第17話 鬼と鬼
(ワレヲ……ヨビサマス……カクゴガアルノカ)
ステラが作り出す光が、ゆっくりと姿を成形しながら言葉を述べる。
ただの光の集合体は、生命体へ生まれ変わろうと進化を続けていた。
語りかけてくる言葉を無視し、ステラは生命の産声を歌いながら冷血に光を見据えた。
──セントレイス南部。
この地で猛威をふるっていたのは、六聖マール=ポーロ=ペリリエルである。
すでに何人もの人間を喰らい、その口元は血で染まっていた。
応戦していたラヴァルは、真創具を使い王喰状態になっている。
それでもマールの勢いを抑止することができず、自分の部下達が次々と犠牲になっていく。
「お前は僕ちんに傷をつけた。家畜のくせに、この僕ちんに傷をつけたんだー!!」
両目を黄色く染めたマールは、怒りのままに周囲のものへかぶりつく。
一時はラヴァルが王喰状態に入ったことで優位に立っていた。
しかしマールに傷をつけた途端、暴走しているのではないかと思うほど急激に創遏を高め、目に入るもの全てに嚙みついてきたのである。
「くっ……奴の力は底なしか」
周囲のものを喰らう度にマールの創遏が高まっていく。
戦いが長引くほどに力の差が広がっていくことに、ラヴァルは焦っていた。
「僕ちんは神聖になる器。食べる度に力を増幅させることができる。僕ちんは誰よりも強くなれるのよ!」
獣のように涎を滴し、狂ったように息を荒げる姿は、まさに鬼そのものである。
太古より恐れられ、食欲のままに生きる伝説の魔獣。
ラヴァルから見たマールは、神といった神秘的な存在とはかけ離れていた。
「これが……神なのか? 神とは、人間が崇拝し神話として語り継がれる存在。だが、目の前にいるのはただの化物じゃないか」
目の前の鬼に唖然としたラヴァルは、無意識に一つ瞬きをする。
その一瞬を見極めたマールは、桁外れの速さでラヴァルとの距離を詰めた。
「お前も僕ちんの糧になれ」
マールが大口を開くと、ラヴァルを丸ごと補食しようとする。
疲弊していたラヴァルは、その一瞬に追いつくことができなかった。
「しまっ……」
突きつけられた牙がラヴァルを飲み込もうとした瞬間、一人の男がマールとラヴァルの間に割り込んだ。
マールは躊躇することなくその男にかぶりつく。
右肩から先を喰いちぎられ、噴き出す血しぶきが返り血のようにラヴァルの顔を赤くした。
「リ……ンド……」
咄嗟に割って入り身代わりとなったのは、副長であるリンドであった。
自分の死を覚悟したリンドは、ラヴァルの方を振り返り虚ろな瞳で口を開く。
「隊長……私は……あなたの部下で……良かっ……」
最後の言葉を告げ終える前に、マールが残っていた体を丸飲みにする。
むしゃむしゃと満足げな顔をしながら食事を楽しむマールは、ラヴァルを見ながら笑みを作った。
「次こそあなたの番よ。僕ちんは好きなものを先に食べたいの。こんな貧弱な男より、あなたの方が何倍も美味しそうだわ」
リンドを食べ終えたマールは、四つん這いになってラヴァルに標的を定める。
目の前で隊員を喰われたラヴァルは、呆然と立ち尽くしていた。
「いただきまぁーす!!」
涎を撒き散らしながらマールが飛びかかる。
途轍もない勢いで駆けてきたため、マールがかぶりつくと同時にラヴァルの体が横に崩れる。
一口で丸飲みにするつもりであったが、体が崩れたせいで捕食できたのは左腕だけであった。
「あぁ……美味しい。素敵な創遏だわ。本当は一口で終わらせたかったけど、ゆっくり食べるのもいいかもしれないわね」
綺麗に引きちぎられた左腕から、大量の血が噴き出している。
想像しがたい激痛が襲いかかっているはずだが、ラヴァルは悲鳴をあげるわけでもなく、ただその場でじっと立っていた。
(世界を守る……その為には犠牲が伴う……)
「あまりの激痛で意識を失ったのかしら? それとも恐怖に飲まれちゃった? どっちにせよ、僕ちんが美味しく頂いてあげるわ」
マールが再び四つん這いになり、右足を蹴りあげながら力を溜める。
今にも飛びかかろうと口を開けた時、ラヴァルに起きている違和感に気がついた。
(……? 可笑しいわね。左腕の出血が止まっている)
先程まで暴れ出ていた血がいつの間にか止まり、傷口には蓋をするように皮膚が覆い被さっている。
左腕が欠落していたのだ。
何の処置もせずに傷が塞がるなど、ありえない話であった。
「全てを守ることはできない。世界を守るためには、いつも同等かそれ以上の犠牲がついてまわる」
ラヴァルが顔を上げると、額から頬を伝うように赤い紋章のようなものが浮かび上がっていた。
「あなた……一体なにを始めるつもりなの?」
弱っていたラヴァルの創遏が、瞬く間に膨れ上がっていく。
その上がり方は常識の範囲を越え、明らかに使い方を誤っていた。
「そんな考えもなしに創遏を上げたら、精神と体のバランスが崩壊するわよ? あなた……まさか暴走するつもりなの?」
「俺は……一番隊……隊長だ。世界を守るためなら……この命を犠牲にする」
膨れすぎた創遏は、次第にラヴァルの自我を奪い始めていく。
それでも創遏を高めることに集中すると、力を制御しきれなくなった真創具が破裂した。
「ぐぅ……ぁあ……がぁ……」
苦しそうに胸を押さえていたが、真創具が破裂したと同時に、青色の創遏が渦巻きながらラヴァルを包み込む。
浮かび上がっていた紋章はさらに色濃く染まり、その瞳は真っ白に溶け、口からは蒸気が沸き上がる。
「こ……ろす」
ラヴァルが地を蹴ると、爆風と共にその姿が消える。
マールの目にも写らない速さで間合いを詰めると、残っている右腕をなりふり構わず振り回した。
「ッ?!」
突然視界が歪み、遠く離れた建物まで吹き飛ばされ叩きつけられる。
ラヴァルの拳が頬を直撃し、そのとてつもない威力がマールを圧倒した。
「こ……いつ……」
殴られた頬が変形し、口からはボタボタと血が垂れる。
よろめきながらも体を起こすと、自分に向かって迫りくる男に恐怖した。
「ぐ……がぁ……がぁあぁぁ」
精神が崩壊したラヴァルは、その身体中の血管が浮かび上がり、綺麗な青髪はいたるところが抜け落ちている。
白目に血走った血管がプツプツと切れ、いつしか瞳は赤く膨れ上がっていた。
「これが……人間……? こいつはまるで……」
マールは家畜に恐怖する。
殺戮本能に支配されたその家畜は、まさに鬼であった。
「こ……ろす」
再びラヴァルの拳がマールを捉えると、そのまま馬乗りになってひたすら拳を振り下ろす。
一撃一撃が地をえぐり、マールの体をズタズタに引き裂いていく。
「き……さま……家畜がぁ!!」
マールの腹部が口のようにぱっくりと割れる。
剥き出しになった牙がラヴァルの右腕にかぶりつき、そのままぐちゃぐちゃと粗食音をたてる。
「ぐがぁあぁ!!」
両腕を失くし、攻撃手段が失くなった。
しかしそれでもラヴァルは止まることを知らない。
頭を振りかぶり、額を何度も何度もマールの顔面に叩きつける。
気づけば周囲は血の海ができ、マールは意識なく動きを止めていた。
それでも攻撃を止めないラヴァルから、光が放たれる。
(……シン……シア)
最後に脳裏を過ったのは、自らの意思で犠牲にした愛する女性。
その女性は、悲しそうに涙を流していた。
ラヴァルが空を仰ぐと、白と赤に染まっていた瞳にうっすらと黒が戻る。
「シンシア……すまなかった」
膨れすぎた創遏がラヴァルに収まりきらず、激しい光と共に爆発した。
その力は巨大な光の柱となり、うねりを上げながら周囲一帯を吹き飛ばす。
光が落ち着きを見せた時、そこには何も残っていなかった。
人間も神も、何も残っていなかったのである。