第24話 黒深き罪人
ヴェルモットが創遏を高めると、溢れる力が紅色の空を更に濃く染める。
大口を開き巨大な牙を剥き出しにすると、激しい咆哮と共に衝撃波を放ち、弐王へ襲いかかった。
「くるぞクロエ!!」
鼓膜を引き裂くかのような咆哮は、三半規管に直接振動を与え、耳鳴りと同時に激しく平衡感覚を狂わせる。
並の戦士ならばそれだけで気絶してしまいそうな力であった。
しかし、弐王は咆哮による衝撃波を真っ向から受け止めると、クロエの合図で反撃を開始する。
「ロランッ! 右だ!!」
「任せろ!!」
瞬時に左右へと展開すると、左側面に移動したクロエは長々と伸びた胴体に向かい黒刀を振りかざす。
それに合わせるように、ロランはクロエと反対側の位置で純白の大剣を振り落とした。
二人の剣が同時に胴体を捉える。
ロランの大剣は、何とか切先だけが強靭な鱗を貫通し、うっすらと傷をつける。
一方、クロエの黒刀は軽々と鱗に弾かれ、その振動で刀を握る手を震わせるだけであった。
「ぐぅ……なんだこの鱗。固いなんてもんじゃねーぞ!」
「全くだ。さっき創成の真髄とやらを覚えたっていうのに、がっかりさせてくれる」
二人の斬撃を避ける素振りすら見せずに受けたヴェルモットは、高笑いをあげながら金色の瞳を緩ませる。
「グエリアスの大剣はたいしたものだ。肆倫開放をしている我の皮膚に傷をつけた、十分に評価できる。だがエルファーナ、貴様の黒刀はなまくらも同然だな」
余裕のヴェルモットに対し、少し眉間に皺を寄せたクロエは、おもむろに剣をしまう。
黒く染まった隻眼をより深く染めると、両拳に創遏を集中する。
創遏が黒き灯火のように拳へ纏わりつくと、普段見ることのない真剣な顔つきが、クロエの内に滾る怒りを表していた。
「上等だ……初めから手加減できる相手じゃないことは分かっていた。そっちが余裕かますなら、徹底的に叩きのめすまでだ」
先ほど弾かれた鱗に向かい、クロエが右拳を打ちつける。
あまりの衝撃にヴェルモットの胴体が浮き上がると、そのまま休むことなく両拳で連撃を放った。
「うぅらぁぁぁあぁぁ!!」
流石の猛攻に、ヴェルモットが歯を噛み締める。
遠慮なく攻撃を打ち込むクロエに苛立ちを覚えると、胴体を大きく捻り、一本の腕でクロエを勢い良くはたき落とした。
「クロエ!!」
クロエが流れ星のような勢いで地面に叩きつけられる。
それを目の当たりにしたロランは、すぐに大剣を構え直す。
クロエに向けて振り落とされた腕の根本まで瞬間移動すると、渾身の一振で腕を胴体から切断した。
「ぐぅ……やはりグエリアスの方が上手か。我の腕をいとも簡単に斬り落とすとは」
切断した腕からは、緑色の血が溢れ出る。
しかし、無数にはえている腕の一本を切断した程度では、ヴェルモットの勢いを止めることはできなかった。
「クロエ! 大丈夫?!」
隕石が落ちたようなクレーターに向かい、ティナが走る。
その中央にはクロエが倒れていた。
頭から血を流し、口を開けたまま空を見上げ寝そべっている。
意識があるのかないのか、じっと動かないクロエの元にティナがたどり着くと、すぐさま癒の歌を歌い始めた。
「やめろ。これぐらい大丈夫だ」
「えっ……でも」
クロエはティナの口を人差し指で押さえると、ゆっくり立ち上がり体についた埃を払う。
目の前で静かに闘争心を滾らせるクロエの瞳は、強い殺戮本能に染まり始めている。
王喰の時よりも、ずっと深い黒。
ティナはその黒く冷たい瞳に、とてつもない恐怖をいだいてしまった。
「怖いか? ごめんな。今の俺では、ヴェルモットに勝てない。圧倒的な強者との命のやりとりを忘れかけた、平和ボケのままじゃ駄目だ。久しぶりに流した血が、忘れかけていた俺の本能に呼びかけてくる」
ティナは初めてその瞳を目の当たりにした。
純粋な殺戮本能に支配された、ドス黒い隻眼に染まるクロエ。
ティナがルーインに拐われた時ですら、その瞳に染まることはなかった。
その力を長年使わなかったのは、クロエが自らに課していた戒めであったのだ。
「クロエ……必ず帰ってきて」
クロエが遠くへ行ってしまいそうな感覚に苛まれたティナは、思わずその背を抱き締める。
振り返ったクロエは、ティナの額に口づけをし、優しく笑みを作って答えた。
「ああ……必ず帰る」
そう言い残すと、ティナとの距離をとり大地を蹴りあげる。
一瞬で空高くまで駆けていったクロエの背を見ても、何故だかいつもの勇ましさを感じとれず、ティナは不安で胸が締めつけられた。
一方、ロランは休むことなくヴェルモットの胴体に攻撃を仕掛けていた。
ロランの攻撃に対し、ヴェルモットの鱗が突然震え始める。
皮膚から何重にも重なっている鱗の一部が剥がれ、自我を持った無数の刃のように飛び交うと、ロランへ向けて牙を突きつけた。
「くそがぁぁあぁ!!」
鱗といっても、その巨大な身体から剥がれた鱗は、一枚の大きさがロランと変わらないほどの大きさがある。
それに加え、菱形のような形をした先端部は、触れたものを確実に斬り裂く鋭利な刃であった。
宙を飛び交う鱗を大剣で必死に斬り落とすも、ヴェルモットの創遏が練り込まれた鱗は、切断されたそばから再生し元の形に戻る。
あっという間にロランを囲うと、三百六十度すべての方角から一斉に襲いかかった。
「なかなか耐えるではないか。だが、鱗ばかりに気をとられていては我に勝てんぞ?」
音速で飛び交う鱗を、高速で斬り落とす。
目にも止まらない攻防を繰り返すロランに向かい、ヴェルモットが口を開き創遏を溜め込んだ。
「まずはグエリアス。これで終わりだ」
喉の奥深くから、創遏の収束されたエネルギーが光を放つ。
今まさに、咆哮と共にエネルギー波を解き放とうとしたその時――ヴェルモットの顔が勢いよく斜め上に跳ね上がる。
「ぐぅ……貴様、大人しく倒れておれば良いものを」
ヴェルモットの顔面を捉えたのは、再び戻ってきたクロエの拳であった。
クロエに吹き飛ばされたことにより、ロランを襲っていた鱗の創遏が途切れ、糸が切れた操り人形のように地へと落ちていく。
鱗から開放されたロランは、息を切らしながらクロエに目を向ける。
クロエの瞳の色がいつもより濃くなっていることに気がつくと、目を見開いて大声をあげた。
「クロエ!! その力は使うな!! 戻れなくなるぞ!!」
大声に反応したクロエは少しだけ微笑むと、覚悟を決めた強い眼差しでロランを見つめる。
「ロラン、昔の約束は覚えているな? もしもの時は、お前に任せたぞ」
ロランの返答を待たず、クロエが更に創遏を高め始めた。
深く染まった黒き隻眼は、創遏が高まると同時にその色を両目に広げ始める。
完全に黒く染まった両方の瞳は、ヴェルモットが両目を金色に染めているのと全く同じものであった。
「貴様……まさか、人間ごときが肆倫まで使えるだと?」
クロエの変化に息を飲んだヴェルモットは、ロランに目もくれずクロエと対峙した。
クロエは口から黒い蒸気を吐き出すと、不気味な笑みを浮かべ高笑いする。
「いい気分だ……心が高鳴る。お前を殺せと、騒ぎ立てている!!」
人格そのものが狂人となり始めたクロエは、殺戮本能のままヴェルモットに立ち向かう。




