第8話 知力の暴力者
──セントレイス南部上空。
この場所に転移されたのは、ステインを含む第五部隊員達と、知の女神『六聖』メルトーム=セル=レトームであった。
メルトームは艶のある腰まで伸びた黒い髪を、風に揺るがせる。
スレンダーな体に似合わない、分厚く巨大な本を片手に開き、眼鏡越しに緑の瞳を光らせていた。
「やれやれ。私の相手は貴殿方ですか? 私は知識を得るのに忙しい。私が満足いくような知力を持っていないのなら、今すぐ立ち去りなさい」
ステイン達をチラリと見るや、興味無さそうに目をそらすと、本を読み始めた。
「隊長、どうしますか? ここは下手に手を出さない方が利口な気もしますが」
副長のリー=フーがステインにことづける。
しかし、ステインはメルトームから発する創遏を感じとると、このまま無視した場合の被害を考えた。
「リーや。あやつから感じる異質な創遏が分からぬか? あれは知の女神メルトーム様じゃ。法遏といった概念を作ったといわれる神様。そんな方が、我々の敵として目の前に立っておられるのじゃ。それを放置して立ち去ることが、如何にこの後の戦況に影響してくるか分からぬか?」
女神メルトーム。
その名前を聞くや、リーはとても強い緊張感に縛られ、そのまま生唾を飲み込んだ。
「まさか、あのお方が……メルトーム様? そんな……あぁ……女神様を直接この目で拝見する日がこようとは。隊長……申し訳ありませんが、私には何もすることが出来ません。私は女神様を崇拝しております。女神様に手を下すなど、畏れ多き愚行でございます」
第五部隊はステインを筆頭に、全員が法遏を極めた者達である。
そんな部隊であるからこそ、神話から語り継がれる女神メルトームを崇拝する者が多い。
実際その規模は、メルトーム教といった宗教がある程であり、彼ら法遏を鍛練する者達にとって、メルトームは家族よりも愛すべき存在なのであった。
「お主はメルトーム教徒であったな。確かに、女神メルトーム様は、我ら法遏を使う者にとって敬愛する存在。しかし、いま目の前におるのは、セントレイスを襲う只の邪神じゃ。リーよ、グロースの誇りを忘れるな。セントレイスを脅かす悪声は、何であろうが殲滅するのが我らの役目じゃ」
ステインが杖を構え創遏を集中すると、目の前に三種類の魔法陣を作り、火、風、雷の混合法遏を唱え始める。
しかし、ステインの杖をリーが掴み、詠唱の邪魔を始めた。
「何をするのじゃ!」
「いけません隊長! 女神様にそのような真似を!」
杖を捕まれたことにより詠唱が止まり、魔法陣も消えてなくなった。
ステインは必死に杖を掴むリーを何とかはね除け、咄嗟にその場から距離をとる。
すると、部隊員達が全員メルトームを見ないで、自分の方を見ていることに気がついた。
「なんじゃ……どうしたのじゃ皆?」
隊員達は気が狂ったように同じ言葉を繰り返す。
「女神様に手を出すな。女神様を讃えよ」
まるで意志がないゾンビのようにステインを見つめ、ゆらゆらと歩きながら近づいてくる。
その時、全員の瞳から生気が失くなっていることにステインは気がつき、すぐさま法遏を唱え隊員達を光の鎖で拘束する。
「これは……洗脳されておるのか?」
メルトームは視線を変えることなく、ゆっくりと本を捲りながらステインに言葉を告げた。
「洗脳ではありません。貴殿、少し法遏を使えるのでしょう? 何も分からないのですか?」
何を言われているのか一瞬分からなかったステインであったが、ふと空を見上げると異変に気づく。
メルトームを中心とした半径五十メートル程の雲から、ひらひらと雪が降っていたのだ。
「雪……じゃと? 確かに冬は近いが、まだ雪が降るような暦ではないはずじゃ。一体なにをしたのじゃ?」
立っているのに疲れたのか、メルトームは木でできた椅子を作り出すと、ゆっくり腰かけて再び本を読みながら答える。
「信愛雪。触れた者の愛を、極限まで強めるだけの雪です。貴殿方のことは全て知っています。私に対する強い信仰心、それを極限まで高めただけですよ。つまらない生き物ですね。心を導いただけで、これ程人は容易く変わってしまう」
メルトームは退屈そうに本を読み終えると、ティーカップと紅茶を作り出し、呑気に一人でお茶会を始めた。
「信愛雪じゃと? 儂はそんな法遏を聞いたことがない。まさか、これがメルトーム様の固有能力? それに、何故儂はこの雪に触れても何も感じない」
呆れ顔のままステインを見つめると、メルトームは紅茶を一口飲んでから話し始める。
「貴殿はいくつの法遏を知っているのですか?」
「儂はこれでも大天魔導士の称号を持つものじゃ。現在判明している八千種ほどの法遏は、全て頭の中にある」
「はぁ。思わずため息がでてしまいますね。貴殿方はもっと知力をつけた方がいい」
深いため息をついた後、メルトームは人差し指で一を作り、ステインに向ける。
「現存する法遏は全部で十一万八千四百二種。貴殿が頭に入っていると自慢しているのは、全法遏の七パーセントほど。何とも博識足りえぬ知力ですね」
「なっ……」
「そんな知力では、分からないことがあっても仕方ないでしょう。それにこの雪が貴殿に作用しないのは、貴殿自身が誰よりも自分を好きだということです。貴殿は大天魔導士といった重みのない称号を背負い、周りから讃えられ、その高揚感に浸っている。自分の目に映る世界だけを主観し、現状に満足している。そんな人間から学べることなど一つもない。全く、ステラ様は何故私をこのような下物と共に転移させたのか。その真意は中々の議題になりそうです」
一人で黙々と話を続けるメルトームに対し、ステインは困惑を続けた。
あながち間違ってないメルトームの言葉に、自分がいまどうするのが正解なのか分からず、思考が固まり始める。
そもそも、メルトームが何をしにここへ来たのか。
ただ知力を求めるならば、わざわざ戦場にくる必要などない。
そういった根底の理由すら分からず、ステインは頭を抱えた。
「メルトーム様。あなたは何故ここにいらっしゃったのですか? 儂には、あなた様の目的が理解できません」
メルトームが紅茶を飲み終え椅子から立ち上がると、両手を頭上にかざし創遏を高める。
「分かりませんか? 私が求めるものは常に一つ、知識だけです。本を読むだけが勉学ではない、知識を得る方法とはまた、無数にあるのです」
そのまま詠唱を始めると、セントレイス南部の街が丸ごと闇に飲み込まれていく。
闇に触れた建物は、熱された氷のように熔け始め、そこに残された住民達も、血反吐を吐きながら闇に食い殺されていった。
闇に完全に飲み込まれた物質は、光の玉となってメルトームに集い、そのままゆっくりと吸い込まれていく。
「どうですか? これもまた、知識を得る一つの方法。私の闇に飲まれたものは、知識となって私の中で生きるのです」
「な、なんてことを! 考えるのは後じゃ。今は儂が何とかせねば」
ステインに向かい手を伸ばすと、メルトームは不敵な笑みを浮かべた。
「貴殿に私が止めれますか? 見せて下さい、私を満足させる知力を」




