第19話 先知らぬ幸福
気づけばカイトは小高い丘の上に立っていた。
初めに驚いたのは、自分の姿が幼き頃の姿ではなく、今の姿そのままであったことだ。
そして、目の前に写る景色を忘れたことはない。
周囲を森に囲まれ、中央にある古びた小さな教会が村の唯一の象徴であった。
セントレイスを含む巨大な大陸の東端にある集落、今は無き故郷『パルーシャ村』。
カイトの隣に立っていたバンビーは、静かにその場から消えようとしていた。
「ここからは俺一人でやれってことか? バンビー、消える前に聞いておきたい。なんでお前は俺に救いの手を差しのべる?」
バンビーは今から始まるであろう波乱を待ち望んでいるように、不適な笑みを見せていた。
「君がメルの遺志を持つから、今はそう答えておくよ」
意味深な言葉を残し、バンビーの姿は消えてしまう。
「メルの遺志か……何を考えているのか知らないが、その思惑を最大限に利用してやるよ」
丘を下り、村の入口の前で深呼吸をする。
目の前にある光景は幻なのだろうか。
自分がここで何かをすれば未来は変わるのか、そんな疑念を持ちながら村の門を見つめた。
すると、見覚えのある少年達が目の前を走り抜けていく。
「あれは、ルータスにボッシュ。それにレクター!」
目に飛び込んできたのは、過去の戦争で死んでしまった友人であった。
「おーい! みんなー!」
カイトは少年達に声をかけながら手を振った。
しかし、誰一人とその声には反応を示さず、目の前で仲良く遊んでいるだけであった。
「そうか! この姿だから分からないよな! 俺だよ! カイトだよ!」
懐かしい顔を見て思わず笑顔が溢れたカイトは、一番近くにいたレクターに向かって駆け寄り肩に手を当てようとした。
だがその手は体をすり抜け空をきる。
「えっ? 触れない? どうなっているんだ」
カイトが目の前で困惑していても、まるでカイトの存在がその場にないかのように、少年達は無邪気に駆け回る。
「まてー! 絶対に捕まえてやるぞー!」
現状を理解出来ていないカイトの後ろから、とても聞き慣れた声がする。
聞き慣れたなんてものではない、それは間違いなく自分の声だ。
後ろを振り返ると、幼き頃の自分が走ってきた。
(あれは……あの時の俺だ……)
約十年前、まだ八歳だった頃の自分。
この後に起こるであろう惨劇を知らず、ただ当たり前に今を楽しく生きていた頃の自分が駆け寄ってきた。
「まてー!」
仲間の少年達を追いかけ回す幼きカイトが、自分の体をすり抜けて走り去っていく。
(そうか……これはあの日の……)
過去の記憶が鮮明に浮かび上がってくる。
(あの日、みんなと追いかけっこをして遊んでいたんだ。楽しくて……そんな毎日がとても楽しくて、いつも時間を忘れて走り回っていた)
カイトが徐に目線を村にある小さな教会に向けた。
そこには、小さな少女が一人で花を摘んで笑みを浮かべていた。
(俺はいつも、みんなと遊びながら横目で彼女を見ていたんだ)
カイトは少女の目の前に座り、目線を合わせる。
少女は何事もないかのようにその場から立ち上がり、摘んだ花を両手に教会の中へ入っていった。
「やっぱり、見えていないか。俺はこの世界のものに干渉できないみたいだな」
カイトは立ち上がり、辺りを見渡して状況を再確認した。
「分かってきたぞ、これは間違いなくあの日だ。今日の夜、村が襲われる。この世界に干渉できない俺は一体何をすればいい?」
懐かしい景色に浸っている場合ではない。
バンビーはカイトの行動によってナナの緋色を消せるといった。
未来の神がステラの器を探しにやってくる。
その神を止めることができれば、未来を変えれるかもしれない。
しかし世界に干渉することができない以上、何かが起こるまで行動しようがなかった。
考え込んでいるうちに時間が過ぎ日が傾きかけた頃、相変わらず駆け回っている少年達に向かって声が飛んできた。
「みんなー! もうすぐご飯の時間だよ! そろそろお家に帰らないと! 特に、カイトー! お母さんが探してたよー!」
少年達の足を止めたのは、先程の少女であった。
「ナナ! もうこんな時間かよー! みんなまた明日も遊ぼうぜ!」
少年達は手を振って別れ、幼きカイトはナナの元に向かう。
ナナはカイトの頬を軽くつねり、口に空気を含ませぷくっとした表情で目を尖らせる。
「全く、いっつも時間忘れて遊び回ってるんだから! 今日はお父さんの誕生日でしょ? お母さんのお手伝いしてあげないと」
「いけね! そうだった! ありがとうナナ! すぐ家に帰るよ」
ナナに別れを告げ、幼きカイトは急ぎ足で家路についた。
その後を追うようにカイトも自分の家の前にたどり着く。
幼きカイトが玄関を開けると、目の前には女性が腕を組み仁王立ちしており、怒りを露にしていた。
「カイト!! いつまで遊んでるの! ご飯の準備で手が離せなかったから、ナナちゃんが変わりに呼びに行ってくれたのよ!」
「ごめんってー! 怒んないでよ」
カイトと同じ茶色い髪に茶色い瞳。
怒ると鬼のように恐ろしく、笑うと天使のように優しく、自分が落ち込んでいると誰よりも力強く支えてくれる。
何より、隣にいるだけでとても暖かい存在。
(母さん……)
十年振りに母の姿を見たカイトは、無意識に涙を流していた。
「もうすぐお父さん帰ってくるのよ! 早く誕生日の準備手伝って!」
「分かった!」
家の中に消えていく二人を他所に、カイトは熱くなった目頭を抑えその場に座り込んでしまった。
(母さん……俺が、俺が必ず救ってみせるから……)
少しだけ涙を流したカイトは、パンッと自分の頬を叩いて気合いを入れる。
空を飛び、村の全体が見渡せる高さに上がると、意識を集中して辺りを警戒した。
(今日なんだ……今日、俺の人生が変わった。あの日に何が起きたのか分からないが、俺が絶対に止めてやる)