第33話 精神世界の戯れ
メルに体を奪われた瞬間。
あの時、カイトはメルと長い時を語り合っていた。
(……ここは)
見渡す限り続く白い世界。
何もない、そこにあるのは自分の体だけ。
突然現れたその世界は、孤独の恐怖と同時に、柔らかな安堵をカイトに与えた。
(俺は……ステラと出会って、気づいたらここに)
何が起きているのか理解が追いつかないカイトは、冷静に現状を把握しようと辺りを見渡す。
しかし、ただ真っ白いだけの世界で何かを理解するのは少し難題であった。
『久しぶりだな……カイト』
突然の声が後ろから響く。
どこかで聞いたことのある、低い大人びた男の声。
その声の主が誰なのか、カイトの直感は一瞬で理解した。
「……メルなのか?」
ゆっくり後ろを振り返ると、先程まで何もなかった場所に男が立っている。
男の胸元には、十字に光る刻印。
深紅に染めた髪と両目。
色こそは違うが、どことなくカイトに似たその眼は、精悍な光を灯していた。
『面と向かって話をするのは、初めてだな』
何もなかった真っ白な空間は、メルが現れたと同時に色づき始める。
気づけば辺りには自然が広がり、小高い丘の上にカイトは立っていた。
「なっ……急に?! それに、ここは……パルーシャ村?」
『やはり、カイトにとってこの場所が精神の根源となっているようだな。安心しろ、ここはパルーシャ村であるが、そうでもない。カイトの精神が作り出した幻想世界だ』
落ち着いて話をするメル対し、カイトは現状がよく理解できず困惑する。
先程まで戦火の最前線に立っていたはずなのに、辺りを見渡しても自分とメル以外誰も見当たらない。
今もなお戦いが進行していると思うと、こんな場所で悠長に喋っている時間はなかった。
「なんなんだよこれは?! みんなは?! お前の目的は一体?!」
『そう慌てるな。俺と対話する機会なんて二度とないかもしれないぞ? のんびりと話し合おうじゃないか』
カイトの意思はお構い無しに、メルは二つの椅子を作り出す。
片方に腰を下ろすと、お前も座れと指差しをした。
「なっ……ふざけるな!! こんなところで喋っている時間は俺にはない! さっさと元の場所に……」
『……クドイぞ』
突然の殺意がカイトに向けられる。
目を鋭く尖らせたメルの眼圧は、反抗的なカイトの態度を一瞬で黙らせた。
途轍もない圧力になす統べなく、ただ口を開けて放心する。
再びメルが椅子を指差すと、カイトは無意識に椅子へ腰かけた。
『それでよい。初めから素直に座ればよいのだ』
「だ……だけど、本当に時間が」
『時間を気にすることはない。ここはカイトの精神世界だ。この場所の時に命はない。ここでどれだけ時間を費やそうが、現実世界では一秒たりとも時を進めていない』
「時間が進まない? そんな馬鹿みたいな話が……」
『人間の思考では理解できないか? 時間の概念は進むだけにあらず。時にも生命があるんだ。ならば死して止まった時があっても、なんら不思議ではないだろう?』
メルの理解不能な解釈に、カイトは頭を抱え込む。
自分とは全く別の次元で物事を捉えているメルに、共感できるはずがなかった。
『だいたいが、俺の力を使いこなせていないカイトでは、ヴェルモットに勝つことは無理だ』
「……痛いとこを言ってくれるな。確かに今の俺では力不足だ」
『俺も器であるカイトに死なれては困る。前にカイトが死んだ時は無理に再臨してみせたが、何回もあんな無茶が成り立つわけではない』
ホルスによって殺された時の記憶が過る。
あの時は結果的に生き返ることができたが、メルの言う通り、あんな無茶苦茶が都合よくできるはずがないと納得した。
「だったら……メルは俺に力を貸してくれるのか?」
率直かつ安直な質問であった。
そもそもが、メルはカイトの身体を依り代として再臨をしようとしている。
力を貸して欲しいといった願いは、自らの身体を差し出すといったのと同意である。
『……そうだな、条件がある。力の使い方を教えてやる変わりに、一度だけ俺の好きなタイミングで身体を入れ替われ』
「一度だけ? その後は俺に身体を返してくれるような言い方だな」
メルは額に手を当てると、少し困ったように事情を説明した。
『そうだ。俺とカイトには、想定外な道で繋がりができているようだ。原因は前に再臨したことだろう。本来あの時は、俺が再臨する正確な時ではなかった。無理矢理に再臨したことによって、カイトとの間に道が残った。その道を辿れば、カイトは俺と再び入れ替わることができるみたいだな』
「俺を助けるために再臨したことが、まさか自身の首を絞めることになるなんてな。それにしても、わざわざそれを俺に教える必要はなかったんじゃないのか?」
『教えなくても、カイトは無理矢理に俺と変わろうとするだろ? それなら素直に教えてやった方が俺も動きやすい』
カイトは少しだけ頭を悩ませたが、結局は力がなければ何も変えることはできない。
いま頼れるのがメルしかいないのであれば、その条件を飲むのが一番だと判断した。
「……分かった。それで構わないから、俺に力の使い方を教えてくれ」
『いいだろう、これで制約は成された』
メルが目を閉じると、一瞬だけ胸の刻印が光り、カイトに向けて糸のような細い光が走る。
その光りはカイトの胸に当たると、何事もなかったように消えてなくなった。
「なんだ……?」
『まぁ気にするな。それでは約束通り、力について教えてやろう。まず第一に、人間たちは根本的に勘違いしていることがある』
「勘違いだって?」
メルは分かりやすいように、目の前に光で一から九までの数字を描く。
『人間たちが呼ぶ【王喰】。それの本当の呼び名は【喰らい歌】という』
「喰らい歌。確か、パーミリアは神喰らいのとかって言っていた気がするな」
光で作った数字に向かってメルが手をかざすと、その数字は複雑に変化し、より細かな情報を表示する。
『喰らい歌には、九つの旋律がある。真創具を使うことによって何とかその力にたどり着いている人間たちは、せいぜいが一段階目である壱開ってとこだろう』
メルが説明を始めた、喰らい歌の旋律。
片目が創遏の色に染まり始める壱開。
それよりも色が濃く変化する弐景、参歩。
クロエやロランが普段使っているのが、この弐景にあたるという。
そしてヴェルモットが初めに使った、両目を染める肆倫。
伍閂、陸経と続き、ここを超えてくると、その瞳には十字の刻印が浮かび始める。
漆灘、捌登、玖畢と最終段階まで力を使いこなすことにより、初めてそれは【神喰らいの歌】と呼ばれるものに進化を遂げる。
『人間たちが喰らい歌を何と呼ぶか、それは自由だ。だが覚えておけ。歌とは、感情を込めて声をだすことではない。歌とは、旋律を奏でることによって生まれる強大な力のことだ』