結婚願望と世間体
憧れの素敵なお姉さん
そんな言葉がとても似合う
最初の出会いは、僕が高校三年生の三学期
就職の為の会社説明に、彼女と所長が学校に来た時だった。
「誰? あの人?」
「何で、工藤に会釈したの?」
「あぁ、就職する会社の事務員さん」
「ちょー美人じゃん!」
「羨ましい!」
当時はまだ、バブル景気の名残で、企業は人員確保の為に必死で、超売り手市場だった
通常、就職組は冬休み前には就職先が決まっていて、三学期に入っても就職が決まっていないのは僕一人になっていた。
…と言うのも僕は、最後の最後まで進学を希望していた為、全く就職活動をしていなかったのである
「工藤、ちょっといいか?」
「はい」
担任の飯山先生
言われる事は分かっている
商業高校の僕らは、卒業生の95%が就職で、残りが進学
今の時点で進路がきまっていないのが、僕一人
「就職の募集が来たんだが…」
「はい」
「正直、これから大学進学はもう無理なのは分かるな?」
「はい」
「これから、進学となると、専門学校か浪人するか、そのどちらかだ!」
「はい」
「浪人と言っても、商業高校と普通科の学校では全く学習内容が異なるから、相当、努力しないと合格は難しいだろうな…」
「はい」
「工藤はどう考えてるんだ?」
「…」
「ここな、機械部品の営業募集なんだけどな、一部上場企業で、お前の先輩も二人勤めている」
「この時期に募集がくる、一部上場企業はまずないし、悪い話ではないと思うが、考えてみないか?」
「はい」
「一度、話を聞いてみたいのですが…」
「そうか、じゃあ、先方に連絡してみるな」
「初めまして TNT株式会社 営業所長の岩本と申します」
「初めまして TNT株式会社の坂西 静代と申します」
「初めまして 工藤 恵人と申します」
「よろしくお願い致します」
「私達、TNT株式会社は国内2位の販売実績を誇り、全国に支店を構え、海外にも…」
(坂西さんって言うのか… 大人の女性のいい匂いだな… 何歳なんだろう…)
「機械の事とか、よく分かりませんが、どうぞ、よろしくお願い致します」
こうして、僕の就職が決まった
坂西静代 26歳
同じ高校の8歳年上の先輩
見た目だけなら、22歳と言ったところ
人気グラビアアイドルに似てる美形だ
就職してから4年、それなりの恋愛遍歴を経てきたが、年上の女性と付き合ったことはなかった
坂西さんに憧れはあったが、きっと彼氏がいるんだろうなと思っていたし、8歳の年齢差もあり、相手にしてもらえるなんて思えなかった…
地方都市に住む僕にとって、ミュージカルや演劇公演とかは、東京の話、と言った感じで、ほぼ縁がない世界だった
一度だけ、埼玉支店の後輩の女の子に誘われて、青山にアニーを観に行った事があった
それから少し興味が湧いたが、特に何かを見に行ったことは無かった
「坂西さん、坂西さんって、なんか、演劇とかミュージカルとか、そう言うのって興味あったりしますか?」
「そーねー 無くは無いけど」
「大人になってから、観たことは無いかな?」
「ほら、小学校の時って、体育館で、劇団が来て、やっていたでしょう?」
「やってましたね 毎年、同じ演劇でしたけどね…」
「それくらいかな…?」
僕らの地域では、県内の劇団が毎年、小学校を巡回して、演劇公演を行っている
但し、公演内容は毎年同じで、高学年になると新鮮味も、興味も無くなってしまう
「もし、良かったらなんですけど、再来週の土曜日に文化会館の大ホールで、そう言うのがあるんですけど…」
「一緒に行きませんか?…なんて思ったんですけど…」
「うーん 私でいいの?」
「工藤君、若いんだから、若い人と行けばいいのに…」
「いや、あの、坂西さんと一緒に行きたいかなーって、思ったり…してみて…」
「ちなみに、何ていうの?」
「ガラスの動物園ってやつで」
「人気女優のあの人とか出てて…」
「そーかー、どうしようかなー」
「なんか、オバさんが、若い男の子たぶらかしてるみたいで、ちょっとアレじゃない…?」
「いやっ、そんな事無いですよ! 坂西さん、全然若く見えますし、服装とかも若くて、そんなオバさんなんて見えないし…」
「うーん、それじゃ、行こうかな!」
「ありがとう ございます!」
「私、こう言うの初めてだから、少し緊張するね」
「僕なんて、こんなラフなので来ちゃって、服装、間違えたかな?って…」
「大丈夫だよ」
「そうですかね…」
「始まるよ!」
(前にも、こう言う感情、あったな…)
(やっぱり、女性と二人でこういう所に来ると、手、繋ぎたくなるな…)
(なんかな… 聞くのも… 思いきって!)
隣に座る坂西さんの左手にそっと触れる
(…手、逃げないな…)
彼女の太ももと、その上に置かれた左の手のひらの間に、僕の右手を滑り込ませる…
緊張はマックスだ
怒って帰られても仕方無い
一瞬、彼女の左手がほんの数ミリ上に動く
(やっぱりダメか…)
その後、すぐに彼女の5本の指は、僕の震える5本の指を優しく包み込んだ…
真っ直ぐ、舞台を見つめたままで…
ブザー音と、終演のアナウンスが流れる
出口へ向かう人の群れ
自然と離れる、二人の手
お互いにその事には何も触れない
「坂西さん、良かったら、この後、食事でも…」
「うーん、ごめんね、今日は帰ろうかな」
「…そうですね」
「でも、楽しかったよ 今日は誘ってくれて、ありがとうね」
「あっ、こちらこそ、付き合ってくれて、ありがとうございました」
「じゃあ、気を付けて、帰ってね!」
「あっ、坂西さんも 気を付けて」
「また、来週ね!」
「はい また来週…」
(勝手に手を繋いで、すいませんでした…)
(月曜日、どんな顔して会えばよいのだろう…?)
特別、何事も無かった様に数日が経過したが、僕の中で、このままではいけない!と言う思いが沸々と沸き上がっていた
僕から誘って、僕から手を握って、何も無しって訳にはいかないだろう!
「坂西さん! この前は勝手な事をして、すいませんでした」
「気にしないで、大丈夫だよ」
「そう言われても…」
「大丈夫だよ」
「あのっ、お詫びと言っては何なのですが、今度、食事に…」
(この前はそのまま帰ってしまったし)
「何でも、好きなもの、ご馳走しますので!」
「えー じゃー プリンセスホテルのディナーとかおねだりしちゃおうかな…?」
「はいっ!」
「坂西さん、いつなら都合、大丈夫ですか?」
「じゃあ、金曜日にしようか?」
「次の日、休みだと気楽だしねー」
「お酒も頂いちゃおうかな~?」
「もちろんです!」
「じゃあ、今度の金曜日で!」
「工藤、なんだ~? 随分、今日はめかし込んでるな? デートか?」
もう一人の先輩、高野さん 元剣道部 有段者
高校の4歳上の先輩で、酒にだらしなく、仕事も適当な感じで、チャラチャラしているが、何故かお客さんからはとても信頼があり、取引先の担当者の結婚式に呼ばれたりする
「違います いつもと同じです!」
「じゃあ、今日は飲みいくぞー!」
「今日すか…?」
「なんだ? 先輩に逆らうのか?」
「いいえ、お供します!」
「よしよし」
「坂西さん、どうします?」
「私は予定があるので遠慮します」
「坂西さん、デートですか?」
「違います!」
当時は今の様に〈~ハラスメント〉などと言う言葉は存在せず、上下関係は絶対!と言う風潮だった
当然、「今日は坂西さんと食事にいくので」なんて言った日には、何をされるか分かったもんじゃない…
営業所唯一の女性で、美人な先輩で誰もが憧れていたが、誰も声をかけられない そんな存在
高野先輩とのやり取りを、キーボードを叩きながら聞いていた坂西さんに、アイコンタクトで「ごめんなさい」を伝え、仕事に戻る
顔色一つ変えずに、キーボードを叩き続ける坂西さん
(…明らかに怒っている…情けない…俺)
「お先に失礼します」
「あっ、坂西さん、お疲れ様…でした…」
「お疲れ様!!」
(やっぱり 怒っている… 私服、いつもよりお洒落だもんな…)
「坂西さん、金曜日はすいませんでした」
「約束あるって、言えなくて…」
「気にしていないので、大丈夫だよ」
「すいません」
「いいえー」
「それで、坂西さんが大丈夫な日があれば、今度こそ、お願いしたいんですけど」
「私は大丈夫だけど、工藤君が…ねぇ」
「次は絶対に大丈夫です!」
「どうかな~?」
「じゃあ、今日は?」
「今日は…ねぇ… 考えておくね」
「はい!」
「工藤君、やっぱり、今日はやめておくね」
「週末なら、いいわよ」
「はい、じゃあ、今度こそ金曜日で!」
「期待しないで、待ってるわ♪」
「かんぱーい」
「今日はコースで予約してるので」
「大丈夫? ここ安くないでしょう?」
「大丈夫です 先週の償いもあるので」
「じゃあ、遠慮なく、頂きます」
「演劇、どうでした?」
「うん、楽しかったよ」
「やっぱり、女優さん、綺麗だよね」
「そうですね…」
(坂西さんの方が綺麗ですが…)
「ごちそうさまでしたっ」
「お肉、おいしかったー」
「いえ、こちらこそ、付き合ってもらって、ありがとうございました」
「ちょっと、ああいう雰囲気のレストランだと、あまりお酒飲めないね~」
「坂西さんさえ良かったら、もう一軒、どうですか?」
「工藤君、電車大丈夫?」
「大丈夫です タクシーで帰るか、適当なビジネスホテルに泊まるので」
「じゃあ、もう一軒、行こうか!」
「はい!」
「酔っぱらっちゃったね~」
「坂西さん、ペース早いから…」
「工藤君は?」
「僕もかなり飲みましたんで」
「今日はどこか近くのホテルに泊まります」
「坂西さん、帰り、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ~」
「坂西さん、けっこう酔ってますよ」
「坂西さんって、何処に住んでいるんですか?」
「タクシー呼びますよ」
「わたし~ 駅の近くだよ~」
「じゃあ、送りますよ! 危ないので」
「ありがとう~」
「ここでいいよ~」
「このマンションだから~」
「分かりました 今日はありがとうございました」
「おやすみなさい…」
「工藤君~ 飲み足りないんだけど~」
「坂西さん、大丈夫ですか? けっこう飲んでましたよ」
「大丈夫~ もう少し飲もうよ~」
「じゃあ、もう一軒行きますか?」
「あがっていきなよ~」
「でも…」
「大丈夫だよ~ お酒あるから~」
「じゃあ、ちょっとだけ」
まさか、坂西さんの部屋にあがれるとは、夢にも思わなかった
大人の女性の部屋
綺麗に片付いている
いい匂い
「座ってて~ 今、お酒持って来るから~」
「坂西さん、かなり酔ってますよ! 本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫 大丈夫~」
「ワーッ」
「どうしました?」
「お酒、こぼしちゃった~」
「あー、これ、タオル借りますね」
「服、染みになっちゃいますよ!」
「わたし、シャワー浴びちゃうから、工藤君、先に飲んでて~」
「僕、帰りますよ…」
「いいから~」
こんなにドキドキする事があるだろうか?
憧れの先輩と食事に行けただけでも嬉しいのに、彼女の部屋にあがって
しかも、その彼女が今、シャワーを浴びている
(もう、我慢出来ない…)
「坂西さん!」
「なんで 工藤君が裸で入って来るの~」
「坂西さん! 僕、坂西さんが好きです」
「僕、もう我慢出来ません!」
「工藤君、エッチなんだから~」
「そう言うんじゃなくて、本当に好きなんです!」
そう言って、僕は裸の坂西さんを背中から抱きしめた…
「ちゃんと洗ってからね~」
「工藤君、こっち向いて、洗ってあげる」
「はっ、はい」
「工藤君、大きくなってる~ 気持ちいいの~?」
「だって、俺、坂西さんの事好きで、デート誘って、食事誘って、こんな風にしてもらって 嬉しくて」
「工藤君、あがろう」
「坂西さん 俺…」
「いいよ おいで…」
こうして、僕は憧れの坂西さんと8歳の年齢差を越えて、付き合うことになった
「坂西さん、今度の連休にハウステンボス行きませんか?」
「長崎の?」
「そうです」
「いいけど、予約取れるの?」
「昨日調べたら、まだ大丈夫だったので」
「じゃあ、行こうか?」
「それと…、今日、夜、マンション行ってもいいですか?」
「大丈夫よ 今度、着替えとか持っておいで」
「そうしたら、そのまま泊まって会社に行けるでしょ!?」
交際から半年が経ち、僕たちは半同棲の生活を送っていた…ある日…
「工藤君… アレ…こないの…」
「アレって、生理…ですか?」
「…そう」
「どれくらい?」
「2ヶ月くらい…」
「…そう」
「坂西さん、結婚しよう!」
「俺、坂西さん 本気で好きだし」
「…でも…」
「大丈夫!」
「工藤君、ちゃんと家族とも話し合いして…」
「年齢差もあるし…」
「そんなの関係ないじゃん!」
「私も、親と話、しないと…」
確かに結婚となると、年齢差は全く無視できるか?と言うと、少し引っ掛かるところはあった
僕には姉が二人いるが、彼女よりも年下で、姉からしたら、義妹が年上と言う事になる
「俺、結婚するから!」
いきなりの息子からの発言に、家中が微妙な空気に変わった
家族は僕が8歳年上の女性と付き合っている事は知っていた
「なんで、急にそうなったの?」
「子供が出来たかも知れない…」
「どうして、そういうの、ちゃんとしないの!?」
「仕方無いじゃん、今更、そんな事言ったって!」
「仕方無いじゃ、ないでしょう!」
「お前は本当に馬鹿なんだから!」
「お前の給料でちゃんと養っていけるのか?」
「私は助けないからね!」
散々、親兄弟からの罵声を浴びたが、自分の意思を貫き、納得はされなかったが、僕は結婚を決意した
その頃の僕には強い結婚願望もあったので、迷いは無かった
「坂西さん、やっぱり結婚しよう!」
「家族にも、ちゃんと話はした」
「完全に納得はしてもらえなかったけど…」
「…」
「工藤君、ありがとう…」
「でもね、工藤君、私ね、工藤君とは結婚出来ない…」
「どうして?」
「どうしても…」
「俺、頼りないかも知れないけど、ちゃんと頑張るから!」
「急な話だったから、ちゃんとプロポーズ出来なかったけど…」
「うちの親ね、厳しい人で…」
「私も、話、したんだけど…」
「許してもらえなくて…」
「俺、ちゃんと話しに行くから!」
「もう…いいの…」
「うちの親、色々と…順番とか気にする人だから…」
「古い家だから、色々ね…」
「一人娘でしょ… ちゃんとしたと言うか」
「だって…!」
「ごめんね…」
「子供、出来てたら…」
「大丈夫、あの後、ちゃんと生理きたから…」
「でも、そう言う問題じゃ無くて!」
と言った後に、少し、ホッとした自分がそこにいた
とても情けなく思えた
本当の覚悟では無かったのだろう…
そんなつもりは無かったが…
「坂西さん、おはようございます!」
「あっ、工藤君、おはよう」
「今日は寒いですね」
「私、冷え症だから、寒いのは苦手…」
「工藤! 今日は飲みにいくぞ!」
「高野さん、ごちそうさまです!」
「領収書、松芝電機で貰っておけ!」
「了解です!」
その後、すぐに彼女から別れを告げられた
本当に生理が来たのかは、分からなかった…
僕は交際前の状態に戻り、以前と変わらない生活を送っていた
翌年の4月、僕は名古屋支店に移動となり、彼女との連絡は途絶えた
彼女が結婚したと言う話は聞かない
8歳年上の素敵な彼女
僕は今でも彼女と結婚していたら…と考えている
本当に素敵な女性で、彼女と結婚出来ていたら、一体、どんな人生が待っていたのだろう?
と何回も考えた事があります
彼女が素敵な人生を送れている事を願っています
登場する企業名等は架空のものとなります