第10話 沈黙と虚無
カシミスの剣がステインに向け振り下ろされたその時、メルトームの後方から強烈な衝撃波が飛んできた。
衝撃波は風を斬り裂きながらメルトームを横切り、カシミスへ一直線に向かっていく。
「くっ……」
カシミスは咄嗟に手を盾にし防御したが、衝撃によってステインから引き離されてしまった。
「なんですかこれは? 姉様、お怪我はありませんか?」
傷は負っていないが、突然の攻撃にカシミスは動揺する。
それに対し、メルトームは慌てる素振りもなく冷静にセントレイスの街に目を向けた。
「あそこですね。小賢しい人間が立っているではないですか」
セントレイス南部にある巨大な病院。
その屋上に、握りこぶしを空へとかざしたグラスが立っていた。
グラスはそのまま上空に浮かび、メルトームとステインの間に立って攻撃体勢に入る。
その顔色は青ざめ、頬は以前よりも痩けていた。
「貴様ら、なにをしているか分かっておるのか? ここはグロース本部が治める街、セントレイスだ。このような無法、許されんぞ」
グラスはメルトームとカシミスを警戒したまま、ステインの横に移動する。
ステインを抑えつけている隊員たちを力で引き剥がすと、その体を支えるように起こした。
「しっかりしろステイン。何を呆けている?」
目を開いたまま動かないステインの背を、グラスが軽く叩く。
しかし、ステインはゆっくりと喉を抑えるだけで、脱け殻のように固まっていた。
「どうした? 何をされたんだ?」
困惑するグラスに向かいカシミスが指を差す。
「無駄ですよ。彼は既に私の口縛りに囚われている。喋ることはおろか、心の中で言葉を浮かべることも叶わない」
「なんだと? そんな無茶苦茶な法遏を聞いたことはないぞ」
「これは法遏ではありません、私の固有能力です。意識の範囲外から私の創遏を浴びたものは、その全ての言葉を失います」
神の力を目の当たりにし、グラスの額は緊張に汗ばんでいた。
巨大な創遏、さらにそれぞれの恐ろしい固有能力。
勝てる見込みはなかったが、それでもグラスは拳を握り込み創遏を振り絞った。
「お前達が神であろうが、セントレイスの平和を脅かす者にグロースは負けられん。俺がお前達を……」
創遏を上げた途端、グラスは苦しそうに咳き込みその場に膝を突く。
その様子を見ていたメルトームは、冷ややかな視線を飛ばしながら口を開いた。
「貴殿のことも良く知っています。前グロース総司令官グラス=フルートル。武道派として有名であり、知力よりも武力をもってグロースを従えてきた」
メルトームはゆっくりグラスに近づくと、指先で舐めるように痩けた頬を撫でる。
「武力にこだわり知力が欠如した、何とも愚かな人間ですね。ここを襲撃する直前、ステラ様はセントレイスに滞在していた力ある者を全て把握しておられた」
咳き込み汗を流すグラスに向かい、メルトームは攻撃を仕掛けることもなくただ話を続けた。
「そして力ある者の名を告げ、それぞれに適任の神々を差し向けた。貴殿がセントレイスにいることは知っていましたが、ステラ様の指示に貴殿の名前はないのですよ」
「何が……言いたい」
メルトームがグラスの額を中指を弾くと、全身に激痛がはしる。
指を弾くと同時に法遏を唱え、体の中の酸素を使い、微量の炎を体内に生成したのである。
「ぐぅ……あがぁぁ……」
内側から燃やされる苦しみに、グラスは叫び声すらもまともにでず、白目をむいて痙攣する。
「貴殿はルーインとの争いで、かなりの無理をしましたね。心臓に重い病を抱えた体に、猛毒の塗られた剣を突き立てられた。その場では気丈に振る舞ったかもしれませんが、貴殿の体はその時から確実に死へと向かっていました」
メルトームは後ろを振り返ると、退屈そうに再び本を読み始めた。
「そんな弱りきった老体が、神々にとって危険であるはずがないでしょう。全く、こんなことも言われなければ分からない。何ともつまらないですね」
カシミスがメルトームに向かい膝まづき、愛しい人を見るように、胸に手を当て微笑みをこぼす。
「姉様。これ以上こんな奴らに姉様の手を煩わせる必要はありません。後は私にお任せください」
「そうですか。それではカシミス、後は任せ……」
メルトームが後始末を任せようとした時、炎の龍がカシミスに襲いかかった。
直ぐ様その龍を剣で斬り裂いたカシミスは、目の前の光景に驚く。
「き……貴様。一体どうやって」
ステインが手をかざし、法遏を唱えていた。
事態の把握が出来ず一瞬の隙を見せたカシミスに、更なる追い討ちがかかる。
グラスの鉄拳が、カシミスの顔面を捉えたのだ。
「ぐぅ……」
勢いよく後方に飛ばされたカシミスは、鼻から吹き出す血を手で抑えた。
「貴様……口縛りで言葉を失っているはずだ……法遏を唱えることなんて。それに、グラスは姉様の法遏で瀕死だったはず」
グラスとステインの瞳には、力強い光が灯っていた。
「言葉を失おうとも、病に蝕まれようとも、俺達の心にはグロースの魂がある。その魂が燃え尽きるまで、俺達は勝つことを諦めたりはせん!」
満身創痍であるはずの二人は、背を伸ばし胸を張って横に並ぶ。
グラスはステインと拳を合わせると、不気味に笑ってみせる。
「ステイン、まだやれるな?」
口から血を流しながら笑うグラスに向かい、ステインは静かに頷いて返事をした。
「そうだ。俺達はグロースの戦士!! どれだけ追い込まれようとも、最後までその身を戦いに注ぐ!」
グラスは両拳に力を込め、ステインは手のひらに創遏を集中させる。
二人は最後の悪あがきを仕掛けようとした。
「姉様! 下がってください!」
カシミスが二人の前に立ちはだかった。
二人の攻撃によってメルトームが傷つく可能性は僅かであったが、その僅かな可能性を消すためにカシミスが盾となり身構える。
しかし、そんな心配はメルトームに必要なかった。
「司りし言霊よ。
授かりし痕跡は永年の力。
苦勉に暮れる歳月の波。
楽勉に奪われる歳月の大波……」
メルトームが天に向かい詠唱を始めると、カシミスの顔色が青ざめていく。
「姉様……それを使うのですか?」
何が起こるか察したカシミスは、逃げるようにメルトームから距離をとった。
「先知れず終わらぬ回廊。
終結の光見えぬ絶望の洞穴。
永年の力携えし時。
己の知を全知に変えん……」
とてつもない創遏がメルトームの周りに渦巻き、強力な重圧がグラス達をその場に拘束する。
「な……なにが始まるのだ」
メルトームの創遏によって体が動かないグラス達は、ただ目の前で起きる事象を見ていることしかできなかった。
「されど言霊によりて苦行滅裂。
永年の知を忘却に閉ざす未墾の蔑み。
無邪気な道楽が天地を変える。
絶望に呑まれよ──虚無の言霊」
詠唱を終えると同時に真っ白な光が広がり、グラス達はそのまま光に飲み込まれていった。




