第20話 月下の来客者
あれから三時間程たったであろうか。
辺りは夜の暗闇に包まれ、家の窓から溢れる光が蛍のように村を照らす。
カイトが上空から自分の家に目をやると、小さな窓からは楽しそうに夕飯を食べている自分の姿が微かに見えている。
その光景をもっと見たいと思うあまり、気づけばカイトは家の側まで近より、窓から食事を覗いていた。
(今日は父さんの誕生日だ。母さんと父さん、三人で食べた最後の食事)
幸せそうに笑う幼き自分は、まるで別人のように見える。
あの純粋で無邪気な笑顔は、まだ恐怖を知らなかったからできたものだろう。
食事を終えた幼きカイトは、昼間にはしゃぎ過ぎたせいか、いつもより早く眠りについてしまった。
カイトが眠ったのを確認した母親と父親は、居間の椅子に座り、神妙な面持ちで話し合っていた。
「あなた、最近色々な場所で不吉な噂を聞くわ……」
「ああ、俺もその噂は聞いている」
カイトの両親が話していたのは、近頃多発している誘拐事件についてであった。
この数ヶ月……大陸の中心にあるセントレイスから外れた小さな村で、女の子供が誘拐される事件が多発していたのである。
その事件はとても不可解で、深夜零時を迎えた時、目の前で眠っていた子供が一瞬で消えてしまうといったものであった。
初めはパルーシャ村から遠くにある村で起きた出来事であったため、さほど気に留めていなかった。
しかし、最近パルーシャ村のすぐ近くにあるベルナ村でそれと同じ事件が起きたのである。
「女の子供ばかりが狙われている誘拐事件。この村には、年頃の女の子といえばナナちゃんだけだわ。あの子は、村の皆の娘みたいな存在。もしあの子に何かあったら私……」
「分かっている、だが俺達ができることは、何も起きないように祈るくらいしかない」
(誘拐事件……? なんの話をしているんだ? パルーシャ村が襲われたのは第五戦争が原因のはずだ。それなのに、戦争の話は全くでてこない。この後に村が襲われるんだぞ?)
カイトは両親の話を不思議そうに聞いていた。
(本当に今日、村が襲われるのか? 俺の記憶には何か間違いがあるのか?)
自分の知らない局面に、カイトの思考は困惑する。
(考えても分からない……そういえば俺はあの時、突然の爆発音にビックリして起きたんだ。それが何時だったなのか覚えてはいない。だけど気づけば村は炎に包まれていた)
肝心の部分はほとんど覚えていない。
それもそのはずだ、当時はまだ八歳。
しかも眠っているうちに始まった出来事である。
どうすれば最善なのか、それを考えても答えが見つからない。
少し考えることに疲れたカイトが空を見上げると、美しい満月が辺りを明るく照らしていた。
(綺麗な月だ……こんな平和な時が、本当にこの後失われてしまうのだろうか)
静寂に包まれた村は、月下の光によって神秘的に彩られる。
あまりにも静かな夜空に、カイトは心を奪われていた。
──しかし、事態は急変する。
月明かりに一つ、急に影が浮かび上がった。
カイトは目を凝らしその影に意識を集中すると、それが人影であることに気がついた。
「人影?!」
遂に襲撃が来たと判断したカイトは、直ぐさま空に飛び上がり、躊躇することなく王創を纏う。
剣を右手に構え、全神経を研ぎ澄ませ警戒体制に入った。
「相手の数は……」
辺りに他の気配がないか確認するも、急に現れた人影以外は何も見当たらない。
一瞬であった。
辺りを警戒するために一瞬だけ月に浮かぶ人影から目を離した瞬間、目の前にいきなり男が現れた。
「っ!? こいつ! いつの間に!」
カイトが男に向かい剣を突きつけると、男はボソボソと独り言を呟きだす。
「異物が紛れ込んでいる……」
男はカイトを見つめ、不思議そうに首を傾げる。
その見た目はとても奇怪であった。
年齢は三十歳前後であろうか。
いや、年齢はどうでも良かった。
「何だよこいつ……人間なのか……?」
カイトが男の姿に戸惑いを見せた。
男は両目を閉じているが、その変わり額に目玉が三つ並び、それぞれが意思を持っているかのように辺りをぐるぐると見渡している。
到底、普通の人間とは思えない奇怪な目玉を見て、カイトは生唾を飲み込んだ。
「お前は、この時間軸に存在してはいけない異物だ……」
先程まで目まぐるしく動き回っていた目玉が、急にカイトへ向かい視線を集める。
「お前には、俺が見えているのか?」
男はカイトを見るや、苛立ちを現すよう唇を噛み締めた。
「あぁ……くそ……バンビーの奴が何かしたな。どこまでも私の邪魔をする」
男の口からバンビーの名前がでたことにカイトは反応する。
バンビーの言っていたことが正しいなら、この男がナナにステラの器としての刻印を与えに来た使者。
未来の神パーミリア=ルー=リーフで間違いないだろう。
「お前が未来の神か? 俺はカイト=ランパード。未来からお前を止めにきた」
男は頭を掻きむしりながら激しく体を震わせていた。
「バンビー……バンビー……バンビー!! こんなことをするのはあいつしかいない! あぁ腹立たしい、何とも腹立たしい。あいつを思い出すだけで虫酸が走る!!」
苛立ちが増すと同時に、男からけたたましい創遏が渦を巻くように暴れ出す。
その膨大な創遏により、先程まで静かな黒に染まっていた夜空が、赤黒く不気味に変化する。
「メル様の器を過去に送り込むとは……あぁ……何とも腹立たしぃ……」
少しだけ落ち着きを見せた男が、突然閉じていた二つの目を開けカイトを睨み付けた。
五つの瞳に睨まれ、あまりにも不気味な気迫に押されたカイトは、無理やり剣を握る拳に力を入れて身構える。
「私はパーミリア、未来の神ではない。私は剥奪された只のパーミリア。ステラ様の器を詮索することしかできない、只のパーミリアだ」
パーミリアが何を言っているのか分からないが、バンビーが話した未来の神で間違いないと判断した。
何よりも、自分が干渉できない世界なのに、パーミリアにはカイトの姿が見えている事実がそれを物語っている。
「こいつをどうにかすればナナを救える……そうなんだよな、バンビー」
一抹の不安を抱えながらも、カイトはパーミリアに剣を向け、戦いの意を主張した。