第40話 制約と誓い
ステラの歌声が響き渡ると、その場の全員が激しい頭痛に襲われる。
さらに美しい歌声に込められた創遏は、瞬く間にファンディング全土へと広がり、その歌声に秘められた力を感じた人間は次々と頭を押さえ膝を落とす。
そしてその歌声が力を増すほどに、ステラ自身も苦悶の表情に染まっていった。
(オベルダは、すでに封印から目覚めてしまった。私は……神を、神の世界を守るため。人間を……殺す)
ステラが奏でる歌は、始創を滅ぼすために作り上げた【終歌】であった。
本来はナナの体に転生したのち、万全の状態で歌うべき歌。
それでも、その歌にはとてつもない代償を伴う。
自身の不老不死化と魂の消滅。
脱け殻となって永遠の時を生きることは、どんな死よりも辛い生である。
不完全な状態でその歌を歌う。
その代償が本来のものよりも圧倒的に重たいものであることは、ステラ自身が誰よりも理解していた。
(私はこの歌を歌うことで、脱け殻となってしまう。それだけじゃない……不完全なこの状態で歌えば、想像しがたいような苦痛に、永遠の時を支配される。死ぬことも許されず、叫び声をあげることも許されず、涙を流すことも許されず。誰にも気づかれることなく、ただ永遠の苦しみに悶えるだけ)
ステラは自らに降り注ぐ代償に、体を震わせる。
覚悟したはずの心が揺らぎ、恐怖に自然と涙が込み上げてくる。
誰にも救いを求めることは許されず、全ての責務を自らが背負い、ただその運命に従って人間を滅ぼす。
(神の世界を救うため……私の存在意義は、大聖官として神を導き、理を先へと繋ぐこと。今更、それ以外のことを……自分の意思を考えては……いけない)
人々が終歌によって膝を落とす中、一つの手がステラの結界に触れる。
涙を流し空に向かって歌うステラに手を伸ばしたのは、カイトであった。
「君だけが……背負う必要なんてない。俺達が、ステラの想いを一緒に背負うから。だから……」
激しい頭痛に襲われながらも、カイトは必死にステラへと手を伸ばす。
ステラに張られた結界は、カイトの手を焦がし接触を拒絶する。
それでもカイトは諦めることなくステラに向かい手を伸ばし続けた。
──その時、突然の強い脈動がカイトの心臓を震わせる。
心臓を直接握られたような激痛がカイトを襲い、その苦しみに思わず膝を突いて涎を垂らす。
声にならない叫びが溢れると、胸を押さえてうずくまる。
その瞳は、慌ただしく茶色と赤色を交互に繰り返していた。
「……かぁ……くぅ。こ……れは、メ……ル?」
『……すまないなカイト』
カイトは身体を奪われまいと必死に抵抗する。
拳を作り、己の額を殴って意識を保とうとした。
「メ……ル。駄目だ、俺は、変わらな……いぞ」
今は絶対にメルと入れ替わるわけにはいかない。
それは何故か。
メルが何をしようとしているか、カイトは知っていたからだ。
『制約は交わされている。お前とは、ここで別れだな』
カイトとメルが交わしていた制約。
力を教える変わりに、一度だけ好きな時に身体を入れ替わる。
それはただの口約束ではなく、お互いが納得した上で結ばれた神の約定であった。
「……これが、俺の最後になるな」
呼吸を整えて立ち上がったカイトは、瞳を深紅に染めていた。
そのまま剣を作り出すと、軽く一振し、ステラを覆っていた結界をいとも簡単に崩壊させる。
「……ステラ。もう、終わらせよう」
ステラは歌を続けたまま、虚ろな瞳で声のする方に歩み寄る。
その足元はおぼつかず、微かに聞き取れた愛する人の声を頼りに手を伸ばす。
終歌の代償はすでに始まっていた。
視力と聴力の殆どを失い、それでも彼女は歌い続ける。
消えゆく魂が尽きるまで、彼女は歌うことを止めようとはしなかった。
「俺は……どんな形になったとしても、君との誓いを忘れはしない」
メルの握っていた剣は、戸惑うことなく切先をステラへと突きつける。
そのまま深紅の剣がステラの胸に突き刺さると、真っ赤な血流が刃を伝い、雫となって空に消える。
同時に女神の歌声が止まり、その口から溢れた最後の音は、愛する人の名であった。
「……メ……ル」
剣を引き抜くと、彼女は瞬く間に緋色に染まる。
力なく崩れ落ちる体は、求めるようにメルへと寄りかかる。
命が尽きようとしているのに、虚ろであったその瞳には、微かな生気が戻っていた。
「……メ……ル」
ステラは残った力で必死に手を伸ばす。
メルの背中を弱々しく抱き寄せると、その柔らかな温もりに安堵の笑みを浮かべる。
そんなステラを前に、メルはただ、震えながら天を見上げることしかできなかった。
「…………ル」
ステラはゆっくりと光に還る。
生命の尽きた肉体は蛍のように揺めき、次々と天に昇る。
何もない無へと消える光に、その魂を宿したまま。
「……俺は」
涙で崩れる深紅の瞳は、無力なままその光を見上げる。
──守りたい。
その想いは、愛する者の全てを守ることができなかった。
選択を迫られたメルは、全ての命を犠牲に、ステラの魂だけを守ることを選んだ。
「俺は……君の全てを守りたかった」
ステラが力尽きると同時に、メルの身体からも光がゆらゆらと浮かびあがっていく。
大聖官セント=ステラ=ルールラの死は、神の世界【ルーデ】の終わりを告げる。
世界が終わるということは、その世界で生きてきた全ての神も無へと還ることになる。
そしてそれは、永遠と続いてきた輪廻の理が崩壊した瞬間でもあった。
十億前に出会った一輪の花。
その花が笑顔でいれることを願い、君に誓った。
『ステラは俺が必ず守る』
ただそれだけだった。
ただそれだけの先に待っていたのは、愛する者の死と世界の崩壊。
それは誓いを守れたと言えるのだろうか。
それは──とても言葉では表せなかった。
それは本当に誰かが求めた答えだったのだろうか。
それは──とても醜いものであった。
それは本当に正しい選択であったのだろうか。
それは──とても苦しい選択であった。
それは本当に彼女の求めた答えであったのだろうか。
それは──とても残酷であった。




