから! なんで分かりあおうとしなかった? なんで一人で決めた? なんでメルはステラを殺したんだ!!」
己の精神世界の中、向かい合うメルに激しい罵声をあげ、カイトは涙を流す。
……本当は分かっていた。
メルの想い、メルの信念、メルの覚悟。
彼が願っていたことはただ一つ、愛する者の幸せである。
それなのに、愛する者の命を自らの手で絶たなければならないことがどれほど苦悩であるか。
その全てを理解したうえで、それでもカイトはメルに怒りをぶつけた。
「ステラの想い、メルの想い、どっちも分かるんだよ。だけど……こんな結末なんて。他に道があったはずなのに」
『他の道は確かにあったかもしれない。オベルダさえ封印から目覚めなければな』
話をする二人の仲を裂くように、耐えきれなくなった空が破片となって降り注ぐ。
顔を俯かせたまま怒りに体を震わせるカイトに向かい、メルは言い残すことがないように話を続けた。
『カイト、もうすぐメル=ブレイン=ランパードといった存在は、世界から完全に消える。俺の固有能力である繋心を残してやることはできないが、喰らい歌ならこれからも使えるはずだ。力を欲する時、言葉に魂を込めて叫べば、必ず力はカイトに答えてくれる』
カイトの肩に軽く手を乗せ、メルは柔らかな笑みを浮かべる。
そんなメルの満足げな表情に、カイトは大声で異をとなえた。
「……消えるなよ。勝手に言葉だけ残して、満足したような笑みを浮かべるなよ!! 俺はまだ諦めていない!! 神の世界と人間の世界。共に手を取り合っていける!! ステラの……そうだ! ステラをティナさんの歌で生き返らせれば!!」
メルはゆっくりと首を横に振ると、分かっているだろうと言いたげな瞳で視線を返した。
『ティナ=ファミリアの体力は限界に近い。そんな状態で四凰の歌を使えば、どうなるか分かっているな? そもそも、四凰の歌は人間がステラの歌を模して歌ったものだ。神の力こそあれど、それが大聖官であるステラに効果を成すことはない』
精神世界の崩壊が激しくなり、メルの体が次第に半透明になり始める。
そんなメルを前に、カイトは歯を噛みしめながら強く拳を握りこむ。
その拳に秘められた感情は、怒りといったものだけでない。
無力、無念、悲痛、悲観。
何も成すことがでなかった自分に対する想いが、体中に込み上げてくる。
『カイト……これが最後になる。よく聞いておくんだ。オベルダの解放により、始創が本格的に目覚め始めた。それは、人間の世界にも終わりが近づいていることを意味している。奴らは神の世界、人間の世界をただの暇潰しの玩具にしか考えていない。そこには同情や哀れみといった感情は存在しないんだ。このまま人間の世界が始創に飲み込まれれば、瞬く間に世界は終わりを迎えるだろう。いいか、カイトは俺と同じ道を歩んではだめだ。他の道……その道を見つけてくれ。それが、俺からカイトに託す想いだ』
話を終えると、メルの体は完全に光へと消え始めた。
精神世界も完全に崩壊し、気づけば辺りは真っ黒な暗闇に包まれかけている。
カイトはメルの姿が完全に消える前に、どうしても聞いておきたいことを質問した。
「最後に、最後に教えてくれ!! なんで……メルはなんで俺を選んだんだ!?」
その問いに笑みを溢すと、メルは答えを与えることなく消滅してしまう。
カイトは答えを手繰り寄せようと手を伸ばすが、その手が掴んだのは、心配そうに目の前に立つナナの腕だった。
「……カイト。大丈夫?」
「えっ……あっ……ナナ?」
精神世界から戻ったカイトは、辺りを見渡してその光景に息を飲む。
神々に秘められていた創遏が行き場を失い、次々と金色の光に変化する。
無数に漂う光は、まるで無限に拡がる星空のように輝きながら空へと消える。
光が作り出す幻想的な風景に、カイトとナナは心を奪われていた。
「こんなに綺麗なのに……何だか、とても悲しい光だね」
「……ああ。俺は、この光を忘れはしない。神が残した想い。俺は絶対に忘れはしない」
カイトはただ真っ直ぐに空を見上げる。
その瞳に迷いはなく、とても精悍で力強かった。
(その瞳だ……カイト。俺は、カイトのそんな透き通った瞳が大好きだったんだ。俺がカイトを選んだ理由は、それだけで十分過ぎたよ)
空に消えゆく遺志は、残した想いを見つめながら瞳を揺るがせた。
そんな遺志に一つの手が差し伸べられる。
その手は美しく、柔らかで、清らかで。
十億年の間、愛し続けた自らの魂であった。
『俺の魂は……ステラと共に』
差し伸べられた手を掴むと、抱き寄せるようにその遺志を包み込む。
『私の魂は……あなたと共に』
二つの合わさった遺志が光を放つと、その光は幸せそうに空へと消えていく。
その光を、カイトとナナはいつまでも見上げていた。




