第13話 緋色に染まる
森は動物の鳴声はおろか、鳥の囀りさえなく、不気味なまでに静寂であった。
近寄るものを吸い込むよう、開けた一本道がカイト達を歌姫の泉まで誘いで行く。
「なんて静かなんだ……前に来た時も静かな場所のイメージはあったが、これ程に無音ではなかったはずだ……」
カイトは辺りを見渡し、異常なまでに静かな森に警戒する。
不安に思うのはその静けさだけではない。
入り口でナナとクスハが感じた声が気がかりであった。
そのままの静寂を保ったまま、一同は歌姫の泉へとたどり着く。
そこは以前来た時と同様、特に変わった様子はなく、ただ何となく不思議な感覚を肌で感じ取ることしかできなかった。
美しく青に煌めく湖にナナは心奪われ、無意識に泉の水を両手で救い上げる。
「何て綺麗な泉なの……」
ナナがこれ程なにかに夢中になるのはとても珍しい。
泉についた途端、何かにとりつかれたようにナナが泉に執着心をみせていた。
「ナナ……? どうした? 何か感じるのか?」
カイトがナナの肩に手を当てようとすると、ナナは泉に見入ったままそれを強く振り払う。
ナナの突然な行動にカイト達は驚き、一瞬固まってしまった。
「……ナナ?」
カイトが恐る恐る声をかけると、ふと我に返ったナナが焦って口を開く。
「ごめんごめん! 私……こんな綺麗な泉初めて見たから興奮しちゃったみたい!」
ナナの明らかな挙動不審にカイトは不安を覚えつつ、調査作業が開始された。
エルマンはカイト達に水質調査をお願いすると、おもむろに服を脱ぎ、下着姿になる。
急に厳つい男性が服を脱ぎ出すものだから、クスハとナナは目線のやり場に困りエルマンを視界から外した。
「ごめんよ。こんなオッサンの裸体なんて気分のいいものではないね。私は泉の底まで潜ってくる、他の皆は水面の調査を行ってくれ」
エルマンは深く息を吸い込むと、勢いよく泉に飛び込み潜水する。
あっという間にその体は見えなくなってしまった。
カイトの経験的に、泉は直径約百メートルに対し、深さはだいたい二十メートルはあるそうだ。
その深い底は泉の青さに染まり、水面から水底の様子を伺うことは出来なかった。
「カイトは泉の中に吹き飛ばされた時に、いったい何を見たの?」
クスハは初めて泉に来た時のことをカイトに問いかける。
「あの時はネルチアと交戦中ってのもあって、そこまでしっかり確認したわけじゃないんだけど。水底にキラキラ輝く水晶を見たのを思い出した。独特な尖った形をした水晶だ。蓮晶湖にあった巨大な水晶に比べたら圧倒的に小さいけど、全く一緒の形をしていたんだ」
カイト達が喋りながら水汲み、ステインが薬品のようなものを混ぜ合わせる。
次第に青い水がうっすらと赤に変色をすると、ステインは一人納得するように軽く頷いた。
「これは何の薬なのですか?」
その様子をじっと見ていたカイトは、ステインに質問を投げる。
「これは検査薬じゃの。エルマ細胞を含んだ水分にこの薬品を溶かすと、赤く変色するのじゃ。やはり前に調べた時と同様、うっすらと赤く色づいたのぅ」
「ということは、やはり泉にはエルマ細胞を含んだ水晶があるということですね?」
ステインは首を横に振り、カイトの答えに異論を唱えた。
「いや、それならばもっとハッキリと赤く染まるであろう。これ程うっすらと赤くなる程度であれば、この周囲の土質に微弱なエルマ細胞が含まれており、それが溶け出していると考えるのが一般的じゃ」
カイトはステインの答えにあまり納得できず、腕を組み思考を凝らす。
自分が見たものは見間違いだったのであろうか。
確かに、過去の記憶が都合の良いように頭の中で書き換えられているのかもしれない。
それでも、直感的に感じた自分の勘を疑うことができなかった。
そうこうしていると、泉に潜っていたエルマンが勢いよく水面から顔を出し、カイト達の元に戻ってくる。
「エルマンや、どうじゃった?」
エルマンの右手には拳ほどの大きさの岩が握られているが、それはとても水晶と呼ぶには程遠い土の塊のようなものであった。
「いや、ダメだ。一番深い所まで潜ってはみたが、青に染まって視界は悪く、水底にあったのはこの変哲もない岩だけだ」
「やはり女神の涙ではなかったのぅ……」
一同はエルマンの持ってきた岩を見て、期待を裏切られたような失望感が押し寄せてくる。
「そんな……俺の見間違いなのか? いや、そんな筈はない!」
ステインとエルマンが残念そうに項垂れていると、納得がいかなかったカイトは自ら泉に飛び込んだ。
(俺は確かに見た筈なんだ……)
自分に言い聞かせながら水底を目指す。
青く染まり先の見えなかった泉が、カイトの存在を認識した途端、キラキラと光を放ちだした。
何かを待っていたかのように、泉がカイトを受け入れていく。
「何が起きているの……?」
カイトが水中に潜った途端に泉が強い輝きを放ち出し、その眩さにナナ達は圧倒的されていた。
その後すぐカイトが水面に浮上し、右手を掲げ声をあげる。
「あった! ありましたよ!!」
カイトの右手には、美しく青に染まる水晶が握られていた。
それを見てエルマンが目を見開いて驚く。
「そんな……私が潜った時にあんな物はなかった。泉が人を選んだというのか?」
カイトが泉から上がり、皆に見えるように水晶を差し出す。
水晶は妖艶な輝きを放ち、自らを誇張していた。
「カイト君、私はこれ程に光輝く水晶を見つけることが出来なかった。この泉はもしかしたら意思を持ち、人を選んでいるのかもしれない」
クスハはエルマンの言葉に対し、自分の考察を加える。
「これは泉の意思ではないと思います。きっと泉に根づくステラの遺志が、カイトさんの持つランパードの遺志に反応したのではないでしょうか」
クスハの推測は説得力の塊であった。
そこにいる全員がその考察を納得し、泉に目を向ける。
気づけば先程までの輝きがなくなっており、泉は不気味な静けさを取り戻していた。
「それにしても、女神の涙が見つかって良かったね。これでグロースの研究が飛躍的に進むことになるよ」
ナナがおもむろに女神の涙に触れると、水晶は突然鋭く光を放ち、辺りを白い閃光が包み込む。
当然の光に思わず全員が目を瞑り、光が収まりをみせるまで視界を奪われていた。
「え……そんな……」
光が収まると同時に目を開けたクスハが一つの変化に気づき、体が恐怖で震え上がる。
クスハが目の当たりにしたのは、緋色に瞳を染めたナナの姿であった。