第16話 真創具
目に写るのは、業火に飲まれる人の欲望。
鼻に香るのは、焦げる悪臭と血の蒸気。
耳に響くのは、無数の亡骸と臓の脈。
手に触れたのは……震える心と無力な己。
(やめてくれ……)
(俺達は何もしていない……)
(何で俺達から奪うんだ……)
小さな少年は少女に手を伸ばし、それだけは奪われまいと必死に包み込む。
ただ泣き叫ぶ少女は、少年の温もりを感じると徐々にホロホロと自壊を始めだす。
「助けて……助けて……」
消え行く少女の体を必死に掴もうとするが、その手が掴むのは無であった。
「何で……何で……助けて……」
少年は少女の呼び声に必死で応えた。
彼女だけは守る。
そんな儚き願いもまた──人の欲望。
消え失せんとする少女が振り返ると、その瞳は緋色に染まり、血の涙が滴り落ちる。
その姿に少年が感じたものは、虚無の悲痛。
「何で……何で助けてくれないの? カイト……」
──歌姫の泉から帰還して三日。
あれから、カイトは毎日同じ夢を見ていた。
自分の過去が語りかけてくる。
それは今でも忘れることが出来ない純粋な恐怖。
あの時の現実と違うことといえば、その夢の中に出てくるナナは、瞳を緋色に染めていたということだった。
(……またこの夢か)
三日も同じ夢を見れば少しは慣れてくる。
特に慌てることもなく、ベットに横たわったまま静かに天井を見つめると、心が涙を流す。
(俺は……どうすれば良かったんだ……)
過去と向き合うと、自身の無力が良く分かる。
幼き時、大切な女性を守ると誓ったはずなのに。
その人は緋色に染まってしまった。
(なんで、俺達なんだよ……)
自分達に押し寄せる悲劇がとても憎い。
何故自分が、なんで他の人じゃなく俺達が。
そんな身勝手な世界の濁流に、カイトは身勝手な答えで歯向かうことしかできなかった。
「おはようございます」
居間までやってきたカイトは、朝食をとっていたクロエとティナに挨拶をする。
そこにナナの姿はなかった。
「おはようカイト君」
ティナが挨拶を返すも、重たい空気が食卓を悲観に包む。
歌姫の泉から戻ってナナは自分の部屋にこもってしまい、まともに食事をとっていなかった。
毎日カイトが部屋の前で呼び掛けるも、部屋から返ってくるのは「ごめん」の一言である。
「カイト、お前達の気持ちはお前達にしか理解できない。俺はこんな時に軽率な励ましをしたくはない。自分で何とかしてみせろ」
「はい。分かっています」
クロエが言いたいことは理解している。
今の自分達を変えることができるのは、他の誰でもない、自分達なのだ。
そんはことは分かっているが、行き止まりに阻まれた心は理解を否定する。
「カイト君。こんな時になんだけど、エルマンさんがカイト君に研究室まで来てほしいといっていたわ。ナナちゃんは私達が見ておくからグロースまで行ける?」
エルマンがカイトを呼ぶ理由は、きっと女神の涙について何か分かったのだろう。
もしかしたら自分が一歩先に進む手掛かりが見つかるかもしれないと淡い期待を胸に、カイトはグロースへ向かった。
──グロース研究室。
「カイト=ランパードです」
グロース中央にある厳重に警備された扉の前で、カイトは自分が来たことを主張する。
ゆっくりと扉が開きカイトが中に入ると、白衣姿のエルマンが立っていた。
「エルマン隊長、俺に用があったみたいで。遅くなってすみませんでした」
カイトは軽く頭を下げ、物珍しそうにエルマンを見つめる。
いつも重厚な鎧を纏っているため、白衣姿のエルマンには違和感しか感じなかった。
「カイト君! わざわざすまないね。君を呼んだのは女神の涙の解析が進み、王喰を発動させるための試作品ができたからだ」
エルマンが銀色に光る指輪をカイトに差し出した。
その指輪の中央には、小さく加工された女神の涙が淡く輝いており、美しいフォルムは見る者を魅了する。
「これが試作品ですか。それにしても何で俺に?」
「まぁ、少し話そうではないか」
椅子に腰かけたエルマンが、カイトにも座るよう促した。
目の前には温かい紅茶が用意され、エルマンはそれを一口飲んでから再び話し始める。
「まず初めに、私達は女神の涙から作られたこの指輪を『真創具』と名付けた。前にも少し話したが、真創具は装着した者の任意で王創を喰らい、女神の涙一点に収束させることができる。その収束された王創が指輪から再び体内に戻ることにより、王喰を強制的に発動させるんだ」
カイトは右手の人差し指に真創具をはめてみた。
それだけでは何かが変わったわけではないが、なんとも不思議な感覚が指輪から伝わってくる。
「指輪を意識して、軽く創遏を高めてくれないかな?」
エルマンの言う通りにカイトは集中する。
すると、高めた創遏が指輪に吸いとられていく感じがした。
「不思議な感じですね。自分では創遏を高めているのに、体には何の変化も感じとることができない」
「それでは、そのまま指輪から意識を外してくれ」
カイトが創遏を維持したまま指輪から意識を外す。
その時、凝縮された自分の創遏が一瞬で体を駆け巡り、いつもの何倍もの質の高い創遏を感じとることができた。
「こ、これは……凄い」
驚くカイトを見て、エルマンは得意気に笑顔を見せた。
「素晴らしいだろ? ただの創遏を高めただけでこの効果だ。これが王創ならば、疑似的な王喰に変化を遂げるもの納得がいくだろう。まだ今は量産出来ていないが、近いうちに全ての隊長達の分だけでも作りだしてみせるよ」
「まだ一つしかできていないのですか? そんな貴重な物を俺が受け取ってしまっては……」
カイトが指輪を外し返そうとするも、エルマンは首を横に振ってそれを拒否する。
「それはカイト君が使ってくれ。それに、あくまでそれは試作品だ。まだ実戦で使うにはデータが乏しい。正直な話をすると、歌姫の泉で女神の涙と共鳴したカイト君にデータを集めて欲しいんだ」
「そういった話ですか。分かりました、それなら俺がしばらくつけておきます。何かあればすぐに報告にきますね」
承諾してくれたカイトの手を握り、エルマンは満足げに頷いた。
しかし、カイトの本音はあまりいい気分ではない。
間接的とはいえ、女神の涙が原因でナナの瞳が緋色に染まった。
本当は断りたい話である。
しかし、ナナの瞳を戻す手掛かりを見つけることができるかもしれない可能性が少しでもある以上、不本意だが指輪をつけることを承諾したのであった。
「それじゃあ、今日は帰ります」
エルマンに別れを告げたカイトは一人帰路を歩く。
夕焼けが背を照らし、複雑な思いの心を勇気づけていた。
セントレイスの街を抜け、指輪のことが頭から抜けだした頃だった。
突然、指につけていた真創具が光を放つ。
「な、なんだ急に?!」
光だした指輪に驚いたカイトは、咄嗟に辺りを見渡し誰かいないか確認した。
周囲には誰もおらず、カイト以外にこの事態を把握するものはいない。
「くそっ! どうなってるんだよ!」
一人困惑するカイトを余所に、指輪の光が強さを増していきカイトを包み込む。
夕暮れの薄暗さが昼間のように照らされる。
光が次第に弱まり輝きが落ち着くと、その場にカイトの姿は失くなっていた。




